6こけし:みがわり様とニコぽ先輩
ぽっ。
ちょっと大きいこけしの頬が薄紅色に染まる。
どうしたらいいんだこれ。
それが、その場に居合わせた美砂の思いだった。
◇ ◆ ◇
琴井家のテーブルに、ちょっと大きいこけしが鎮座している。
シンプルな面相。しかし、どことなくまつ毛が長い。
美砂は知らず眉間にしわを寄せる。母のこけし姿とは違う。
ついこの前も似たようなことがあった。「こけし様」だ。
あれもけっきょく出自が不明なままだが、同じように突然現れた。
美砂は特に感慨も持たず、ちょっと大きいこけしをつかみ、
「ふんっ」
念のためにソファーに投げつけた。
ぼふんとソファーに当たる音がしたきり、人間に変わるでもなし。
どうしたものかと、肩までの明るい髪をかき上げながら美砂が考えていると、
「ねー美砂、そこのこけし気づいた? なんか、松葉くん? って子がさっき来て……あっ」
ぽわん!
カーペットの縁につまづいた姉は、美砂に倒れかかってこけしと化した。
「やっぱ、そうなの……」
美砂はため息とともに姉こけしを拾い上げ、かなり適当に放り投げた。
◇ ◆ ◇
登校早々、美砂は教室に入ってきた淳に一撃入れてこけしにした。本日五人目のこけし化だ。本人にして妙に整った面相が腹立たしい。
ちなみに、学校に来てからのひとり目は、いつもどおり担任の伊波である。
義務的に投げつけて淳を戻す。
机と机の隙間で人に戻った淳は、イスだのなんだのをガタガタとかき分けながら立ち上がる。
「おっはー琴井。あいさつ代わりの一撃きいた」
「無表情で言うのやめてよ」
「えー」
淳が、わずかながら抗議の色を声にのせる。心なしか表情も動いているように感じた美砂だが、
「これ、なんなのよ」
手近な机に、「ちょっと大きいこけし」を置いた。
淳はそれを見て、
「これは……。まつ毛長くない?」
「いや、思ったけど!」
バンと机をたたけば、ちょっと大きいこけしも跳ねる。着地時に傾いたちょっと大きいこけしはそのまま弾かれ、床に落ちて転がっていく。
そしてこつりと、女子生徒のつま先に当たって止まった。
女子生徒はそれを拾い上げ、
「ふたりとも、おっはよー!」
ちょっと大きいこけしごと、ぶんぶん手を振ってきた。
ナナだ。
いつもポニーテールにしている焦げ茶の髪を、今日は三つ編みにまとめている。
「おはよう、ナナ」
「おっはー」
美砂と淳もあいさつを返す。
「で、これどーしたのー? 人じゃなくてふつーのこけし?」
こけしといえば、人間が美砂に触れて変化したもの。
このクラスでは、いや学校全体で常識となりつつある認識だ。美砂はため息を吐く。
「とりあえず、はい☆」
ウインクで物理的な星をとばしつつ(星は剥がれかけていた掲示物の角に刺さった)、ナナはちょっと大きいこけしを机に置いた。何度見てもまつ毛が長い。
「ちょっとナナ、至近距離で星飛ばすのは……」
「ごめんごめーん☆」
ぱちりぱちり☆
光の照準器が現れるまでもないような、小さな星が飛んでくる。
それはしかし美砂にも淳にも刺さらずに、
「え、ちょ」
ちょっと大きいこけしに全て命中していた。
心なしか、面相が悲しげだ。
「あれー、今の直撃コースだったよね☆」
「あ」
「あ」
新たに飛ばされた星がワープして刺さる。明らかに軌道を無視して。
「みがわり様、かな」
淳が、大きくもないのによく通る声で命名した。
◇ ◆ ◇
「ねー、美砂っち知ってる?」
中休み。
ナナが美砂の席に駆け寄り、勢いあまって美砂にぶつかりこけしと化したあと。
そっとイスの上で人間に戻されたナナは口を開いた。
