第六篇『されどケンちゃんは文字と踊る』上
この作品では異世界からもたらされた技術が必ずしもウケるとは限りません。御容赦下さいませ
慣れぬ羽ペンを手に、ケンは文字を刻んでいる。元いた世界の文字と、その下に今いる世界の文字が書かれていく。
『オーク とは めいき とも よばれる おそろしい おに です』
ペン先をインクに浸しつつ、彼の見る先には絵本にはオークの姿が描かれ、少ない文字数で説明が書かれている。こうなった経緯は前日に遡る。
「ふんッ! はァッ!!」
ケンは床下で一人、木で出来た刀を振っていた。ブラックバアルの一件以降、少しでも生き残る確率を上げるべく彼は、鍛錬を始めたのである。鎖でぶら下げた木刀が、振り子の要領で襲い掛かる。それをケンは木刀で打ち払うのだ。カン、カン、と乾いた音が辺りに響く。
「おっ、やっとるなやっとるな」
扉を開けて顔を出したコモドが、ケンの様子を満足そうに見つめている。床下の鍛錬用の装置や木刀を用意したのはコモドであった。
「そこまで。一旦休憩だ、コイツ飲んどけ」
革で出来た水入れを投げ渡すコモド。階段そばまで歩いてきたケンに対し、コモドが声をかけた。
「飲み終わったら図書館に行くぞケンちゃん。コイツでな!!」
工房の中から、コモドが引っ張り出してきた自転車。ケンのモノではない、彼のであれば外の柱にくくり付けてある。それを見たケンは水を噴き出しそうになりながら、尋ねた。
「たった一日で作っちゃったんですか!?」
「驚いただろ、あの仕組みならすぐ作れる。幸い、アフリマニウムどころかタルウィサイトを手に入れることが出来てな。早速試運転と行くぜ。付き合ってくれるかい?」
「はいッ!」
こうして試運転も兼ねた図書館へのサイクリングが始まった。風を受け、走る度に道行く人が二人を見る。コモドが試運転の目的地として図書館に向かったのには二つ理由がある。丁度良い距離にあることと、ある本が欲しかったためである。
「コモドさん、何となく察しが付くんですけど……」
「何だい?」
本棚に集まっている年齢層を見てケンが訪ねた。取り出した本も大きな表紙に、大きく絵が描かれている。
「この本、子供向けの絵本じゃ……」
「おう、そうだぜ」
二冊、少し厚めの本を借りるとコモドはケンに中身を見せた。
「コイツは確かに子供向けの絵本だが、内容は十六夜の聖典だ。子供に分かりやすいように内容が砕いてある」
十六夜の聖典、ラァワの家にて見せてもらったモノである
「この先ここで生きていくなら、文字くらい覚えてもらわねぇと、な?」
「あぁー、それで図書館に……」
「そういうこと。それに何よりここには子供も多い、あんな珍しいモン見たらキャーキャー言って喜ぶぞォ」
「コモドさん、絶対そっちが目的でしょう」
「ふふん、でも見たまえ、人だかりが出来ているぜ」
図書館から出て来たコモドが指差す先を見ると、大勢の子供達が二人の自転車のあった場所に集まっていた。驚くケンの横でコモドの顔がどんどん得意げな顔になってゆく。
「きゃーすごーい!!」
「かっこいー!!」
「もっと、もっと見せてー!!」
子供たちの後ろにいた親達の隙間を抜け、咳払いをしながらコモドは自転車へと向かっていく。
「やぁやぁ君達ちょーっとそこをどきたまえ、その自転車はおっちゃん達の……」
「おっさん邪魔」
「え?」
「コモドさん、自転車こっちに避けてありますよ」
「うそん。じゃあコレは……」
ケンが指差す方向にいたのは、顔を白く塗った男だった。引き抜いた両刃剣を使って一枚の紙をバラバラにしつつ滔々と語り続けている。
「ハイ、この諸刃の剣の切れ味は御覧の通り、コレを今呑み込んで無傷のうちに出して見せましょう」
「芸人だったのかよ……ケンちゃん行くぞ」
得意げに両刃剣を口から抜いて見せる芸人の背後を、コモドは自転車を引いてとぼとぼと去るのであった。
『マラブンタ とは はんぶんが ひとで はんぶんが ありの ような いきもの です』
