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異世界転生した俺、婚約破棄された氷姫の仮恋人になっただけなのに、なぜか本気で好かれてる気がするけど本人が絶対に認めない  作者: 御上常陸介寛浩


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6/21

第6話 王子派の忠告は、だいたい脅しでできている

放課後という時間には、独特の油断がある。


 一日の授業が終わり、緊張が少し緩む。教室の空気は軽くなり、帰宅する者、部活や研究会へ向かう者、友人同士でだらだら話す者、それぞれが自分の時間へ戻っていく。だからこそ、その流れから少し外れた場所にいると、かえって浮く。


 その日、俺はまさにその“少し外れた場所”へ誘導された。


「少し話がある」


 教室を出たところで声をかけてきたのは、二年生らしい男子生徒だった。上級生にしては顔立ちが若く見えるが、制服の意匠が一つ上の学年を示している。柔らかな物腰で、いかにも害のなさそうな顔をしていた。


 だが、そういうのはだいたい信用してはいけない。


「俺にですか」

「そう。悪い話じゃない」


 悪い話じゃない、と先に言う話は大抵悪い。前世でも何度も見た。


 だがここで露骨に警戒するのも角が立つ。まして相手は上級生で、しかもこの学園は貴族社会の縮図みたいな場所だ。下手に無視すれば、そのこと自体が余計な火種になる。


「すぐ終わる」

「……分かりました」


 本当は、セレスティアと一緒に帰る約束がある。いや、約束というより命令に近いが。放課後はルーヴェン家の馬車で帰る、その中で“どこまでが本当でどこまでが演技か”を整理する。フィオナに言われたことも含めて、必要な話だ。


 だから早く済ませてほしい。そう思いながら、俺は上級生の後について歩き出した。


 校舎の裏手へ回ると、人通りは急に少なくなる。表の華やかな石造りの回廊とは違い、こちら側は実務用の通路や倉庫が並んでいて、人気が薄い。夕方の光が長く伸び、壁際に濃い影を落としている。


 嫌な場所を選ぶなあ、と思った。


 案の定、角を曲がった先には三人いた。


 最初から一人では済まないと思っていたが、こうも分かりやすいと逆に感心する。昼の演習場前で見たクラウス・エーデルハイトの姿もある。その時点で、もう「少し話がある」は完全に信用を失った。


「連れてきました」


 俺を案内した上級生がそう言うと、クラウスの隣にいた長身の男子が薄く笑った。


「ご苦労」


 この男が多分中心だ。


 栗色の髪を後ろへ流し、目元は涼しく、立ち姿には“自分が人より上である”という自覚が自然に滲んでいる。制服の着こなしも乱れがなく、紋章入りの留め具を見る限り、かなり家格が高い。


