1
暗い、暗くて冷たい中、目が覚めた。
いや、目が覚めるというのは適切ではないかもしれない。
目が、ないから。
目という器官が、耳という器官が、口という器官が、骨が、内蔵が。
鳥のような歌声は発せず、獣のような毛もなく、虫のような手足もない。
しかし周囲の様子が直接、無いはずの神経に触れていくようにわかる。
なぜわかるのかはわからない。
わかるからわかるのだろう。
自分と同じ風貌の生き物が幾つも蠢いている。
石炭から染み出してくる油のようなモノが、天井から滴る雫が地に弾かれ珠になるように個を作り、無意識的に動いているのだ。
自分も、同じ。
その身体には凹凸もなく、ただそこに存在するだけの肉塊。
だが、自分は違う。
目が覚めたのだ。
自分を、自我を手に入れた。
何時からこの場に存在しているのかは見当もつかないが、真の意味で自分は、生まれた。
生まれ変わった。
ただ存在しているだけの存在ではないのだ。
……自分を自覚したら、腹が減った。
内臓はないので、それが空腹を訴えているわけではない。
ただ、思考をすることによってエネルギーが足りないのだ。
手を、伸ばす。
無論、手はない。
が、この身の一部を伸ばすことは出来る。
なぜ出来るかはわからない。
出来るから出来るのだろう。
そうして捕まえる。
黒くて羽があってモサモサしていて「キーキー」とうるさいモノを。
口はない。
なので身体に沈み込ませるようにしてみる。
身体のなかで暴れているモノが徐々に溶けていっているのがわかる。
足りない。
飢えが癒えない。
手を、伸ばす。
毛にペタリとくっつける。
沈める。
中で圧力をかけてみる。
暴れていたモノが弾け体液が染み出てくる。
美味い。
手を、伸ばす。
先を尖らせ貫いてみる。
沈める。
身体の中でバラバラにしていき、観察する。
動かなくなったら、溶かす。
手を、伸ばす。
沈める。
手を、伸ばす。
沈める。
癒えない。
むしろ些細なモノを入れたせいで更に飢えが酷くなっている。
他になにかないかと、自分の身体に収めるモノを探す。
なにか、なにか、なにか。
うるさい生き物は喰べ尽くしてしまった。
他には――
いた。
いや、いる。
自分と同じ黒くてドロドロしたモノが。
しかし、同胞だ。
試しに意思疎通を図るも上手くいかないが、同じ姿をしているモノだ。
これから自分のように自分をもつかもしれないモノだ。
すごくヌラヌラしているモノだ。
すごくテラテラしているモノだ。
すごくウネウネしているモノだ。
すごく……美味しそうなモノだ。
手を、伸ばす。
足りない。
身体を、全体を波打たせ覆うようにして近くの同胞に飛びかかる。
暴れている。
自分がないのに自分がなくなるのが怖いのか、暴れている。
しかし、どうでもいい。
腹が減った。
身体の下で四方八方に飛び出そうとしているソレを抑え込む。
ギュッと身体の中で圧力をかけ、それでも足りないので身体全体を縮こませる。
溶かす。
ドロドロとしたモノを溶かせるかはわからなかったが、その命を溶かすように精一杯がんばる。
――やがて、抵抗がなくなった
気がついたら飢えは少しだけ満たされ、自分の身体は一回り大きくなったような気がした。
周りを見る。
相変わらず同胞が蠢いているが、翼を持っていたモノのように逃げはしない。
気が付いていないのだろうか?
……分からない。
だが、好都合だった。
もっと、もっと、もっと。
次の同胞へと飛びかかる。
「けふっ」
ゲップを一つ。
身体の中に入っていた空気を吐き出す。
周囲には動くもの一つない。
あれだけあったたべものが、今はもうない。
かなしい。
お腹を満たすものがなくなってしまった。
そして、少し――
さびしい。
今は多少なりを潜めている飢えが自分を支配していないので、周りを見る余裕ができた。
岩壁に囲まれていた。
表面は水に濡れ、地面もまた濡れていた。
他には何もなく、ただ半円に抉られた空間の中に自分がいた。
――ん?
