旅日記「アナタのため」
いえ、主人ではないんですよ。
二十代後半程だろいか、少しプックリとした顔もちの女性は小恥ずかしそうに口に手を添えて笑った。
それを聞いているのか否か、どっしりと座る眉間の皺が深い四十代程の男性はちゃぶ台に寄り掛かるようにしてテレビから一度も目を離さず、私に気づいてないのか関わりたくないのかテレビ番組をじっと見ていた。
私は二人は籍を入れられないのですかと、こちらを向かない頑固そうな男性に聞こえない程度の声で聞いてみた。
すると女性は目をゆっくり伏せて、男性に聞こえない声で答えた。
あの人には昔、大事な人がいました。もう何年も前に亡くなっています。あの人はその頃の記憶はまったくありません。最愛の人を失ったショックから自分の記憶閉ざしてしまい当時の記憶を失ってしまいました。残った記憶の品はそこの写真のみになってしまったのです。
淡々と小さな声で話す女性。
彼女の目線の先、月日を感じさせる綻びた写真には、テレビを見ている男性の若い姿とこちらも若々しい痩せ型の女性が二人、仲睦まじく手を取り合っているのが見てとれた。
私は彼と出会い、最初は哀れみました。しかし思う伏があったのでしょう、次第に寄り添うようになり、今ではこのような生活を、
女性は嬉しそうであり、少し悲しみも含んだ表情で付け足して話してくれた。
……それは、その日宿が無く、偶然その家に居候をした時の話。
おしゃべりをしていたら辺りは直ぐに暗くなり、私はお借りした寝具で床に着こうとした時、咄嗟に人の気配を後ろに感じた。
おい、若えの、あんまり詮索せんでくれるか。
既に横になっていた私は、突然の事に大声を上げそうに驚いたが、そこは咄嗟に手で抑え堪えた。
彼奴はな、娘なんだ。
そこには、私にろくに関わりを持とうとしなかった頑固親父がいた。
彼は絶対なる口外無用を条件に話してくれた。
さっきも言ったが彼奴は娘なんだ。彼奴は大好きだった彼氏を数年前に亡くした。こんな月夜が綺麗な日に不慮な事件だったよ。心の傷は計り知れなかったのだろう、神様は娘の記憶を根刮ぎ持っていき、今では父親の顔すら知らねえらしい。目の前にいるのにな。
眠気眼の私は、何が何やら分からなかったが、一応状況は飲み込めた。
そして、いつの間にかそれに聞き入り、彼はゆっくりと続きを話してくれた。
最初は娘が記憶を取り戻すように、理解出来るように必死に会話をした。だが、効果はまったく無く娘の中で作り話は独り歩きを初めた。今では知らないおじさんの哀れみを癒す為に同居生活してもらってる訳さ。酷いもんだろ。そこの古い写真の話をしてたろ? あれは妹本人なんだ美人だろ? 。精神のショックは病院生活が長く続いたからストレスもあって体型も変わってしまったんだと病院の先生が言ってたよ。
次の日の朝は雲が無く、気持ちいいくらいに晴れ渡っていた。仲睦まじい二人のお見送りを受け、私はそこを跡にした。