3こけし:こけし・トゥ・こけし?
ある夜中。美砂はふと目を覚ました。
水でも飲むかとリビングに向かう。部屋の電気を点けると、テーブルの上にこけしが鎮座していた。妙に大きい。
寝ぼけて父親でもこけしにしてしまっただろうか。
開ききらない目と半分眠った頭のまま、美砂は無造作にこけしをつかんでソファに投げつける。
いつものように、「ぽうん!」と――。
「……?」
何も起こらなかった。
ソファに転がるこけしはこけしのままだ。いや、本来そういうものだが。
怪訝に思い、ソファに近づいてこけしを手に取る。
ためつすがめつするまでもなく、それは何の変哲もない、正しい姿で存在するこけしである。
「美砂、あんた……」
声に振り返ると、パジャマ姿の姉がドアを開けた姿勢で立っていた。
姉は、見てはならないものを見てしまった、とでも言いたげな表情で、
「短期間に慣れ過ぎじゃないの? こけしに」
無言でこけしをソファに落とし、美砂は幽鬼のようにゆらりと姉に向き直る。
「え? いやちょっと、やめ――!」
美砂は姉に飛びかかった。
気の抜けた音と煙のあとに、姉こけしが床に転がる。
「口は災いの元でしょ、お姉ちゃん」
眠い目をこすりながら、スティックのり大のこけしをソファに放り投げた。
◇ ◆ ◇
朝の忙しい時間帯に、夜中こけしから戻し忘れた姉と無益な追いかけっこをしたせいで、美砂はあやうく遅刻しそうになった。
「美砂っちおっはよー!」
「おはようナナ」
ナナのウインクから手裏剣のごとく飛んでくる星を避けて、美砂は席に着く。
「おっはー。今日先生は?」
淳も、テンション低く声をかけてくる。
「また廊下でぶつかった」
「毎朝よくぶつかるね。皆勤賞?」
「……まあ……」
校舎に入っていちばん、伊波とぶつかるのが朝の恒例イベントになりつつある。
これについては美砂なりに工夫して、少し早めに登校したり、逆に遅らせたりしているのだが。どういうわけか、確実に廊下の曲がり角で伊波顔のこけしを拾う羽目になるのだ(だんだん投げ方もおざなりになってくる)。
伊波と思考パターンがかぶっているとは考えたくない。美砂はこれでも反抗期の女子中学生なのだから。
「ちゃんと戻した?」
「戻してるわよ。毎回毎回、すぐに」
そのせいか、だんだんと投げ方にキレが生まれてきている気すらする。
伊波顔のこけしに、表情のバリエーションがあるという、役に立たない知識まで増えてしまった。
あれはこけしになったときのテンションが関係するらしい。
シンプルな線で目・鼻・口が描いてあるだけなのに、案外表現豊かなものである。
ガラリと、教室のドアが開いた。やや疲れ顔の伊波が入ってくる。
「朝のHRはじめるぞー」
◇ ◆ ◇
「琴井琴井ー!」
中休み開始直後。ノートを片づけていた美砂の机の上に、妙に大きなこけしが置かれた。
置いたのは、同じ小学校出身で言動がこどもっぽい男子生徒だ。顔立ちがやや独特で、名前はうろ覚え。
たしか、淳たちが「こーちん」と呼んでいた気がする。
「……何?」
美砂は眉間にしわを寄せそうになりつつ、男子生徒を見る。
男子生徒はにかにかしながら、
「こけし!」
「……」
ぼすりぽわん。
美砂はみぞおちにグーパンチを見舞った。ふれた瞬間こけしと化したので、男子生徒は痛みを感じることはなかっただろう。
前の机の上に転がった男子生徒を回収し、適当な方向に投げる。ついでに、美砂の机に置かれた妙に大きいこけしも同じ方向に投げた。
ぽうんゴツぽわん!
煙のあと、妙に大きいこけしと、スティックのり大のこけしが転がっていた。
「……?」
美砂はわずかに眉根を寄せる。
たしかに一瞬、元に戻ったはずなのだが。
「戻らないの?」
淳がやってきた。
「いや、たしかに戻ったんだけど」
「もう一回やってみたら?」
「そうね……」
美砂は床のこけしたちを回収し、まず妙に大きいこけしを投げた。
かつん、と意外に軽い音を立てて、こけしはこけしのまま床に転がる。最後の一回りで、シンプルな顔立ちを美砂たちに向けて。
「……」
「あれ、ただのこけしなんじゃ?」
淳が言い終わらないうちに、美砂はスティックのり大のこけしをたたきつけるように投げた。
ぽわん! といういつもの音と煙の中から、男子生徒が現れる。
「思ったより精神的ダメージあんのな、これ……」
どことなく疲れた顔で、男子生徒は立ち上がる。
「まぎらわしいことするからよ。これも返す」
「え? それって琴井んじゃ」
美砂が放った妙に大きなこけしをキャッチした瞬間、
ぽうん!
こつ、こつんと音を立てて、先ほどとほぼ同じ、床に大小こけしがふたつという光景ができあがった。
美砂はとっさに淳を振り返る。
「何も言ってないよ」
淳は両手のひらを開いて美砂に向け、潔白を訴える。
「じゃあ何なのよ!?」
「さあ」
淳はふたつのこけしを拾い上げ、美砂の机の上に並べた。
妙に大きいこけしと、標準的な、スティックのり大の男子生徒こけし。本人の顔立ちと似て、独特に濃ゆい。
「なんで並べたのよ……」
「いや、なんとなく。これ、俺でも元に戻せるのかな?」
男子生徒を取って、淳は男子生徒の席まで行ってイスの上にそれをやんわりと落とす。
ぽわん! 煙とともに、男子生徒が現れた。
淳は美砂を振り返ってガッツポーズを取る。普段あまり表情が動かないくせに、妙に嬉しそうだ。
「お、おう……。とりあえずこけしはまかせた!」
言うが早いか、男子生徒はそそくさと逃げて行った。
「こーちん、またねー」
淳がヒラヒラと手を振る。男子生徒は「こーちん」で確定らしい。相変わらず本名は思い出せないが。
「美砂っちどうしたの? なにこのこけしー☆」
手洗いに行っていたナナが戻ってきた。
特に意味もなく飛ばされた星がこけしに当たり、跳ね返る。
「わかんない。ただのこけし……じゃ、ないかもしれない」
「そーかも! 星刺さらなかったし!」
「刺さるのわかってて飛ばしてるの……?」
ナナは意外と過激派だったようだ。星を見る目が変わりそうだったが、美砂は考えるのをやめた。
「さっきのって、琴井が投げたから変化したのかな」
「へんげ、はやめてよ……なんか変な技みたいじゃない」
「十分変だと思うよ、俺は」
「そんなこと言うと、こけしにしちゃうぞー☆」
ナナは机の上から妙に大きいこけしをつかんで、淳に投げる。
それはほんの偶然で、他意は、なかったのだろう。
ぽうん!
キャッチしようとした淳が、こけしにふれたとたんにこけしと化した。
しん、と教室中が静まり返る。
妙に大きいこけしと、やたら面相のいい淳だけが、そこにあった。
こけし係ノート
「こーちんくんは、どこからあのこけし(妙に大きい)持ってきたんだろうね?(窓川☆)」