第七篇『前夜祭にて人形達は舞う』上
この物語の登場人物は常に命の危機に晒されています。御容赦下さい。
コモドが家に着いて、間もなくのことである。
「ちょっと、何なのよあのコモドというヤツ! 見た目通りの危ないヤツだったじゃないの!!」
満ち行きつつある月が照らす闇夜の中を、五つの影が走って行く。
「エスカ! お前の責任だぞ、何であんな安請け合いをした!!」
「断れないわよ! あの男、断ろうモノなら後ろからバッサリだわ!!」
「チッ、こんな商売してるクセに男相手にビビってんじゃねぇよ!!」
「こんな商売してるから分かるのよ! それにしてもインクシュタットには危ない男ばっかりなのかしら!? もうこんなとこにはいられないわよ、だから今すぐにでもイレザリアに帰るんでしょ!!」
早口で話すエスカの顔は恐怖で引きつっていた。
「安心しろ、今度そいつが脅しでもかけてきたら、このアングーロ様がそいつをやってやる!!」
「ほう、やれると言うのかね」
その低音を聞いた途端に、ビクッとした痙攣と共にエスカの足が止まる。それを見たアングーロが吠えた。
「オイ、今のは誰だ!!」
「アングーロ……この声よ。アイツだわ、ゼーブルだわ!!」
「何だとォ!? おいゼーブル!! 姿を現しやがれ、オレっちがハァッ!?」
セリフの最中に、アングーロの口から暗い血の泡が噴き出した。その背中から抜き出される、限りなく黒に近い赤紫の右手。不気味に赤く光る複眼が死を告げる。
「アングーロッ!?」
「大した事なかったな、君の付き添いも」
「何だコイツは……あのアングーロの巨体を、一瞬で……!!」
ゼーブルのことを『何のためらいもなく人を殺す』と称したコモドの警告が、今になって現実となった。残った四人を戦慄が包む。
「安心したまえ。先程の男と同じく、楽に死なせてやる」
「ふ、ふざけないで! お前達、やっておしまい!!」
早速飛んで来た斧に手をかざすゼーブル、斧は何と空中で静止した。次の瞬間、遥かに上回る速度で斧が本来の持ち手だった男の額を割る。
「次はそこの、小刀を抜いた君だ。親指一本で相手してやる。来い」
「く、くそ、ナメやがって、ナメやがってぇぇええええ!!」
絶叫しながら突っ込んで来た男を軽くかわし、あっさりと背後をとったゼーブルの右の親指が男のこめかみを突き刺した。そのまま親指が水平にずれて行く。
「あ、あああ、あ、あ、ああ、あ」
ゼーブルの親指が動く度に、声にもならぬうめきだけを男は上げる。同時に口から、鼻から、遂には目からも血の泡が垂れ始めた。指の軌道は今度は生え際をなぞり上げ、男の口からはうめきすらも上がらなくなりただ痙攣するのみである。額から切り取った頭蓋骨の一部をゼーブルが取り出す頃には、男は絶命していた。毒と、激痛の二つによって。
「そんな、そんな……」
眼前で起きたすっかり腰を抜かしたエスカ、持っていたマーギナムは都合の悪いことに弾切れである。その隣で、生き残った男は棒を構えたまま震えていた。
「怖いのか。今のは先に脳をやることで苦痛を和らげてやったのだが、それでも御不満かね」
「や、やめろ……助けて……殺さないでくれ……」
首を横に激しく振りながら、男は懇願した。
「助かりたいか」
「何でもする、何でもするから、命だけは!!」
「そうか」
ゼーブルは、毒を仕込んだ右手に手袋を被せた。その様子を見た、男とエスカは安堵の表情を浮かべて溜め息をつく。しかし男が構えていた棒を下げた、その時であった。
「ぐああああッ!?」
何かが男の首を掴み、ギリギリと締め上げる。思わず手放した棒がエスカの足元まで転がった。倒れ込んだ男の喉元に絡みつくモノ、それは何と……
「手袋……!?」
ゼーブルの右手は確かに手袋に収まっている。しかし突き出された左手、手の甲にドクロを背負ったハエの刻まれたそれに手袋は被さってはいない。彼は、左手から手袋だけを飛ばし、そして手袋は中身ナシのまま男の首を掴んで締め上げていたのである。
「があッ!? あ……ぁ……」
グシャリ、という音が頸椎から響くと同時に男は事切れた。いつの間にか手袋はゼーブルの指に戻っている。
「さて、いかがだったかな。吾輩の闘術士としての腕前は」
手袋を直しながらゼーブルはエスカに尋ねた。
「ふざけないで……あたしは美人局こそやってたけど、アンタみたいに軽々しく人を殺しはしないわ……!」
「軽々しく、か。その言葉は撤回して頂こう、その証拠に君のことは殺しはしない」
「嘘おっしゃい! さっきなんかそう見せかけて、油断したところを……」
「君のような美しい存在が死んでしまっては世界の損失だ。そうは思わないかね」
「今更口説きに出ようっていうの!?」
歩み寄って来るゼーブルからじりじりと距離を取りつつ、エスカは吠えた。