そして今現在、ケンはコモドの借りた本の文章を写すという方法で文字を覚えていた。
「コモドさん、この文なんだけど……」
「おっ、どれどれ……」
後ろで自前の自転車をいじくっていたコモドを呼び出し、ケンは聞いた。
「……あー、コイツは『ンザムビ』って読む。古い言葉でな、最初の『ン』が難しいかもしれん」
「ンザムビ……こないだの?」
「そうだ。殺した相手に術をかけ、時間差で怪物に変えてしまうという恐ろしい術であり、なおかつその怪物の名前でもある。オークに似てるが、あくまで自身の生存のために凶行に走るオークと違ってコイツはヒトの悪意による産物だ」
「ヒトの悪意……」
「そうだ。この世で最も恐ろしい怪物、それがヒトの内なる悪意さ」
「でもコモドさん、こんなの子供向けの絵本にそのまま載せても大丈夫なんですか? 色んな意味で」
「色んな意味、とは?」
少しだけ考えてから、ケンは尋ねる。
「ンザムビって要は死体が蘇るともとれるワケでしょう? そんなの一般に知らしめていたら、道を踏み外す人が必ず出ると思うんです。例えば、大切な誰かが亡くなった時とか」
「蘇る、か。見ようによってはそうだろうね」
ハァ、とため息を付きつつコモドは続けた。
「蘇っているようでそうではない。ンザムビの術をかけられた死体は確かに動いてはいるが、すぐに崩れ落ちる。なおかつンザムビをかけられるのは生前のうちだけだ。何より、あの術はかけた本人にも危険が及ぶのさ。デングに術をかけたヤツはその点上手くやってやがる、距離を置いていたからね」
「危険が及ぶ?」
「続きを読んでみたまえ」
開かれたページに目を戻し、書かれた文字を追う。
『ンザムビ を かけられた したいは りせいを もっていません』
『いたみも かんじることがなく ただ あばれたい こわしたい ころしたい だけ なのです』
絵が描かれている。手当たり次第にヒトを手に掛け、そして術をかけたヒトにまで襲い掛かる、死体の姿が。
『おそろしい かんじょう に だけ したがって うごかなく なるまで あばれつづける のです』
淡々と書かれた術の内容。オークといい、この世界の死体は実に恐ろしい一面を持っているらしい。
「これは……子供には一生モノのトラウマになりますよ……」
「だから教育の効果があるんだ。君みたいにいきなりホンモノと出くわすよりは良いだろう? 期間いっぱいに借りるつもりだからじっくりやっとくれ。それじゃ、また分からんことがあったら呼んで……ん?」
チリン、とベルが鳴っている。何だろう、と一言発してコモドは玄関に出た。
「どちらさんで?」
玄関を開けると、そこには黒い笠を深く被った小柄な人が立っていた。金のアクセントの入ったローブを着ており、布で包まれた細長いモノを持っている。
「コモド・アルティフェクス様ですね。魔女集会の使者に御座います」
少年を思わせる、高い声で使者は返した。
「これはこれは……確かに、次の満月は赤い月、魔女集会で御座いましたな」
「左様に御座います。今回の円月環の舞、コモド様に順番が回ったことをお伝えするために参りました」
「と、なると。その包みの中身は弧玄杖か」
「はい、引き受けて、下さいますね?」
コモドは膝をつき、両手を上に差し出して答えた。
「その務め、謹んで引き受け申し上げます」
「よろしくお願いします。では、わたくしはこれにて」
使者の体が縮んだかと思うと一枚の符に変わり、何処かへ飛び去って行った。
「コモドさん、その杖は何なんですか?」
戻って来たコモドは包みから中身を取り出していた。その『杖』は反身で、長さは一メートルと七十センチほど、丁度ケンの身長くらいある。両端には黒い珠がはめ込まれており、見ようによってはフィクションで見るような弓にも見えなくもない。
「嗚呼コレか。弧玄杖という、ある儀式に使う杖だ。といっても、コイツはレプリカだけどな」
「儀式? 一体何の?」
「魔女集会だ。次の満月、即ち赤い満月の晩に行われる。そろそろ皆準備をし出す頃だが、まさか俺に回って来るとはな」
