第4話 氷姫の隣は、思ったより目立つ
人間は、嫌な予感がする時ほどだいたい当たる。
演習場の前で俺たちを呼び止めた金髪の男子生徒を見た瞬間、俺の中の警報はかなり大きめに鳴っていた。丁寧な口調。整った笑顔。だが目だけが冷たい。ああいう目は知っている。前世でも見た。言葉づかいは礼儀正しいのに、最初から相手を対等だと思っていない目だ。
セレスティアは立ち止まったが、表情を変えなかった。
「何かしら」
呼び止めた男子生徒は一礼する。動きに無駄がない。育ちのよさというより、“上流の者として見られること”に慣れている所作だ。
「申し遅れました。クラウス・エーデルハイトです」
名乗られても俺にはぴんと来なかったが、周囲のざわめき方でそれなりの家格なのだと分かる。取り巻きの二人も、彼の少し後ろにぴたりと控えている。立ち位置まで分かりやすい。
「エーデルハイト侯爵家の三男です。昨日はご挨拶もできませんでしたので」
「そう」
セレスティアの返事は短い。感情の余地を与えない声だった。
クラウスはそれでも笑みを崩さない。
「昨日は随分と、目立つことがおありでしたから」
「ええ」
「学園中で話題ですよ」
「そうでしょうね」
「私としても驚きました。まさか、あの場でこのような――」
そこで彼の視線が、初めてはっきり俺へ向いた。
「――方が前に出てくるとは」
“このような方”。
便利な言い方だ。直接侮辱はしていない。していないが、十二分にしている。高位貴族の喧嘩って、言葉の綾で相手を踏む技術なのかもしれない。
俺がどう返すべきか一瞬迷っていると、セレスティアが一歩だけ前に出た。
「私の連れに何か?」
その言葉に、周囲の空気がまた少しざわつく。
連れ。
恋人、ではない。けれど、明確に“こちら側”へ置く表現だ。クラウスも一瞬だけ目を細めた。
「いえ。ご心配なく。ただ、ルーヴェン公爵家のご令嬢ともあろう方が、ずいぶん大胆な人選をなさるものだと感心していただけです」
「感心より先に、口の利き方を学ぶべきではなくて?」
セレスティアの声が一段低くなる。
「私の前で、私が傍に置いている相手を値踏みするなんて」
うわ、強い。
俺が言われて少しむっとしたことを、本人より何倍も冷たく返した。しかも感情的には見えない。正面から斬っているのに、礼儀を崩していない。これは強い。
クラウスの笑顔が、わずかに硬くなった。
「失礼しました」
「ええ、本当に」
「ですが、善意から申し上げているのです。昨日の件で、学園の目はあなた方に集まっています。あまりに極端な真似をなされると、ご自身まで軽く見られかねません」
「私が誰をどう傍に置くかを、あなたに案じられる筋合いはないわ」
「そうでしょうか。第一王子殿下のお立場もございますし――」
「クラウス」
セレスティアが、その名を呼んだ。
静かなのに、その一声だけで空気が張る。
「それ以上を続けるなら、私は“侯爵家のご子息が演習前に女子生徒を呼び止め、王家の名を匂わせて牽制した”と理解するけれど」
クラウスの目が、今度ははっきりと細くなった。
やっぱりそういうことか。
表向きは雑談。実際には牽制。俺みたいな下級貴族を直接脅すのではなく、セレスティアの判断そのものを揺さぶる。しかも王子の名前をちらつかせて。
なるほど。嫌らしい。実に嫌らしい。
クラウスは二秒ほど黙ってから、ふっと肩をすくめた。
「誤解です」
「なら結構」
「演習前に不快なお時間を取らせました」
「そう思うなら、次からは近づかないで」
その言い方があまりにも迷いなくて、今度は周囲が少し息を呑んだ。
