2
部屋に入った瞬間、しまったと思った。
こんなにはやく、見つかるなんて__
長年、隣で笑っていた顔が切なげに微笑んだのを見て今すぐ逃げ出したくなった。
* * *
「奥様。」
「ミア、急に呼んでごめんなさいね。」
ソファに座って本を読んでいた奥様がこちらをみて微笑む。いつ見ても綺麗なお人だと思い直す。豊かな金髪は緩く結われて慈愛に満ちた眼差しが細められてより一層美しく映える。公爵様と奥様は恋愛婚だと屋敷にきた当初奥様から聞いたので正直羨ましいと思ったのだ。こんなに美人ならば意の相手と添うことなど簡単ではないかと。実際は違うけれどひとというものは卑屈なものだから、と自分を蔑んだのはその後の話。
ただ、村娘の私にも丁寧に礼は崩さずひとりのひととして見てくれる。そんな人だからこそ私はこの人を美しいと思うのだ。
「いえ、どうかされましたか?」
「いいえ、わたくしではないわ。貴女に会いたいと言う人がいてね。診てあげてほしいの。」
奥様は眉を寄せて此方を伺う。命令とあらば私に断ることができないと分かっているからこそ彼女は願う。とてもとてもお優しい人。
そんな人の頼みを断るはずもない。
「わかりました。私のできる範囲内で尽力します。」
「ありがとう、ミア。」
奥様は立ち上がって花が咲くような笑顔で私を抱きしめようとするので大人しくされるがままに。この使用人に対する態度は如何なものかしら……?時々そう思うのだ。
「話を聞いてあげて。素直になりなさい。」
ぼそりと耳元で呟かれた言葉を聞き返そうと奥様と呼んだら切なげに笑われて何も言えなくなった。そんな私をみて奥様は応接室に行きなさい、そこでお待たせしているわ。と背中を押されて部屋からでた。
奥様の意味深な行動に首を傾げながらも指示された応接室に足を進める。途中、フリード様に会ったけれど先程のことは露とも感じさせずに甘い笑顔で僕を選びなよ?と言われましたので何も言わず一礼だけしてきました。
フリード様はお優しい。
お優しいからこそ尚更その手はとれない。
ぎゅっと服を握って気持ちを落ち着ける。これから仕事だから。
大きな扉をノックする。中から声が聞こえて失礼しますと部屋に入る。
部屋に入った瞬間、しまったと思った。けれど確信が持てなくて座っていたソファーから立ち上がって此方をみるひと。長年見慣れたあの焦げ茶色の髪が揺れて___
「やっと、見つけた……」
喉から絞り出すような声が響いて胸の奥がキュッと縮む。
こんなにはやく、見つかるなんて__
長年、隣で笑っていた顔が切なげに微笑んだのを見て今すぐ逃げ出したくなった。
「何用でしょうか。」
自分でも驚くほど低い声が出て無意識のうちに手を握りしめていたと気づく。彼が息を飲んだのも此方をくもりのない瞳でじっと見ているのも。よく、わかってしまう。彼が何かを言おうとしているのも私に対して何を言って良いのか悩んでいるのも手に取るように分かる。
そこが弱点だと、直さなければならないと。
素直さを自ら否定していたのに。
いつの間に彼は昔に戻ったのだろう。優しく剣を振るうことさえ厭うとてもとても優しい優しいひとだったのに。彼は変わってしまったからこそ勇者として旅に出たのに。いつの間にか彼は昔に戻ってしまっている。魔王討伐を果たしたからなのか。それとも別の何かがあるのか。
「……ミア、話をしにきたんだ。座ってほしい」
「……私は公爵家にお仕えする薬剤師です。…勇者様と身分が違います。ご用件は何でございましょう。」
「……ミアッ!」
頑なに貴男を拒む私を切なげで哀しい顔でみるこっちに来ないで。私の生活を狂わせないで。これ以上誰かを想うたびに傷付くなんて嫌なの。だから__
「……もうこないで」
「!ミアッ!」
こちらに来ようとする彼の手から逃れるように扉を開け放って走る。幸いにも扉の外には誰もいなくてそのまま廊下を全速力で走る。後ろから呼ばれるけれど振り向かずにただ前を見て走る。
滲む視界は拭っても拭っても変わることはなくてそれがまた足を早める。
あてがわれている自室に入ってベットに倒れ込む。なんでなんで、今更になって追いかけてくるの。昔馴染みの私に結婚の報告をしにいたのかしら。あぁ、なんてはた迷惑な。それともけじめをつけにきたのかしら。ならちゃんとあって話した方が良かったのかも。彼には悪いことをした__けれど、
もうここにはいられない。
ベッドから起き上がって多くはない荷物の片づけを始める。奥様と公爵様には終わってから挨拶に行こう。フリード様には正直言いたくないけれど言わなければ。薬剤師は他にもいる、それにもとから仕えていたお医者様もいる。私が抜けても困りはしない。