「アルノー・ヴェルグレインだ」


 やはり向こうから名乗ってきた。


「ヴェルグレイン辺境伯家の嫡男。二年だ」


 辺境伯家の嫡男。


 重い。非常に重い。下級貴族の次男が気軽に相手をしていい格ではない。いや、そもそも気軽に話していい空気でもない。


「エイト・アルヴェルです」

「知っている」


 即答された。


 知っていて呼んだのだから当然だが、改めて言われると少し胃にくる。


 アルノーは腕を組んだまま、俺を上から下まで眺めた。あからさまな侮蔑ではない。ないが、明らかに値踏みしている。


「まあ、そう怯えるな」

「怯えているように見えますか」

「見えるな」

「そりゃどうも」


 これで見えない方が無理だろう。


 クラウスが小さく笑った。昼の件があるせいか、俺を見る目に遠慮がまるでない。取り巻きのもう一人――丸顔で金縁の眼鏡をかけた男子も、面白がるように口元を緩めている。


「安心しろ、アルヴェル。私たちは別に、お前を殴ろうというわけじゃない」


 アルノーの口調は穏やかだった。


 穏やかで、だからこそ余計に嫌だった。


「ただ、助言をしに来ただけだ」

「助言」

「そうだ。お前は少々、分不相応な場所へ首を突っ込みすぎた」


 来た。


 昼のクラウスより、だいぶ露骨だ。


 だがそれでも“忠告”という体裁は崩さない。分不相応。つまり身の程を知れ、ということだ。直球だがまだギリギリ上品さの枠内。貴族って便利だな。


「昨日の件は学園中の笑い話だ」


 アルノーは淡々と続ける。


「第一王子殿下とルーヴェン公爵家令嬢の婚約破棄。その場へ飛び出してきた下級貴族の少年。噂としては実に面白い」

「それは知ってます」

「知っているのに、今日もそのまま隣を歩いていた」

「必要だったので」

「必要?」


 アルノーの片眉が上がる。


「誰にとって?」

「少なくとも、俺が勝手に決めた話ではありません」

「ほう」


 そこでクラウスが口を挟んだ。


「つまり、ルーヴェン嬢に求められている、と?」

「そこまでは言ってません」

「似たようなものじゃないか」

「全然違います」


 即答すると、眼鏡の男子がくすくす笑った。


「面白いな、本当に」

「笑いに来たなら帰りますけど」

「帰れると思ってるのか?」


 クラウスの声が少しだけ低くなる。


 空気が一段冷えた。


 俺は内心で舌打ちしたい気持ちを抑えた。ああ、やっぱりそう来るか。礼儀の皮をかぶったまま、少しずつ脅しへ滑らせてくる。前世の会議室でも似たような場面はあったが、今は逃げ道が少なすぎる。


 アルノーはまだ笑っていた。


「短気だな、クラウス。彼はまだ自分がどれほど危うい立場か理解していないだけだ」

「理解しているつもりです」

「つもり、だろう」


 その一言が、妙に重かった。


 アルノーは一歩だけ近づく。


「お前の家はアルヴェル男爵家。小さな領地、細い財政、王都での発言力はほぼなし。間違っているか?」

「……調べたんですか」

「調べるほどのことでもない」


 さらりと言われた。


 家の規模、財政、発言力。数字にすればそうなのだろう。だが、他人に平然と並べ立てられると不快だ。父が地道に守ってきたもの、母が切り詰めて回してきたもの、兄が背負うだろう未来。その全部が“ほぼなし”の一言で片づけられる。


 腹の底に、じわりと熱が溜まる。


「そんな家の次男が、王子殿下の周辺へ顔を出していい場面ではない」


 アルノーは静かに言う。


「しかも相手はルーヴェン公爵家の令嬢。お前ごときが隣に立てば、それだけで周囲に余計な誤解を与える」

「それを決めるのはあなたですか」

「決めるのは空気だ」

「便利な言葉ですね」


 思わず口から出た。


 しまった、と思った時にはもう遅い。


 眼鏡の男子が目を丸くし、クラウスが露骨に口元を歪める。アルノーだけは表情を変えなかったが、その沈黙が逆に怖かった。


「便利、か」


 彼は少しだけ笑う。


「そうだな。便利だ。空気というものは、上にいる側が上手く使えば、下の者を簡単に押し潰せるからな」


 随分と率直に来たな。


 むしろここまで正直な方がありがたいかもしれない。綺麗事を言われ続けるよりは、まだ話が分かる。


「だったらなおさら、昨日みたいな発言は二度としないことだ」


 アルノーの声は穏やかなままだった。


「ルーヴェン嬢とも距離を取れ。今日で十分、笑いものにはなっただろう。これ以上続ければ、お前だけでは済まない」

「家にまで来る、と?」

「理解が早くて助かる」


 クラウスが答えた。


「男爵家程度なら、噂一つで首が回らなくなることもある。王都の商人は敏感だし、役所の手続きも遅くなるかもしれない。お前の父上は苦労なさるだろうな」


 そこで初めて、俺の中の何かがはっきりと切れかけた。


 俺個人を脅すだけならまだしも、家を持ち出すのは違う。


 父の顔が浮かぶ。朝、食堂で「家の名を忘れるな」と言ったあの重い声。怒っていた。だが同時に、本気で心配していた。あの人はきっと、自分が前に出て守れるならそうしたいと思っている。けれど現実には、家を守るためにじっと耐える側へ回るしかないことも多いのだ。


