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1こけし:はじまりのこけし

 四月某日。よく晴れた朝のこと。

 琴井家の玄関で、美砂みさは出かける準備をしていた。

 数日前、美容室で肩上まで切った明るめの髪。真新しいカーキのブレザーに学校指定のバッグ。靴も新品だ。

 美砂は今日から中学一年生になる。これから、母親といっしょに入学式へ向かうのだ。


「美砂ー、お母さんが早くしろってさ」


 普段着姿の姉が、リビングから顔を出して美砂に声をかける。同じ中学校の三年生である姉は、今日は学校が休みだ。


「今行くって言っといて」

「自分で言いなさいよ、すぐ車乗るんだから」


 ばしっと、姉は大して力を入れずに美砂の背中をたたく。


「ちょっと、いつも言ってるけどさわんないでよね!」

「はいはい、なんでそうさわられるのが嫌なのかね」

「イヤなもんはイヤなの! 人が嫌がることはするなって言うでしょ!」

「わかったわかった。ほら、もう行きなよ。お母さん怒るよ」

「わかってる。じゃ行ってくるから、お姉ちゃん留守番よろしく」


 美砂は玄関から飛び出し、母親の待つ車へと小走りで向かった。



 ◇ ◆ ◇



 少々退屈だった式は滞りなく終了し、新入生たちは自分たちの教室で担任教師を待っていた。校庭に植えられた桜の花びらがはらりと散る様子が、窓から見える。

 ただ、つい先日まで小学生だった生徒たちがじっとしているはずもなく。


「琴井琴井ー、やーい琴井ー!」


 去年同じクラスだった男子生徒が、美砂をつっつくマネをしてくる。

 年齢的に十分こどもとはいえ、こどもじみたちょっかいに、美砂はうんざりとした表情を隠そうともしない。


「ちょっと、さわらないでよね!」

「そうそう、やめなよ。その人にさわるとこけしになるから」


 黒髪で、なかなか顔立ちのいい男子生徒が抑揚に乏しい声で妙なことを言う。

 初めてみる顔だ。美砂とは違う小学校に通っていたのだろう。


「ちょっと変なこと言わないでよ! なんなのよこけしって……」


 美砂がなおも言い募ろうとした時、教室のドアががらりと開く。

 入ってきたのは、背が高くて体格のいい、「気合と根性!」を合言葉にしていそうな男性教師だった。黒い短髪と浅黒い肌がいかにもである。いつスーツから着替えたのか、グレーのタンクトップに赤いジャージのラフな格好だ。


「お前たち元気だな! だけど少し静かにしような!」


 教師は歩き回っていた生徒たちを席に座らせ、教壇に立った。


「俺は伊波いなみ庸介ようすけ。担当は体育、今日からこのクラスの担任だ。まずは入学おめでとう、これからよろしくな! それじゃあ、みんなにも自己紹介してもらうぞ。適当に指名するから、前に来いよー」

 

 ええー!? と、教室中から抗議のどよめきが上がる。

 伊波は気にした風もなく、


「じゃあトップバッターは……琴井! 琴井美砂、俺の横で自己紹介な!」

「げっ」


 思わず声が出た。

 同じ小学校出身の生徒たちが美砂をチラチラと見てくる。美砂は気まずさから目を逸らした。


「琴井、琴井ー」


 伊波はにかにかとした笑顔だ。

 内心「どつきたい」と思いつつ、美砂はしぶしぶ教室の前、伊波の横に立ってクラスメイトたちと対面する。


「……琴井美砂です。第一小からきました。よろしくお願いします」


 必要最低限。

 大きくない声だが、聞こえはするだろう。

 クラスメイトたちからまばらな拍手が起こる。無事切り抜けた。

 はずだったのだが。


「もっと色々言ってもいいんだぞー、遠慮するなって!」


 伊波が余計なことを言った。


「これから一年間やってくんだ、ほら、がんばれ!」


 そして無造作に美砂の頭をくしゃくしゃとなでぽわん。


「ちょっと先生! 気安くさわらな――」


 抗議しようと横を向いた美砂の前に、伊波はいなかった。

 教室が一瞬静まり返り、「え、先生消えた!」「なんか煙でなかった?」とすぐに騒々しさが広がっていく。


「琴井ー、お前なにやったんだよー!」

「あたしは何もしてない!」


 その時、美砂の足にこつりと当たるものがあった。



 手でつかめるくらいのこけしが、美砂の足元に転がっていた。



「え、なに、なんでこけし……?」


 思わずこけしを拾い上げる。

 その顔は、伊波に似すぎていた。


「とぇいっ!!」


 思わず全力で投げてしまった美砂に罪はないだろう。

 こけしは、さっと避けたクラスメイト達の間を抜けて教室後ろのロッカーにぶち当たる。

 がんがん! と何度かバウンドしたこけしは床に転がり、「ぽわん!」という音と煙に包まれた。


「な、何が起きたんだ……!?」


 そこから現れたのは伊波。消えたはずのクラス担任だった。

 混乱しているらしく、頭をさすりながらきょろきょろと辺りを見回している。



「へー、ほんとにこけしになるんだ」



 ざわつく教室で、不思議とその声はよく通った。

 全員の視線が一点に集まる。

 涼しい顔で座っていたのは、美砂に向かって「こけし」発言をした男子生徒だった。


「あー、第二小から来た松葉まつばじゅんです。言った言葉がたまにほんとになります。だから琴井、悪かった」


 めんごめんご。

 と、淳は涼しい顔のまま両手を謝罪の形に合わせる。


「悪かった、ですまされるわけないでしょ……」


 呆然とした美砂の口から、やっと出たのはそんな言葉だった。



 美砂の中学生初めの一日は。

 松葉淳との出会いと、「こけし女」という大変不本意なあだ名が瞬く間に広まった、人生の中でも大変な一日となった。

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