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「話題がない」

わだいがない 20(後編)

桜岡さんの場合


 いつからだろう、男性と話すときに、無意識に左手の指輪を確認するようになったのは。まぁ、自分の父親もしていない派だし、祖父もしていなかったのだから、してないことがイコール独身ではないこともわかっているけれど。


 好み!

 あの人の顔を見た瞬間、そう思って手を見る。リングはない。背が高くて、笑うとかわいい、社員さん。いいなぁと思った。

思ったが、しばらく見ていて、気が付いた。あの社員さんは、他の女性社員さんを口説こうとしてる!

最初は、自分にその目が向けられなかったことにすねた。そしてその思いは地味に女性社員に対しての悪意に変わる。そんな自分に腹が立った。

しかし、しばらく見ているうちに、女性社員にまったくその気がないことがわかって、私はニヤニヤしだした。完全な傍観者になった。最近では、ドラマの一部を見ているようで楽しい。もう自分のいいなぁという思いはないのだ。


ところで、そのいいなぁという思い。まさか、他の人に向くとは思いもしなかった、というのが正直なところだ。どうしよう?いや、どうしようもないだろう、というのが私の完全な思いである。


私は派遣社員。しかもこの現場は三か月と短い。そんななか、同じ派遣さんがいいなぁと思うなんてことは絶対にないと思っていたのだが。

「おはようございます。」

「おはようございます。」

私はにっこりとほほ笑みかけた。彼の挨拶は朝から声がしっかりしていて気持ちがいい。はじめて席替えで同じチームになった時も、声がはっきりしている人だなぁと記憶している。

彼は栗原正志さん。同じ派遣社員の人だ。そして、いいなぁと思っている人でもある。しかし。顔を見るたびに、どこがいいと思うんだろうと、かなり失礼な自問自答をしている。その顔も半分はマスクで隠れているのだが。


 まず顔が半分隠れている。そのせいか年齢がわからない。身長は大きいようだが、隣に並んだことがないので、はっきりしない。いつも見かける彼の姿は座っていることが多いからだ。

見ていると、癖が出ている。自分で自分の髪をなでるとか。ナルシストか!と言いたいが、本人はまったく気がついていないのが面白い。いいなぁと思う部分は容姿ではないんだろうなぁと勝手に分析している。

ハンサムな社員さんとその気のない女性社員さんのドラマを見ている方向にたまたま彼が座っていた。席替えで変わらなければ、おそらくこの期間に話すことはなかったであろうと自覚している。

私は、人見知りではないが、積極性はない。近くの席にでもならない限り、人と話すことはないというものだ。


それは急だった。急に気が付いたのだ。あれ?なんで私はこの人をこっそり見ているのだろうかと。


「恋は急に落ちるものよ!」

 昔の恋多き友人の彼女の台詞が頭に浮かぶ。しかし、私は自分で否定してみる。たぶん、まだ落ちていない。でも落ちる淵に自分がいるという事は認識している。

 だが、比較的冷静に自分は考えている。

落ちてどうなる?

 彼は派遣社員だ。安定した職もない人と交際?若いころならまだしも、自分はそんなに若くはない。自分に稼ぎもなく、財産もないので、婿に来くればいいとも言えない。

 そんな人とどんな未来があるというのか。私は、ため息をそっとついた。

「そんな冷静だから、独りなのよ!」

 と、恋多き友人の彼女は言うだろうが、そんな彼女だって離婚した。

「自分だっていまは独りじゃない!」と言い返せないのは、彼女はきっと今日も誰かに恋をしているだろう、と想像できるからだ。

 私にそこまでの情熱はどうやら見当たらない。


 それでもせめて、友人にでもなってみようかと思ったが、無理な気がする。

 彼は、話しかけてこない。そして私も話題を提供するのは苦手な方だ。おそらく彼もそうなのではないかと勝手に思っている。彼に関する情報が少ない中、どうやって話しかけようかと考えるのだ。


 ツイッターとかしてます?(いや、こっちが見られた方が困るかも)

 ブログとかは?(おそらくそんな時間があれば本を読んでいると思われる)

 

 読んでいる本の内容でも聞いてみようか、と思いつつ、理解できない内容だったらどうしようとあきらめてもいる。

 私の反対側に座っているおばちゃんは、話題が豊富な人だ。その話の中でたまに彼を巻き込んで話すくらいしか情報が得られない。おばちゃんがいなければ、彼が昼休みに本屋に行っていることも知らなかっただろう。