「魔女集会……?」
「インクシュタットは魔女文化の本番でな、セピア湖にある天体観測所に魔女という魔女が皆集まって、赤い月の力で魔女の卵を浄化する儀式。それが魔女集会さ」
「魔女の卵を、浄化……?」
「そうだ。魔女の卵ってのは、通常であれば卵巣である箇所にある特殊な臓器でね、魔女が媒体ナシでも術が使えるのはその魔女の卵が魔法触媒となるためなんだ。しかし触媒ってのは術を使う度に『オリ』が溜まっていく。だから定期的に浄化しなきゃいけねぇんだが、魔女の卵の場合は取り出して洗浄するワケにもいかねぇし、しかもそのオリによって傷みが進んでいく。そうなると術の出力が悪くなるだけでなく、魔女そのものの命にも関わって来る」
「浄化って、コモドさんのピアスもやるんですか?」
「嗚呼、時々やってるよ。で、何処まで話したっけか……そうだ、俺に回って来たモンがまさにその浄化を行う重要な儀式でな、コイツを持って湖にある祭壇で踊るのさ。要はアレだ、今回の主役は俺ってことだなつまりは! ハッハッハ!!」
「責任重大じゃないですか! え、コモドさんが、踊るんですかそれで……?」
ケンの脳裏には、弧玄杖を持って弓取式を行うコモドの姿が浮かんでいた。
「最も、踊るにはそれなりの練習が要る。ちょっと持ってみな」
「お、おぅッ!?」
コモドから渡された弧玄杖は、ケンの手にずっしりとした重さを伝えた。これが、伝統を繋げるという責任の重さなのか。
「コイツを持って、更に優雅かつ幽玄な舞を披露する。コレが俺に渡された使命だ。もし次の魔女集会にも参加するとしたら、ケンちゃんが踊る可能性が出てくるからそのつもりでな」
「あ、はい。ところで何か紙が結び付けてあるんですがコレは?」
「ホントだ。どれどれ……」
紙に書かれている内容を、コモドは読み上げる。
「えーと何々、『舞の担い手となりし貴方の下へ、本日アテクシが伺います。この紙を開く頃には着くでしょう。踊りの伝道師、カタック』だってさ。へぇ、あのカタック先生が来てくれるのか、サインもらっとこ」
「誰なんですか、そのカタックって人は……」
「インクシュタットじゃ知らぬ者はいない、踊りのプロだ。あらゆる祭りで呼ばれてはその踊りを披露する人でね、同時に剣の達人でもある。最も今回は自分は踊らずに教える立場なんだけどさ。独特な雰囲気の人だけどすぐ慣れるよ……ほぉれ来た来た」
来客を知らせるベルが鳴る。早速二人は玄関に出た。
「コモド・アルティフェクス様の御宅で合ってまして?」
初っ端から聞こえた、低いにも関わらず中性的な声がド肝を抜く。妙に長いまつ毛、目元にほどこされた三日月のメイク、オールバックの短髪は何かでガチガチに固めてある。身長が高く、一九〇センチはあるコモドよりも三センチは高いようだ。背中に長い何かを背負っている。
「ええ、そうですけど」
「あらぁ、良かったワ。間違えたらどうしようかと心配してたとこよん。ところで、噂と違って随分な美少年なのねェ」
ケンの顔をインパクト抜群な顔が覗き込む。よく見ると衣装はレオタード状であり、薄い緑色のタイツには筋肉がくっきりと浮いている。サッシュベルトに細身の長剣と、頑丈そうな短剣を差している。
「ひぃッ!? 違います、コモドさんは……」
「戯れが過ぎると斬りますよ。カタック先生ですね」
「あら、噂に違わず危ないお人」
「ほんの冗談です、まぁお入り下さい」
コモドが茶を淹れると、ちょっとした世間話が始まった。
「……あら、その子がそうだったの。噂なら聞いてるわよ、ラァワ様のところに記念すべき二人目の愛弟子が出来たって」
「ケンスケ・セドです。ケンって呼ばれてます」
「カタック・プロクルサートル。よろしくね、ケンちゃん」
またもいきなりのちゃん付けにケンは一瞬驚いた。
「あら、ちゃん付けはよくなかったかしら」
「いえ、御心配なく。慣れてきましたから」
「何だ、向こうでは呼ばれてなかったのか、ケンちゃんって」
「そんなところです」