クラウスは丁寧に一礼したものの、去り際に俺へだけはっきり視線を残した。言葉にしなくても分かる。お前は覚えたぞ、という目だった。
最悪である。
取り巻きを連れて彼が去ると、俺はようやく息を吐いた。
「すごいですね」
「何が」
「今のやり返し」
「別に普通よ」
「普通ではないと思います」
普通の会話であんな温度差のある刃の交差は起こらない。
だがセレスティアは本当に平然としていた。演習前にちょっと虫を払った、くらいの顔で前を向く。
「あなたがまともに言い返す必要はないわ」
「助かります」
「その代わり、余計なところで口を出さないで」
「……善処します」
「しなさい」
今日二度目、いや三度目くらいのやり取りだ。もはや定型句になりつつある。
演習場の扉をくぐると、中はかなり広かった。天井が高く、床は淡い石材で整えられている。いくつもの簡易結界柱が等間隔に立ち、奥には魔術標的用の人形や盾が並んでいた。窓から入る光は明るいが、実技用の施設だけあって空気は少し乾いている。
すでに何組もの生徒が集まっており、ざわめきの中に金属音や魔力のかすかな震えが混じっていた。
俺とセレスティアが入った瞬間、そのざわめきの質が変わる。
やっぱり注目される。
いや、そりゃそうだ。昨日の騒ぎの中心人物と、その横にいる得体の知れない下級貴族男子。注目されない方が不自然だろう。
実技担当の教員は壮年の女性で、すらりとした長身に、結った髪を一切崩していない。見るからに厳しそうだ。名前は確か、リゼット教官。朝の配布資料に書いてあった。
「本日の基礎魔術演習は二人一組で行う」
教官の声がよく通る。
「組み合わせは昨日配布済みの仮表に従う予定だったが、昨日の件で多少の変更願いが出ている。だが面倒なので、こちらでまとめて決める」
面倒なので、って言ったな今。
いいのか教官。
「ルーヴェン、アルヴェル」
いきなり来た。
「お前たちは組め」
「はい」
「はい」
セレスティアは即答。俺も反射的に返事をする。
周囲からざわつきが起きた。そりゃそうだ。本人たちが一緒にいたいと言ったのか、教官が面白がっているのか、どちらにせよ絵面としては分かりやすい。
俺は小さく息を吐いた。
「思った以上に容赦ないですね」
「都合がいいわ」
「そういう問題ですか」
「そういう問題よ」
セレスティアは一切ぶれない。強いな、本当に。
演習内容は単純だった。基礎障壁の展開、連携しての標的破壊、魔力制御の精度確認。要するに、派手な実戦ではなく、“貴族子弟として最低限の魔術素養がありますよね”を確認するための授業らしい。
セレスティアみたいな上位層には退屈だろうし、俺みたいな平均やや上くらいの人間には神経を使う。特に今日は“失敗が笑い話になる日”なので、いつもの三倍くらい嫌だ。
「まず障壁」
リゼット教官の指示に従い、各組が定位置へ散る。
俺はセレスティアと向かい合った。
「基礎障壁、どの程度?」
「人並みです」
「曖昧ね」
「下級貴族としては悪くない方、くらいです」
「なるほど」
その“なるほど”が高位貴族目線なのか、純粋な確認なのか、少し判断に困る。
「あなたは?」
「聞く必要ある?」
「ないですね」
聞いた俺が悪かった。昨日の時点で成績優秀の噂くらいは知っている。氷姫、才媛、完璧令嬢。そういうラベルが似合ってしまう人なのだ。
だが実際に向かい合うと、噂の人という感じは少し薄れている。もちろん綺麗だし、冷たいし、近寄りがたいのだが、昨日よりは確実に“現実の相手”として輪郭がある。
そんなことを考えている場合ではない。
「始めるわよ」
「はい」