「二年生にかっこいー先輩がいるんだよ☆」
「ふーん」
ぱしっと、人差し指と中指で、飛んできた星を挟み取る。
「興味ない?」
「うーん……」
消えなかった星を机に落として、美砂はなんとも言えずあごに手をやった。見知らぬ相手に対して、興味も感想もない。
「ナナは?」
「見てるだけでも楽しい!」
ナナは、にへらーと表情を緩ませる。
「さわやかでね、髪がさらさらでね、笑った顔がとってもいいんだよー!」
「密かに“ニコぽ先輩”って呼ばれてるよね。笑いかけられるとみんな惚れるんだって」
いつの間に現れたのか、のそりと淳も会話に加わる。
「えー? そんなの聞いたことないけどなあ。あっ!」
ナナが驚いたように窓の外を見る。つられて美砂も窓を見やると、
「あ、窓川さん」
体操着姿の少年――名札の色から二年生と知れた――が、微笑を浮かべて小走りにやってきた。
さらりとした髪に、二重の天使の輪が光る。中性的な顔立ちは、たしかに淳とはちがうタイプの美形だ。
「今日は三つ編みなんだね。いつものポニーテールもかわいいけど、そっちも似合ってる」
「きゅん☆」
ナナが両頬に手を当てて悶える。放たれた星は――みがわり様に刺さっていた。
そういえば近くに置いたままだったなと、美砂が何気なくみがわり様に目をやると、
ぽっ。
みがわり様の頬が薄紅色に染まっていた。
「……」
悟る一歩手前のような表情を浮かべて目線を上げると、同じように顔を上げた淳と目が合う。
「ちなみに」
「ちょっとばか、余計なこと言ったら――!」
「ニコぽ先輩とみがわり様、真実の愛に目覚めちゃう。とか」
瞬間、窓からみがわり様に伸びる二本の腕。
ニコぽ先輩の両手がみがわり様を引き寄せ、
「かわいい……!」
このときの気持ちをなんと言い表したものか。美砂は後年、思い出すたびに悩むことになるのだが。
「こけしってことは……きみが琴井さんか!」
「あ、はい」
きらきら輝く目を向けられ、美砂は思わず一歩、後退る。
「じゃあこのこけしは」
「みがわり様です」
「みがわり様!」
横から挟まれた淳の言葉を、ニコぽ先輩は律儀に復唱する。
「みがわり様は琴井さんのなの?」
「あ、いえ、別にそういうわけでは……」
「じゃあ、僕がもらってもいいのかな!?」
「えっ」
話がおかしな方向に向かっている。
戸惑いの沈黙を、しかしニコぽ先輩はポジティブに肯定と受け取ったようで、
「ありがとう! 一生大切にするよ!!」
そのままさわやかに、しかしどこか熱を帯びたまま走り去ってしまった。
「え、あ……え?」
手を伸ばしかけて、美砂は逡巡する。
みがわり様は美砂のものではないし、身代わりになるくらいだから特に害もない。
ニコぽ先輩は残念なことになってしまったが……。
「ねえナナ、どうす……る!?」
振り向いて見た友人は、黙々と星を生み出し続けていた。
ぱちりぱちり☆
いつからそうしていたのか、こんもりとした星の山は机数個分におよんでいて。
そして、その周りに様々な表情の女子生徒たちが立っていた。
美砂は出かかった悲鳴を飲み込む。余計なことをすれば、ひどい目にあうと確信して。
「みんな、やっちゃおう☆」
女子生徒たちが星星をわしづかみにするのと、淳が全速力で窓から逃走したのがほぼ同時。
「もう、松葉くんのバカーっ!!」
思い思いの呪詛を吐きながら、ナナを始めとした女子生徒たちが美砂の横を駆け抜けていく。
学校中を星のトゲだらけにした「第一回 松葉淳追撃戦」は、給食の時間まで続いたのだった。
こけし係ノート
「女子、こわい(松葉)」
「↑許さないんだからね!!(窓川☆)」