*緋の鬼神と呪の鬼守*
遠く昔、幼き日の出来事。鬼神の運命の始まりの日。
6歳の頃、鬼神として人間に捕らわれた緋誓は12歳となり、鬼神としての能力は既に完全なる物となっていた。しかしそれは、緋誓の心を締め上げるほどの苦痛を伴う物だった。
『……緋誓さん……』
『!!』
遠くの方で自分を呼ぶ声に、緋誓はビクリと身体を震わせた。
『緋誓さん、こんな所に……』
『ぃやあ!!』
『!?』
声の主が緋誓の肩に触れた途端、緋誓は悲鳴のごとき声を上げ、その手を振り払った。
『お、落ち着いて下さい、緋誓さん! 私です。音璃呪ですよ!』
『音……璃呪……?』
『ええ、音璃呪です。驚かせてしまったようで、申し訳ありません。お怪我はありませんか?』
音璃呪は緋誓を気遣うように、穏やかな声音で言った。……が。
『……ぅ……わぁぁぁぁぁあん!』
『!?』
突然、まるで幼子のように泣き出してしまった緋誓。音璃呪は予期せぬ事にたじろいだ。
『えっちょっ! 緋誓さん!? どうしたんです!? どこかお怪我でも―…』
『音璃呪ごめんなさいぃー!!!』
慌てる音璃呪をよそに、緋誓は泣きながら謝った。
『? どうしたんです? 私は怒ってなどいませんよ……?』
『ごめんなさいぃー! 音璃呪も翠憐も……ごめんなさいー!!』
『……緋誓、さん……?』
さすがに、音璃呪もおかしく思った。悲鳴を上げ、手を振り払った事を謝るなら、おかしな事は無い。しかし、それに“翠憐”は関係無い。
『ごめんなさいー…!』
未だ泣きながら言い続ける緋誓に、音璃呪は問い掛けた。
『……緋誓さん。間違っていたら、すみません。緋誓さんの仰る“ごめんなさい”は、今のことではなく“鬼守”の事ですか……?』
『……ッ!?』
“鬼守”と聞いた途端、緋誓は身体を震わせ謝る事を止めた。
『やはり……。まあ、そうでもなければ、我が妹は関係ありませんからね』
『音璃呪は、知ってたの……?』
『当の“鬼守”の片割れですから』
緋誓の問いに、少しおどけて答える音璃呪。しかしそれは、逆に緋誓を悲しませることとなった。
『わ……たし……』
その悲しみは、最悪の道を導き出す。
『……して……』
低く掠れた声が放たれた。
『え……』
『私を……殺して……ッ!!』
『な……にを言っているんですか、緋誓さん! 自らを殺せだなんて―…』
『だって!』
音璃呪の叱責も、今の緋誓には届かない。悲鳴にも似た悲痛な声音で、緋誓は音璃呪に訴えた。
『だって私さえ……鬼神さえいなくなれば、鬼守なんて役目はなくなる! そうすれば……あんな“禍事”は起こらない……!! そうでしょう!?』
鬼神として生まれ、鬼神として育てられた緋誓は、既に全てを知る時を迎えていたのだ。1人の鬼神に付くことが赦される鬼守が、たった1人であることを。
『緋誓さんが気に病む必要はありませんよ。どうせ私は、遅かれ早かれ狩られる存在なのですから』
『それも私がいるからよ……』
その事実が、音璃呪か翠憐、兄妹どちらかの死を意味することも。そして、その死を下すのが、鬼神である自らだということも。
『緋誓さん、翠憐はまだ幼い。故に死を下すのならば、どうぞこの私、音璃呪にお下しください……』
緋誓の前に跪き、自らの死を乞う音璃呪。差し出される手には、鬼を滅する対鬼刃器が握られていた。鬼神として、絶対に拒むことの出来ない願い。緋誓はゆっくりと、静かに対鬼刃器へと手を伸ばす。
『緋誓さん、あなたは何も悪くない。悪いのは、我ら鬼を利用する“人間”です……』
『音璃呪……あなたの命を糧とすること、あなたの妹を……翠憐を利用することを、赦して…』
緋誓は対鬼刃器を振り上げた。真っ直ぐに、音璃呪を見つめて。大切な人を屠る苦しみと痛みに耐えながら。“鬼神”として、その“仕事”に向き合った。
『我、今鬼神として、不要な鬼守であるそなたを葬る。言伝があれば聞こう』
頭上高くに掲げた対鬼刃器が、日の光を鈍く反射する。本当はかけてはならない最期の情け。それが緋誓の、せめてもの償いであった。
『……翠憐を、頼みます……』
たった一言の言葉だった。けれど、それが全てだった。
緋誓は対鬼刃器を振り下ろし、音璃呪は最期の微笑みを見せた。
初めて自らの手で誰かを屠る。その瞬間、緋誓の辿る“緋の宿命”が始まった……。
読んでくださってありがとうございます。まだまだ続きますので、これからも読んでやってください。