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4こけし:ドッヂこけしとこけし様

 四方八方、こけしだらけだ。

 立っているのは美砂ただひとり。

 自身から放射状に広がるこけしたちの中心で、美砂は青一つ見えない白い曇り空を見上げる。


 どうしてこうなった、と。


 時間をいくらかさかのぼれば、まあ、なるべくしてなったと言うほかないのだが。



 ◇ ◆ ◇



 しん、と静まり返った教室で、クラスメイトたちの視線を集めているのは美砂たちだ。

 いや、正確にはこけしになった淳と、並び転がる妙に大きなこけし、それを淳|(人間バージョン)に投げ当てたナナに。


 美砂がふれてもいないのに、淳はこけしと化してしまった。


 その事実がクラスの全員に染み渡った時、教室中にわっとざわめきが押し寄せた。


「え、ちょ、なんで!?」

「わかんなーい☆」


 美砂は慌て、ナナはいつもより少し驚いて。

 それでものん気に飛んでくる星を右手の人差し指と中指でキャッチして、美砂はその辺に適当に放り投げる。はがれかかっていた掲示物の角に当たり、紙がぴしっと張られた状態で壁に突き刺さった。


「窓川さんも“こけしの人”になっちゃったってこと?」

「マジかよ、こけし係こえーな!」

「そもそも、あのちょっと大きいこけしなんなわけ?」

「持ってきてのこーちんだろ? アイツどこいった?」


 クラスメイトたちが好き勝手にさんざめく。


「と、とりあえず!」


 鶴のひと声、もといこけし係副代表の美砂(代表者は淳だ。ナナは書記である)が張り上げた声で、一旦教室が静かになる。

 大きな声を出すのも注目されるのも苦手だと思いながら、美砂はこけしを拾い上げ、


「まずは松葉くん(こいつ)に話を聞くのが先じゃない?」


 大きく振りかぶって、いつの間にか身についてしまったきれいなフォームで、クラスメイトたちの隙間一直線を瞬時に見極め、投げる。

 こけしはまっすぐ飛んでロッカーにぶち当たり、ガガンッ! っと数度跳ねたのち、「ぽうん」と煙に巻かれながら人間の淳として現れた。


「琴井ー、もうちょっとお手柔らかに」


 いつも通りとぼけた態度で、淳は白黒千鳥格子のスラックスからほこりを落として立ち上がる。


「で。どうなの?」

「いや、あらかた聞こえてたけどさ。琴井はもう少し俺に優しくしない?」

「しない」

「うん、わかってた」


 軽口の応酬をしつつ、淳はロッカーのある教室うしろから美砂たちのいる黒板近くへと歩いてくる。

 自然と、海が割れるかのようにクラスメイトたちが道を開けた。


「あ、なんかモーセ効果っぽい」

「何言ってんのかわかんないけど、ちょっとわかってること説明して」

「ひどいなー、今度は言いまちがえてないのに」


 淳は屈んで、床に転がりっぱなしの妙に大きいこけしを手に取る。


「たぶん、原因はこれ」


 ずいと、片手でようやくつかめるそれを突き出す。

 大きさはともかく、シンプルな面相はこけし以外のなにものでもなく、こけしがこけしであることを主張していた。


「……単なるこけしでしょ、それ」

「こけしだよ」

「こけしだよねえ?」


 こけし係三人が、まったく無意味に言葉を重ねる。


「なんかさ、これぶつけられるとこけしになっちゃうみたいなんだよね。はいお返し」

「ふへ?」


 淳が軽く手の中のこけしを放り、それはナナに当たった。


 ぽうん。

 陽気な顔のこけしが床に落ちる前に、淳は片手で危なげなくキャッチする。


「はい」


 そして、ナナ(こけし)はそっと美砂に手渡される。

 美砂はナナをソフトにイスの上に落としつつ、同時に淳の眉間に遠慮ない手刀チョップを打ちこんだ。


 いつもの音、いつもの煙。


 特に抵抗しなかった態度に免じて、美砂はこけしが床に落ちる前に両手でキャッチしてやった。

 そしてすかさず、いつもよりは手心を加えて放り投げる。

 淳は再び人間に戻った。しかし落下地点には例の妙に大きいこけしが転がっていて、弾かれたこけしは、


「お前たち、ちょっと騒がし――」


 ガラリと教室のドアを引き開けた伊波に当たった。


 ぽうん!