片手でグビグビと茶を飲むコモドに対し、カタックは少しずつ上品に茶を口に運んでいた。
「そうそう、せっかくですから召し上がって下さいまし、はおりが好物と伺ってますけど合ってたかしら」
「おッ、あるんですか! 是非、是非お願いします」
持ってきた包みから箱を取り出し、フタを開けるとそこにはあの三つに畳んだクッキー状のアイツが並んでいた。
「わァいホンモノだァ!!」
「思ってたより子供っぽい方でいらっしゃいますのね……」
「早速だけどいただきまーす!!」
例の如くコモドははおりを一つ摘まむと、茶に浸すことなく豪快にそのままバリバリと噛み始めた。
「あら、趣味の合う方は初めてですわ」
「……え、まさか」
カタックもまたはおりを手に取り、折れ曲がった部分を口に引っかけるとそっと茶をその下に添え、バキッと豪快な音を立ててはおりを折った。そしてそのまま、バリバリと噛み砕いている。コモドと比べても華奢なアゴで、何処からそんな力が出るのか。その様子を見てコモドは手を差し出しこう言った。
「先生流石ですわ、よく分かってらっしゃる」
「やっぱりはおりはそのまま噛み砕くのが一番ですわ、おほほほほ」
「この人達やばい……」
固い握手を交わす二人を、ケンは茶に浸したはおりをしゃぶりながら見つめるのであった。
「お茶を飲みながらで申し訳ないけど舞のお話をさせてもらうわね」
「お願いします」
「アテクシも早速持って来たけどね、弧玄杖のサンプル。持ってみると結構重いでしょう。見たことあれば分かると思うけど、コレはただ振り回せば良いってモノじゃないのよ。むしろ勢いに任せてブン回す方が楽だったりするけど、舞にならないわね」
「そうですよね……」
「ゆっくりと、随所随所で円を描きながら舞うのよ。時には杖をぐるりと回しながら、時には自らが回りながらね。重い杖を持ったままグルグル回るワケだから練習だけでも相当体力を使うわ、だからゆっくり参りましょ」
「そんな大変な踊りを引き受けたんですかコモドさん……」
「必要なことだ。それに恐らく一生で一度の出番でね。あの夜に、俺が主役になるんだ。赤い月の下で舞い踊るのは憧れでもあったのさ。ケンちゃん、集会の夜には目ン玉カッ開いてよぉく見てくれよな」
「そこまでやる気満々だと、教え甲斐がありそうね」
「楽しみにしといて下さいよ。あ、カップ片付けますわ」
ティーカップを回収して洗い場に向かう、コモドの足取りは何処か軽やかだ。鼻歌まで奏でている。
「舞の練習は何処で致しますの?」
「床下で頼みます。それともう一つ、ケンちゃん!」
「はい」
「そこに置いてあるカードケースから一枚取り出して、サインもらっといて」
「え」
「あ、二枚でも良いぞ」
「そういうことじゃなくて」
「あら、サインカードだったらアテクシいつでも用意出来ますわよ」
カタックは懐からカードを取り出して見せた。既にサインは書き込まれている。
「じゃあ手っ取り早いや、二枚良いですかい」
「ええ、よろこんで」
「置いて行かれた……」
コモドの工房のあるジーベンビュルゲンの集落の建物は、どれも高床式である。集落の周辺に生息する闘地竜が家に上がらぬためであり、なおかつ日陰で休める場所を提供するためでもあるのだが、コモドの工房では様々に活用している。例えば時に鎖で複数の木刀をぶら下げ、鍛錬に使う。コレは図書館に行く前のケンが行っていたモノだ。そして今、新たな方法で床下が使われようとしている。
「ふむ、陽を避けて練習出来るのは中々良いわね。でも……」
「でも?」
手に持ったレプリカ弧玄杖で床をつつきながらカタックが言った。
「高さが足りないから練習は表でしましょ、休憩する時には良いわね。嗚呼、ケンちゃんはそこで座って見てても良いし、刀の練習してても良いわよ。とりあえずターバンとゴーレムのサモナーをとってちょうだい。出来れば、手甲もね」
言われた通りにターバン、手甲、サモナーを外しつつコモドは尋ねた。
「出来るだけ本番に近い恰好で、ってことですかい」