僅かだが、空気が揺れている。
よく見れば、岩壁に走るひび割れのような裂け目から流れ込んできている。
外の世界との繋がりだ。
たべものがないこの空間から脱却できる裂け目だ。
この瞬間にもお腹は減ってきている。
ならば迷う必要は皆無。
目を覚ました当初と比べ倍の大きさになっていた身体を這わせ、進む。
意外とそこまでは遠い。
上へと傾斜がかかっている岩肌を、身体を引きずるようにして進む。
進み、裂け目に近づいたことで分かったことが二つ。
冷たい。
身が凍るような冷気が流れてきて、自分の中の誰かが引き返せと叫んでいる。
白い。
背後からのしかかってくる微温く澱んだ黒とは正反対の、光と白く荒れ狂うものが身体を打つ。
手を、伸ばす。
白に触れる。
未知の感覚に身が震えるが、怯えていてもなにも始まらない。
後ろには、何も残っていないのだから。
思い切って身を乗り出し、白の中に埋もれる。
自分の存在を、黒を塗り替えるように次々と白が襲いかかってくる。
が、特にない。
害を感じないので、不思議に思い身体を震わせてみると身体の表面を滑るように落ちる。
くすぐったい。
食べられるのかと疑問に思ったので身体に積もるそれを取り込んでみる。
……美味しくない。
どうやら、たべものではないらしいので、白いものは気にせず進む。
進む方向はどこでもいい。
ただ、下に向かうのは楽なので下を目指す。
裂け目を目指した時とは逆に、下への傾斜を進む。
進み、進み、転がる。
地にしがみついて進むよりも転がったほうが楽で、速い。
転がり、転がり――ぶつかる。
ぶつかったら上から白の塊が落ちてきた。
冷たくて、身動きが取りづらかったので食べた。
食べて身体が空気に触れると、見えた。
ぶつかった正体、茶色くゴツゴツとしているが岩ほど固くはない。
大きかったので手を伸ばし、少しかじってみるとボソボソした表面が剥がれた。
……美味しくない。
白いのもだが、美味しくないものに興味はない。
なので進む、進む、進む。
ひたすらに同じような景色の中進み続け、空腹になれば茶色のモノの表面を食べた。
周囲が岩の中のように暗くなり、そして眩く暖かい玉が天に昇る光景を幾度と見届け、それでも進む。
自覚はない。
ただ飢えに引き寄せられるかのように、ただ進む。
――見えた。
なんだか動くものが5つ。
四本足で茶色く、茶色の毛皮に一本の白い線を入れている生き物が見える。
額には角が二本、枝のように分かれているモノを生やしている個体と生やしていない個体が、地面にこびりつく草や木の皮を食べている。
飢えに、身体が震える。
迷わず近づく。
しかしゆっくりと。
洞窟で捕まえた蝙蝠が逃げるように、アレらも食べられないように逃げるだろう。
せめて手が届く距離まで静かに近づかなく――
逃げられた。
すごい速さだった。
もう少し手加減して欲しいほど必死で、呆気にとられてしまった。
お腹が減った。
同胞を食べたのを最後に、これまで木の皮しか食べていない。
すごく、ほしい。
肉が、他者の命がほしい。
しかし、ない。
仕方がないので、また進み出す。
次にアレに出会ったら絶対に食べてやると心の中で呟きながら。
そうして夜になる。
遠吠えが聞こえる。
前の夜の時も聞こえたが、なんなのだろう?
気にはなるが、自分の移動する際の音を紛らわせてくれるので好都合かもしれない。
アレに出会った際に見つかる可能性がグッと低くなると思うから。
と、たべものの為に思考を割いていると、なにかが走ってくるような音がする。
音……生き物=たべもの!とくればワクワクが止まらない。
さっきの茶色のかと期待して音を鳴らすほうへと意識を向けると、なんだか思っていたのと違うものが姿を現す。
灰色だ。
茶色のやつより小柄で、そして唸っている。
いつの間にか周りを囲んでいる三匹のそれらは、グルグルと回って自分の様子を伺っている。
なんだろうこれ?
と身体を震わせるが、飢えが酷いのであまり考えずに手を伸ばす。
三本。
先を尖らせた手を、露が木の葉から落ちるよりも速く灰色の毛皮に突き刺す。
三匹は蝙蝠のように暴れる。
死に物狂いで。
なので、手を少し太くして灰色が滑り落ちないようにしてから引き寄せる。
爪で引っ掻き、牙を突き立ててくるが、気にしない。
ズブズブと身体の中に沈めて、溶かしていく。
美味しい。
食事中に暴れているのも最初だけで、時間をかけてゆっくり消化してあげるとすぐに動かなくなる。
蝙蝠の時は意識していなかったが、毛が燻り皮が灼け、肉が蕩けて内臓が自分の黒い身体の隅々まで染み渡る過程を意識すると、なお美味しく感じる。
……気がする。
茶色のとは違い、この灰色は自分から食べられに来てくれるいいやつだ。
他にも来てくれないかな?と期待し消化しながら待ってみるが、来ない。
飢えは収まりはしたが、腹はまだ減っている。
「足りないな……」とポツリと呟きが出てしまう。
だが、まあいい。
天に浮かぶ明るい玉、朝に浮かぶ下品な光を放つモノとは違い、黒を穿つ白く綺麗なソレが頭上の木から木へと移動するほど待つと、もう来ないなと諦め先に進むことにする。
次のたべものを探し求めて。