 それを、この連中は当然の手札みたいに口にする。


 胸の奥に熱が溜まる。怒りだ。久しぶりに、自分でもわかるくらいの。


 だがここで怒鳴っても負けだ。


 前世で嫌というほど学んだ。相手が余裕を持っている場で感情を露わにした人間から、だいたい損をする。


 俺は一度息を吸って、吐いた。


「……ずいぶん親切ですね」


 アルノーが目を細めた。


「何?」

「俺みたいな下級貴族一人のために、わざわざ辺境伯家の嫡男が時間を割いて忠告しに来るなんて」

「皮肉か」

「半分くらいは」


 クラウスが一歩踏み出しかけたが、アルノーが手で制した。


 俺は続ける。


「本当に笑い話で、取るに足らないなら、放っておけばいいでしょう。なのにこうして呼びつけてるってことは、少なくとも笑って終わるだけじゃ困るんじゃないですか」

「……ほう」


 アルノーの表情が、少しだけ変わった。面白がっているようにも、値踏みをし直しているようにも見える。


「例えば」

 俺は慎重に言葉を重ねる。

「俺が下級貴族のまま勝手に騒いでるだけなら、放置が一番楽です。でもセレスティア様が否定しない。今日も一緒にいた。それが困るから、俺個人を崩しに来た。違いますか」


 数秒、沈黙が落ちた。


 眼鏡の男子の笑みが消える。クラウスは露骨に不機嫌になる。アルノーだけが、ゆっくりと息を吐いた。


「案外、頭は回るな」

「ありがとうございます」

「褒めてはいない」


 でしょうね。


 アルノーは腕をほどいた。


「だが、理解しているならなおさら引くべきだ。お前はあの令嬢を助けているつもりかもしれないが、現実にはもっと大きな力に踏まれるだけだ」

「かもしれません」

「なら」

「でも、それを決めるのは俺です」


 言ってしまってから、自分で胃が痛くなった。


 重い。今のはだいぶ重い。だが、引けなかった。


「少なくとも、脅されてやめるつもりはありません」

「脅しだと受け取ったのか」

「違うんですか」

「忠告だ」

「じゃあ、ずいぶんよくできた忠告ですね」


 今度は完全に皮肉になった。


 クラウスが舌打ちする。


「調子に乗るなよ、下級貴族」

「乗ってません」

「乗っている」

「そう見えるなら、それはそっちの問題でしょう」


 うわ、俺、今日けっこう言うな。


 自分でも驚いている。多分、家のことを持ち出されたのが効いた。前世の俺なら、ここまで言い返さずにもっと綺麗に流したかもしれない。だが今は、“流していい線”を越えた気がしていた。


 アルノーは俺をしばらく見たあと、ふっと笑った。


「なるほど。単なる勢いの馬鹿ではないらしい」

「その評価、嬉しくないです」

「嬉しくなくて結構だ」


 そして彼は、さっきまでより少し低い声で言った。


「なら、言葉を変えよう。今のうちに引かないなら、次はもっと面倒な形になる。授業、演習、学園外での噂。どこで何が起きても不思議ではない。お前一人ならまだしも、家まで巻き込みたくないなら、考えを改めろ」