ターバンを使ってその他の荷物をまとめると、ケンに投げ渡す。
「そうね、本来であれば正装でやるべきだわ、でも汚しちゃうと大変でしょう?」
「まぁ確かに」
「え、正装って何ですか、僕持ってないんだけど」
「あっ、ケンちゃんのヤツ忘れてた。集会行けねぇわ、このままじゃ」
ポカーンとした表情でコモドが声を出す。
「……明日にでも買いに行ってらっしゃい。アテクシも宿に戻ったら正装のシワでも伸ばしておこうかしら」
「ケンちゃん、明日はペンタブルクまで買い物に行こうか。ひとまず先生、お願いします」
弧玄杖は弓に似た形状をしている。その弓柄にあたる部位を握り、水平に構えたカタック。コモドが後に続く。
「まずは自分の左右に円を描きますわ。順番はどちらでも構いませんが、左右に二回ずつ。やっていきますよ」
手首を使い、一度縦に杖を構えると、今度はグリッと杖を回しながら左右に杖を振る。全体で「8」の字を描くような動きを、実にゆっくりとカタックは見せる。一方のコモドは、それよりも素早く杖を振るって見せた。それを見て、カタックが声を出す。
「そう、その動き。それをね、さっきアテクシがやったのと同じように、ゆっくりとやってみて下さいまし」
「今のを、ゆっくりと」
一度目を閉じ、スゥーッと独特な呼吸音と共に息を整えると、コモドは実にゆっくりと杖を回して見せた。二度目の円を描き終えた頃には彼の腕は細かい震えを伴っていた。その様子を見たカタックが切り出す。
「ふむ、一回お水飲みましょう。その後で続きの振り付けにいくわ。今日は振り付けだけ覚えれば良いわよ」
「分かりました」
ケンが水の入った革袋を持って来た。
「ありがとう。終始ゆっくり動けってのがキツいなコレ」
そう話すコモドの腕は血管が浮き、ビクビクと脈打っている。
「コモドさん、戦うとあんなに強いのに……」
「嗚呼、戦いと踊りでは筋肉の使い方も必要な量も違う。少なくとも量に関しては踊りの方が多く要るぞ」
革袋の中身を自分の腕にもかけながらコモドが話す。
「例えば、殴る時の動きは一瞬だ。ゆっくりやっててはかわされるし、場合によっては向こうから拳をもらうこととなる」
「そうね、戦って勝つだけなら不意打ちかけてさっさと片付けても良いわね。でも踊りではそうもいかないのよね」
「先生やっぱ分かってますな。剣の道にも通じていればこその意見ですわ」
「おほほ、アテクシの剣はほんの護身用ですわ。でも踊りの方はそれでお金をいただいてましてね。そうそう、アメちゃんあるけどお二人ともいかがです?」
着込んだボレロの内側から、カタックはアメを取り出して渡した。
「岩塩を練り込んだ特別製ですわ。時々口に含むと適度に疲れが取れますのよ」
「いただきます」
アメを口に含み、再び立ち上がるコモド。ケンは空になった革袋を持ち、台所へ向かった。
「ケンちゃんが戻ってきたら再開しましょ」
「ところで先生、一つ気になったことがあるのでよろしいですかい」
「あら、何かしら」
コモドはポケットに入った紙を取り出した。そこに記されているのはドクロを背負ったハエ、ブラックバアルの印である。
「ちょいと、コイツに関する情報を集めててましてね。先生ほどのお方ならあちこち回って、色んな噂を聞いてるはずだと思うんですがね」
「むぅーん……随分と不気味な印ねぇ」
そう呟きながら、目だけは険しい表情でこの印を見ている。
「あまり関わらない方が良いような予感もするわよ?」
「ドクロを印に持ってくるような連中と、喜んで関わろうとするヤツがおりますかい?」
「それもそうね。でもごめんね、力になれそうにないわ。残念ながら見たこともないのよ」
「そうですか。じゃあせめて、ハエみてぇな顔の男を見た、とか……」
「やめてちょうだい見たら卒倒するわ。アテクシ、ハエは何よりも嫌いですの」
コモドが言い終わらぬうちにカタックが遮った。
「失礼しました」
誰か一人にウケたからといって、皆が皆注目するワケではないのです