「じゃあ、仲間達を無残に殺したのは、あたしを独占するためってこと!?」
「そうだ。美しい花にたかるうるさい虫は邪魔なだけ、それに人殺しというのは実に最高の快楽でもあってね」
「快楽殺人者の妾になれと!? 命がいくつあっても足りないわ!!」
「妾? 違うな、君は花嫁となるのだ。それに君を殺しては世界の損失だと言っただろう」
ハエの仮面を被った不気味な姿、先程まで殺戮を繰り広げていた狂気からは想像もつかぬ優しい声でゼーブルは話しかける。
「花嫁ですって……? 正気なの……?」
「君のような素敵な方を、吾輩は探していたのだ。周りにたかる野郎共を殺してでも、側にいて欲しいと心から思ったのだ。これでも吾輩は、元はと言えばイレザリアの貴族の末裔。ワケあってこの仮面を被ってはいるが、コレは我が家での習わしでね。この愛を受け取った者にだけ素顔を見せることが許されるのだ」
ゼーブルはエスカの前にひざまずき、手を差し伸べる。恐る恐る、エスカはその手に自らの手を近付ける。
(どうする……? この男の言うことが事実なら、あたしは今まで組んでいた男よりもこっちを選んだ方が正解ということになる。しかし、もしこの手をとるということは、快楽殺人者に命を預けることでもある。でもこの仮面の下は? 貴族の末裔となれば金はある、かつてほどではなくともある程度の社会的地位が約束されている。されど何故インクシュタットに? 嗚呼でもあたしの手は、この男のそれに、近付いて、いるッ!!)
葛藤を制したのは彼女の欲深い本性であった。遂にゼーブルの手袋に包まれた手にエスカの手が重なった。その手を引き、仮面にもう片手をかざすゼーブル。嗚呼、その素顔をエスカに晒すのか、と思われたその時であった。
「宝眼術、複眼催眠」
「うっ!?」
鋭い光を放つゼーブルの複眼。その妖しい光がマトモに目に入ってしまったエスカは憐れ、意識を失いフラリと彼の腕の中に倒れ込むのであった。それでもなお、ゼーブルの手付きは優しいまま。
「さぁ、誓いの口づけだ。そのキレイなうなじに、永遠の印を刻むとしよう」
ハエの仮面を被ったまま、その口吻にあたる部位がエスカのうなじに触れる。刻み込まれた紫の紋様はドクロを背負ったハエ、浮かび上がるや否やその皮膚に沈むかのように消えていった。同時に意識を失ったエスカの身体がビクッ、ビクッと痙攣する。
「吾輩の住み処へ案内しよう。我が七人目の花嫁よ」
明くる朝のことである。ジーペンビュルゲンを飛び回るいつにない喧噪が、コモドの目を覚ました。
「何だァ朝から……随分とワイワイガヤガヤしてるじゃねぇかよォ」
「コモドさん、コレ、飛んできました……!!」
ケンが現れた。コモドよりも先に起きていたらしい。その手に持つは赤い筒、この物体を見たインクシュタットの民はすべからく一瞬にして脳が目覚め戦慄する。
「寄越せ」
ケンから投げ渡された筒を恐るべき速さで開け、コモドは中身を改めた。そしてケンに読み聞かせる。
「良いかよく聞いてくれよ。『ジーペンビュルゲンに四つの惨殺死体! 一晩のうちに腐敗した肉塊はイレザリアからの異邦人のモノか』とのことだ」
「腐敗した肉塊!? ……まさか毒ですか?」
「可能性が高い。しかし工房の近くでやられるとはな。どうする、見物にでもシャレ込むかい?」
その現場は歩いてわずか十分の所にあった。徐々に濃くなってゆく人の雲海を乗り越え、コモドは覗き込んだ。布に包まれた四つの死体が運ばれてゆく。その転がっていた箇所からアレコレ拾い上げる役人達。その中に、ウラルの姿もあった。
「おや、コモドさんとケンさんではないですか、珍しい。でもせっかくですしコチラまでお願い出来ますか」
「え、良いんですかい」
「ええ、特にコモドさん。例の手がかりがありそうなのです」
コモドとケンは顔を見合わせた。ニヤリとしたコモドの顔に、ケンは一瞬だけ戦慄を覚えた。
「分かりました。では皆さん、ちょっと道開けて下さいまし」
コモドとケンが近くまで来ると、ウラルが死体を覆った布の一部をめくり上げる。そこにあった顔を見て、コモドは声を上げた。
「コイツ、昨日の美人局の一味にいた大男じゃねぇか! 確かアングーロとか言ってたような」
「アングーロですね。やっぱりそうでしたか」
「え、美人局? コモドさん引っかかったの?」
「詳しくは後で話す。して、ソイツは一体どんな死に方を?」
更に布をめくり上げると、その心臓のあるだろう位置が溶けて白骨化している。それが見えた見物人の一部から吐き気を催す声が聞こえた。
「赤い筒の通りだ、やっぱり毒……!!」
「昨日会っているなら分かると思いますが、ドクロのハエは刻まれてはおりません」