 正面からの最後通告、というところか。


 俺は返答しかけて――その前に、背後から別の声が飛んだ。


「面倒な形、とは具体的に何を指しているのかしら」


 その声を聞いた瞬間、場の空気が一変した。


 俺が振り返ると、そこには黒髪の少女が立っていた。きっちりとまとめた髪、無駄のない姿勢、そしてひどく冷たい目。セレスティア付きの侍女見習い――ミレーユだ。


 俺も驚いたが、向こうもわずかに顔色を変えた。さすがにこの場面で公爵令嬢側の侍女に踏み込まれるのは想定外だったのだろう。


 ミレーユは俺の横まで来ると、アルノーたちを一人ずつ見渡した。


「ヴェルグレイン様、エーデルハイト様、それに……」

「名乗る必要はない」


 眼鏡の男子が慌てたように言う。ミレーユはまったく気にしなかった。


「では結構です」


 ばっさりだ。


「お嬢様がお待ちです、エイト・アルヴェル様」

「……はい」

「今すぐに」


 その言い方に、拒否権はない。


 いや、今はありがたい。心の底からありがたい。


 だがその前に、ミレーユはもう一度アルノーたちを見た。


「なお、もし今の会話が“忠告”でなく“威圧”に近いものであったなら、ルーヴェン家としても相応の対応を考えます」

「誤解だ」

 アルノーがすぐに言う。

「ただの先輩としての助言だ」

「そうですか」


 ミレーユの声は平坦だった。


「でしたら、そのような助言は今後不要です」


 言い切ると、彼女は俺へ視線を戻す。


「行きますよ」

「はい」


 俺は小さく頭を下げて、その場を離れた。背中に視線が刺さる。クラウスの苛立ち、眼鏡の男子の面白くなさ、アルノーの測るような沈黙。全部、振り返らなくても分かる。


 曲がり角を二つほど抜け、人通りのある回廊へ戻ったところで、ようやく息を吐いた。


「……助かりました」

「お礼は結構です」

「ですよね」


 ミレーユは足を止めないまま言う。


「そもそも、なぜのこのこついて行くのですか」

「断りづらかったので」

「断りなさい」

「上級生と辺境伯家嫡男と侯爵家三男相手に?」

「お嬢様の名を出してでも」

「それ、余計に火がつきません?」

「すでについています」


 それはそうだ。


 ぐうの音も出ない。


 ミレーユはちらりとこちらを見る。相変わらず冷たい目だが、さっきより少しだけ観察の色が混じっていた。


「何を言われましたか」

「身の程を知れと」

「他には」

「家まで巻き込むぞ、とまでは言ってませんけど、そう受け取れる話を」

「……そう」


 その一言だけ、温度がさらに下がった。


 さっきのアルノーたちに向けていた時と同じ種類の冷え方だ。


「お嬢様には?」

「報告した方がいいですか」

「当然です」

「怒ります?」

「怒るでしょうね」

「俺に?」

「あなたにも、向こうにもです」


 それはちょっと見てみたい気もするが、俺が巻き添えを食う未来しか見えない。


 回廊を抜け、正門側の車寄せへ出ると、そこにはすでにルーヴェン家の馬車が待っていた。白い車体、銀の縁、落ち着いた紋章。朝見た時と同じはずなのに、今は妙に安心して見えるから不思議だ。


 馬車のそばにはセレスティアが立っていた。


 こちらへ気づくと、青い瞳がまっすぐ向く。その視線は普段通り静かだが、ミレーユが一緒に現れた時点で何かを察したのか、わずかに鋭さを帯びていた。


「遅かったわね」

「すみません」

「謝罪はあと。何があったの?」


 即座に本題へ来た。


 隠しても無駄だろう。ミレーユも報告するつもり満々だし、ここで誤魔化せば余計にこじれるだけだ。


 俺は短く息を吸い、アルノーたちに呼び止められたこと、校舎裏へ連れていかれたこと、身の程を知れと言われたこと、家にまで影響が及ぶと匂わされたことを、できるだけ簡潔に説明した。