 やたらと派手な煙を上げて、伊波はこけしと化す。

 微妙に浅黒い地肌の、いつもの伊波こけしだ。


「ほんっと、この先生は……」


 美砂はため息をついて、伊波こけしを拾い上げようと手を伸ばす。


「ちょっと待った!」


 寸前で、それをかっさらった者がいた。

 いつの間にか体操着に着替えていた「こーちん」である。


「えーと……、何で戻って来たの?」

「え、だってここ、オレのクラスだし……」


 こーちん(本名不明)はしどろもどろにうろたえて、手にした伊波こけしを教卓に置く。もう片手には、妙に大きいこけしをつかんで。


「それ、一体なんなのよ。なんであんたが持ってんの?」

「いや、朝下駄箱に入っててさ。てっきり琴井かじゅんじゅんのイタズラかと思ってたけど」

「待って。じゅんじゅんって誰」

「え? 松葉だよ。松葉淳だから、じゅんじゅん」

「……」


 黙って本人じゅんじゅんに視線をやる。

 特に表情を変えるでもなく、片眉をちょいと上げてみせてくれた。美砂はややイラッとした。


「それはいいとして、どうすんのよそれ」


 美砂がこーちんの手につかまれた謎のこけしを指さすと、


「次体育だから自習だろ? 先生こけしだし」

「自習? あー……、戻さないと。あと着替えないと」


 伊波こけしに手を伸ばす。それを寸前で、こーちんがさっとさらった。


「自習自習、みんな着替えて外行こうぜー!」

「こーちん、授業はちゃんと受けようよ。先生は戻すから」


 淳が、こーちんの手から浅黒いこけしを取って床に転がす。

 人間に戻った伊波はぶるぶると頭を振って煙を払い、


「そうだぞ、授業はちゃんとやるから、みんな早く着替えて」


 ぽうん! 伊波の言葉はそこで途切れた。こけしが転がる。

 こーちんが、謎のこけしを伊波に投げ当てたのだ。


「ちょ、あんた何やって!?」

「自習自習、これで遊ぼうぜー!」


 こーちんは素早く謎のこけしを回収し、だっと教室から駆け出した。


「やろーぜこけし! あれ当たったやつこけしな!」

「こーちん待てよー!」

「よっしゃドッヂボール! ドッヂドッヂ!」


 すでに着替えていたほかの男子生徒たちもそれに続く。


「あ、ちょっ!?」


 こうなってしまうと、男子中学生なんてサルと変わらない。

 お調子者から勢いに引っ張られた生徒、そして一部の女子生徒まで教室を出て行ってしまっている。


 みんなサルか。

 美砂は唖然と立ち尽くす。


「琴井、俺先に行ってなんとかしてくる」


 淳は自らの制服に手をかけると、ばっと引っ張る。

 カーキのブレザーと白いシャツ、細かい千鳥格子のスラック が淳の席にぱさりと落ちる時、淳はすでに着替え(へんしん)を終えていた。


「じゃ、先に行ってるから」


 絶句する美砂と、笑いのツボに入ってしまったナナを置いて、淳は勇ましく教室を後にした。




 急いで着替えを終えて外に出た美砂たちは、グラウンドで世にもばかばかしい光景を目にしている。


 こけし、こけし、こけし。


 転がるこけしに投げ飛ぶこけし。

 ぽうんという音に煙が複数。

 こけしに変わる者あり、戻る者あり。


 妙に大きいあの謎のこけしを使って、ドッヂボールならぬドッヂこけしが勃発していた。

 先発隊である淳を探すと、


「悪い。二回やられた」


 めんごめんご。

 外野側でちゃっかり参加している淳は、いつもの通り謝罪のジェスチャーをしていて、


「まじめにやりなさいよーっ!!」


 美砂は十二年の人生で最速のダッシュをきめた。

 そして、後年まで語り継がれる「こけし無双」の幕が上がった――



 ◇ ◆ ◇



 男子女子、真面目不真面目を問わず全てはこけしと化した。

 グラウンドのただ中、放射状に散らばるこけしの中心で、美砂はただ白い曇り空を見上げている。


「片付けなきゃ……」


 力なくつぶやき、まずは淳とナナのこけしを手に取った。



 ◇ ◆ ◇



「ねえ美砂、あんた体力測定で学年トップレベルの成績叩き出したんだって?」


 風呂上がりの姉が、タオルで髪の水気をふき取っている。


「あー、知らない」


 美砂は適当に、投げやりに返事をする。


「あとさ、“こけし様”って何?」

「……さあ。あたし疲れたからもう寝るわ。おやすみ」

「あー、うん。おやすみ」



 騒動の発端となった「妙に大きいこけし」はそのまま、教室うしろのロッカーの上で、「こけし様」として厳重に祀られている。

 謎はひとまず、謎のままで。

こけし係ノート

「琴井にめちゃくちゃ怒られた。みんな正座させられていた。(松葉)」

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