*朱き海に咲く紅き花*
鬼神・緋誓の失われた母との時間。
これは、鬼神の身に生まれた1人の少女と1人の鬼狩の少年の、辛く、哀しい物語である。
* * *
『かあさまー』
幼い少女が、真紅の花を持ち、石畳の道を駆けて行く。
『みてください、かあさま。ヒサナギのおはながさきました』
少女は嬉しそうに笑いながら、少女の母の待つ家の扉を開いた。
『……っ!』
扉を開いた少女の鼻腔を錆びた鉄の様な臭いが刺激した。
『かあ……さま……? かあさま、どこですか……?』
少女の中に、不安がうまれる。不意に少女の脳裏に浮かぶ、赤。ヒサナギを持つ手に力が籠もる。
『………………』
少女は進む。少女の家を、静かに進む。《柩の間》へと、ただ真っ直ぐに。
『……“此より先、我が眼に映る中に、涙の溢るる事なかれ”……』
真っ直ぐに廊下を進む少女の瞳には涙が浮かび、その唇は呪文を紡ぐ。
『……“我この扉を開きしとき、災いの無きことを”……』
否、それは少女の祈りだった。憑かれたように紡がれる言葉は、幼き少女のものではなく……。
『かあさま……どうかごぶじで……』
そう祈りながら、少女は扉に手をかけた。少女の胸を押し潰さんばかりの不安を無きものとして。
『――…っ』
だが、少女の祈りも虚しきもので。
『……うそ……です……』
強く握り締められていたはずのヒサナギの花々が、少女の手を滑り、バサリと地に落ちた。
『……そんな……どうして……?』
そこには、ヒサナギの花より尚深く、鮮やかな朱い海が広がり、その朱い海に身を横たえる母の姿。そして-―…。
『……おまえが……。……おまえがわたしのかあさまを……っ!』
そして、深い碧の外套を羽織り、そのフードを目深に被った1人の人影。外套から覗くその手は、母の横たわる海と同じ朱に染まっていた。
『……貴女が、緋誓様……斐坐波家の姫君。……我々が探し続けてきたあの……』
少女へと振り返った人影から発せられた声は低く、明らかに女性ではない。
その姿に、声に、少女の心が引っかかりを覚えた。
『……おまえはだれ?』
少女は問うた。ただ静かに人影を見据えて。
『とても幼き小さな神よ……。これは貴女の定めです』
人影は答えた。だがそれは、少女の欲する答えではなかった。
『……おまえは、だれ……?』
少女は再度、人影に問うた。
『私は……』
少女の中で警鐘が鳴る。この答えを聞いてはならないと。少女の内なる何かが、警告する。
『私は、お……』
『おい! 早くしろ!!』
人影が、少女の問いに答えようとしたとき、家の外から怒鳴り声が聞こえた。そして―-…。
『悪ぃな、神さんよ。ちぃと眠っててくれや』
背後から聞こえたその声を最後に、少女の意識は途絶え、闇に呑まれた。
これが、鬼神・斐坐波緋誓の辛く哀しい、世にも残酷な記憶の……全ての始まりである。
お付き合い頂きありがとうございました。
まだまだ続きますので、どうぞ見てやってください。評価、感想等頂けると嬉しいです。