 話し終えた時、セレスティアの表情は変わっていなかった。


 変わっていないのに、空気だけが明らかに冷えていた。


「……そう」


 静かな声。


 静かすぎて怖い。


「クラウス・エーデルハイトに、ヴェルグレイン辺境伯家の嫡男」

「アルノー、でした」

「覚えたわ」


 短い一言だったが、ものすごく不穏だった。


 俺は慌てて付け足す。


「でも、別に何かされたわけじゃないです」

「十分されているわ」


 即答だった。


「あなた、そういうところ鈍いのね」

「いや、鈍くはないと思うんですが」

「鈍いわ。校舎裏へ呼び出されて、家への圧を匂わされて、それを“別に何かされたわけじゃない”で済ませるのは、十分鈍い」


 そう言われると反論しづらい。


 前世の感覚で言えば、まだ“言葉だけ”の段階だ。だがこの世界、この学園、この身分社会では、言葉だけで十分に攻撃なのだろう。


 セレスティアは小さく息を吐いた。


「……勝手に一人で狙われないで」


 その一言は、思っていたより低くて、思っていたより感情が混じっていた。


 俺は目を瞬く。


「それ、俺のせいですか?」

「半分はそうよ」

「半分」

「残り半分は、あなたに近づいた私のせい」


 言ってから、セレスティアは自分でも少し言いすぎたと思ったのか、視線を逸らした。


 ミレーユが無言で馬車の扉を開ける。


「中で話してください」

「そうするわ」

 セレスティアが言う。

「あなたも乗って」

「はい」


 俺が馬車へ足をかけると、車内には朝と同じ上質な香りが満ちていた。だが今は、その静けさが少しだけ緊張を含んでいる。


 向かい合って座ると、セレスティアはすぐに切り出した。


「まず確認するわ。今後、誰かに呼び止められても、一人で人気のない場所へ行かないこと」

「はい」

「即答は結構。今度こそ守りなさい」

「はい」

「それから、何かあればすぐ私かミレーユに伝えること」

「……分かりました」


 素直に答えると、セレスティアは少しだけ眉を寄せた。


「反論しないのね」

「した方がいいですか」

「別に」

「じゃあしません」

「調子が狂うわ」


 そう言われても困る。


 だが、少しだけ空気が軽くなった気がした。多分、彼女も怒っているだけではないのだろう。あの場で俺が何を言い返したのか、どこまで踏み込んだのか、それをまだ測っているような目だった。


「……で」


 セレスティアが改めて俺を見る。


「あなたは、何と返したの?」


 そこを聞くのか。


 俺は少し迷ってから、アルノーに対して言った言葉をほぼそのまま伝えた。放っておけばいいはずなのに、わざわざ崩しに来るのは困っているからではないか。脅されてやめるつもりはない。決めるのは俺だ。家を持ち出すのは違う――そのあたりを。


 聞き終えたセレスティアは、しばらく黙っていた。


 まずかったか。


 やっぱり余計に煽ったか。いや実際そうだろうな。ああいう相手に理屈で返せば、面白く思わないに決まっている。


 そう思っていると、セレスティアがゆっくり口を開いた。


「……馬鹿ね」

「はい」

「でも」

「でも?」

「黙って頭を下げるよりは、ましだったかもしれない」


 俺は思わず顔を上げた。


 セレスティアは窓の外を見ている。だから表情はよく分からない。だが声は、昨日よりずっと人間らしかった。


「勘違いしないで。無茶を肯定しているわけじゃないの」

「はい」

「ただ、ああいう人たちは、一度下げた頭を一生覚えているから」

「……なるほど」


 それは妙に腑に落ちた。


 前世の会社でもそうだった。最初に“強く出れば引く相手”だと認識された瞬間、その後ずっと舐められることがある。もちろん、突っぱねればいいという単純な話でもないが、最初の線引きは確かに大事だ。


 セレスティアはそこでこちらへ向き直る。


「けれど、次は一人で抱え込まないで」

「分かりました」

「本当に?」

「本当に」


 答えると、彼女はじっと俺を見る。その青い瞳は、いつものように冷たいだけではなかった。


「……ならいいわ」


 短い一言。


 でも、その言い方は少しだけ柔らかかった。


 馬車が静かに動き出す。


 窓の外で夕方の王都が流れていく。石畳、街路樹、人の波。学園の外は何も知らない顔をして穏やかだ。だが俺たちの中では、確実に昨日より何かが変わっていた。


 仮恋人。演技。噂。身分差。王子派。


 面倒ごとは山ほどある。むしろ増えている。


 それでも、さっきセレスティアがこぼした一言――“勝手に一人で狙われないで”――が、妙に頭に残っていた。


 それは命令だったのか、怒りだったのか、それとも少しだけ違う何かだったのか。


 まだ分からない。


 ただ、少なくとも俺は一人で勝手に突っ込んでいい状況ではなくなったらしい。


 そしてそのことが、少しだけ不思議で、少しだけ――悪くないと思ってしまった。

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