「ブラックバアルの構成員ではなくとも、関わってしまうとこうなるワケか……!!」
腕の部分を見せながら、ウラルは続ける。
「ウラルさん、ンザムビの危険性は大丈夫なんですかね」
ふとケンがウラルに尋ねた。ほんの数日前に、怖い目に遭ったばかりだからである。
「その可能性は大いにあり得ますので念の為、いずれの死体にも封印符を貼ってあります。しかし目覚める様子は御座いませんね、というのも死亡推定時刻から考えても覚醒時間はとうの昔に過ぎているのです」
「そうですか。……んー、他の連中も見せてはくれませんかね。それともう一つ気になったことがありまして」
「何で御座いますか?」
「……死体が一つ足りない。美人局の一味は五人いた」
ウラルは近くにいた役人に目で合図する。一斉にめくられる掛け布、その一つが出た瞬間に見物人はガクンと減少した。額をえぐられ、頭部のみ著しく白骨化が進んだ凄まじい死体と化していたのである。
「ウッ!!」
ケンまでもが鼻と口を同時に押さえて呻いた。
「これはひでぇ……しかしアゴの形から考えても、死体は男性しかいねぇですな」
「美人局の一味でしたなら、肝心な存在がおりませんね」
ペンタブルクとジーペンビュルゲンの境目に広がる森林地帯。杖を突き、進み行く老人がいた。この奥地は地元民でも滅多に近付かぬ場所であり、このような場所に足を踏み入れる人間は四通りいる。世を儚み死に急ぐ者、ギラつく欲望を抱えて自然に挑む者、そして人目を避けて暮らさねばならぬ日陰者とその仲間である。
「ゼーブル様。ガブルドで御座います。準備が出来ましたのでお呼びに参りました」
小屋の前で老人こと、ガブルドは声をかける。
「分かった。少々時間がかかる故、待ってはくれぬか」
「左様で御座いますか」
ガブルドは、突いていた杖を使って腰を掛けようとした、その時であった。
「嗚呼そうだガブルド、人形師たるそちにも是非見せておかねばならん。入りたまえ」
「よろしいのですか!?」
三つ目たる人目を避けて暮らさねばならぬ日陰者、それがゼーブルである。故に仲間であってもなお、自らの住み処に誰かを入れることなど滅多になかった。
「吾輩が許可したのだ、さぁ早く」
「では……失礼致しますぞ」
(妙に機嫌の様子が良いな。何か嬉しいことでもあったのか?)
不審に思いつつも、ガブルドはゼーブルの小屋に入り込む。殺される、そういう予感がガブルドの脳裏に叫ぶ。
「ようこそ、吾輩の住み処へ」
玄関を通るとそこにあったのは大きな書斎であった。ありとあらゆる書物に包囲されそんな部屋の中で、ゼーブルは素顔を晒して優雅に茶を飲んでいた。その対面するイスのあるべき位置に、ベールに包まれた何かが鎮座している。
「ゼーブル様、随分と機嫌が良う御座いますな?」
「素晴らしく良い気分だよ。実は最高の人形を手に入れてな」
対面する、ベールに包まれた何かを指差すゼーブルは何処か得意げだ。
「人形で御座いますか」
人形師としてのサガか、ガブルドは眼前の人形と呼ばれたモノに興味が沸いてきた。
「取りたまえ、その神秘のベールを」
ガブルドは言われるままにそのベールをはがす。そこにあったのは、
「コレはッ!! な、何と美しい……ッ!!」
いつもはゼーブルに反感と警戒心を持っていたガブルドが、いつの間にか人形に夢中となっていた。
「赤く輝くよく仕立てられたこのドレスッ! それにまるで今にも歩き出しそうな足、大きくも張りのある乳房、指を絡ませればそっと返してくれそうなこの手、愛を語り掛けて来そうな麗しい唇ッ! 毛の一本一本までもが実に丁寧に植えられている、ゼーブル様コレは一体ッ!?」
「触れてみたまえ。きっと驚くこと間違いなしだ」
「良いのですかッ!? こんな繊細な、触れば今にも壊れてしまいそうなこの人形にッ!?」
「そっとその頬から順に、触れてみるが良い」
興奮しきりのガブルドにゼーブルはまさかの許可を下した。
「では遠慮なく……」
指が、人形の頬にそっと沈む。徐々に下へとずれて行く彼の手。
「柔らかい……何を使えばここまでの人肌を再現出来るというのじゃ。それにあ、温かい! 何と心地よい感触よッ! 人肌どころかまるで人の再現ではないか……いや、待て、何じゃ今の感触は」
触れた頚動脈の位置に再び指をあてたガブルド。そして、カクカクとしながらゼーブルの顔に振り替える。彼は、とても暗い笑顔を浮かべていた。
「ゼーブル様、これは人形、ではなく、人間そのモノ……ッ!?」
「生きた人間を材料として作り上げた、この世で最も美しく淫らな人形さ。改めて紹介しよう、我が七人目の妻たる、エスカだ」
この物語の登場人物は常に命の危機に晒されています。御容赦下さい。
大切なことなので、後書きにも書いておきますね。