自分も本屋に行ってみて、偶然でも装ってみるかと考えもしたが、趣味の邪魔はしたくない。自分が嫌がることは相手にもしないというのは基本だ。私の場合、漫画だらけの買い物を見られるのは嫌だ。ついでに、本は買うもので立ち読む気持ちもわからない。偶然は無理だとあきらめた。

このおばちゃんのおかげで、彼からの情報を得ていると言っても過言ではない。私は、ちょっといい出会いをしたと思っている。


 私の反対側に座っているおじさんも話の話題が豊富な人だ。このサラリとした話しかけ方が私にも身に付けばいいのにと、心から思っていたりする。しかし、おじさんと話している場合、栗原さんの顔が見えないのが残念だ。


「それでは、10分の休憩―――。」

 上司のアナウンスが入る。彼の方をこっそり見ると、もうドアの方に進んでいる。短い休憩時間に席にいない彼。長い昼休みにもいない彼。帰りもすっきりした声だけで、さっていく彼。どうやって、話せというのか。

 私は、彼の姿が完全に見えなくなった廊下をゆっくりと歩く。ペースを合わせてみるのはどうかとも思ったが、話すことがないとあきらめた。

 どうやら、ここにくる方向が違うらしく一緒に来ることも、一緒に帰ることもできない。偶然も起こり得ないという事だ。私の今回の出会いは、あきらめだらけで出来ている。


 昼休み。彼はあっという間に外へ出かけてしまう。

一方私は、同じ派遣社員の女の子と食事をする。私はいつも弁当だ。といっても、おにぎりだが。その代わり、お菓子が大好きで、お菓子を求めて出かけるほど好きだ。逆にそれ以外に出かけることがないせいか、外食できる場所を知らない。

 そんな状態で、一人を誘うどころか、集団でも食べに行こうよ!と誘えない自分が情けない。情けないのだが、変えられる気力もない。これもあきらめで出来ている。


「あ。」

食事から戻ってきた彼が机の飴玉に気が付いた。私と目が合う。

「あ、私。」

「ありがとうございます。」

「いーえ。」

 私は微笑んだ。私はお菓子が好きだ。つい、人にも配ってしまうほど。お返しはどっちでもいい。お菓子で人が微笑んでいるのが、好きだ。

 ついでにもう一つ。マスクをちょっと上げて、飴玉を口に放り込む、彼のしぐさが面白い。自分がマスクをしていると気が付かないが、人の顔の印象はマスクでずいぶん変わるという事を彼を見ていて気が付いた。

 普段は見ることのない顔をそっと見ながら、つい微笑む自分がいる。それには気が付かれたくないので、下を見て仕事を始めるのだ。

 たまに目が合うと動揺してしまうこともあるのだが。


しかし、そんななかでも時間は過ぎていく。もともと短期の仕事で、延長の予定は絶対にありえない。まだそんなに仲もよくなっていないのに、どう聞けというのか。


 次の仕事、決まりました?(自分は決まっていませんが)


 次の仕事を聞いて、自分も同じ場所に行けるとは限らない。同じ仕事ができるとは限らない。同じ場所に配属になるかも分からない状態に賭けられるほど私はまだ恋の深みにははまっていない。

 ふと、ハンサムな社員さんを見つめて考える。彼なら、ここに来れば会えるという保証があるけれど、会えたからといって話せなければ意味がない。会えたからといって近くにいられないのでは勝負にもならない。

きっと相手がこのハンサムさんでも私の状況は変わらないだろう。ハンサムさんにも転勤はあるだろうし、来年ここにバイトに来ても会えるかどうかの保証はない。私は、そっとため息をついた。社員だってそうなんだから、派遣社員なんてもっとそうだ。


 やっぱり、今回の出会いは最初からあきらめで出来ている。


突然、彼がため息をついた。

 私は、なんだか笑いたくなった。

「どうしました?」

彼が聞く。

「栗原さん、そんなにため息ばっかりついていると幸せが逃げますよ。吐いたら吸っとかないと。そうすると、深呼吸になるんですよ。」

 すーーーー。私の言葉通りに彼は息を吸い込んだ。マスクがペコンとへこむ姿に私は笑った。

 きっと忘れていける。

 会わずにこのまま、時間が過ぎてしまえば。今までの人もそうだったように、この人のこともきっと、忘れていける。

 今日も私はあきらめるのだ。期限はもうすぐだ。


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