俺は深呼吸し、手を前へ出した。魔力の流れを整え、掌の前へ薄い障壁を展開する。淡い青白い膜が、空気を押し広げるように現れた。強度はそこそこ。均一性も悪くない。多分、今日は緊張の割にいい出来だ。
「悪くないわ」
「どうも」
「でも少し右が薄い」
「うっ」
言われて意識すると、確かに右端の密度がわずかに甘い。見ただけで分かるのか、この人。
「そのまま保って」
「はい」
セレスティアが自分の魔力を流すと、彼女の前に出た障壁は俺のものよりずっと薄く、そして澄んでいた。まるで氷板を一枚立てたような透明感がある。だが教官が飛ばした魔力弾が当たった瞬間、その差は歴然だった。
俺の障壁は鈍い音を立てて少したわみ、セレスティアのそれは微動だにしない。
周囲から感嘆のざわめきが起こる。
まあ、そうなるよな。
「すごいですね」
「基礎よ」
「基礎でこれですか」
「あなたは感心しすぎ」
「下級貴族に夢を見すぎない方がいいですよ」
「誰も見ていないわ」
即答だった。
少しは夢を見てくれてもいいだろうに。
次の連携標的破壊では、さらに差が出た。
二人一組で、前衛が簡易障壁を展開しつつ、後衛が魔術で標的を狙う。あるいは役割を逆にしてもいい。問題は連携だ。タイミングと呼吸がずれれば、あっさり崩れる。
「私が後ろ」
「了解です」
「あなたは前で最低限持たせて」
「言い方」
「事実よ」
厳しいが、間違ってはいない。
俺は前に立ち、障壁を展開。飛んでくる模擬弾を受ける。後ろからセレスティアの魔力が静かに高まっていく気配がした。冷たいのに鋭い。氷水を刃に変えたみたいな感覚だ。
「右」
「はい」
「次、二発」
「了解」
彼女の指示は短いが、驚くほど分かりやすい。俺が障壁の向きを微調整した瞬間、その隙間を縫うように彼女の氷槍が飛び、標的の中心を正確に貫いた。
場が少しざわつく。
もう一つ。今度は左側へ流れた標的。俺がわずかに障壁をずらすと、背後から次の氷刃が走る。無駄がない。綺麗だ。見惚れるくらいに。
「……息、合ってますね」
「あなたが足を引っ張らなければ、ね」
「もう少し言い方に優しさを」
「今それ必要?」
「いや、ないですけど」
ないのか、と自分でも思った。
演習が進むにつれ、周囲の視線はますます濃くなっていった。
最初は“本当に並ぶのか”を見る目だったのが、次第に“思ったよりちゃんと組めている”という驚きへ変わるのが分かる。俺は別に強くないし、セレスティアと並べば能力差は歴然だ。だが少なくとも、彼女の隣でただ震えているだけの役立たずには見えない――らしい。
それは少しだけ救いだった。
同時に、余計に目立つ理由にもなったが。
演習の終盤、自由形式の確認戦になった時だった。
各組ごとに簡易結界内で模擬戦のような連携確認を行う。勝ち負けではなく、連携と判断を見るものだと教官は言った。だが周囲の空気は完全に見世物を求めている。
俺たちの順番が来ると、ざわめきが一段上がった。
相手は侯爵家の姉弟らしい二人組。正面から敵意を向けてくるほどではないが、明らかにこちらを試す顔をしている。
「無理しないで」
開始前、俺は小声で言った。
するとセレスティアが、少しだけ眉を寄せた。
「あなたこそ」
「俺はもともと無理するほど強くないので」
「そういう意味ではないわ」
言われて、少しだけ言葉に詰まる。
どういう意味だ。いや、今聞いている余裕はない。
開始の合図。
相手の前衛が風弾を散らし、後衛がそこへ光弾を重ねてくる。いやらしい。視界を乱してから本命を通すつもりだ。俺は咄嗟に障壁を二重化し、セレスティアの前を切る。
「左上!」
「見えてるわ」
ぴしゃりと言われると同時に、背後から鋭い冷気が走る。セレスティアの魔術は、本当に迷いがない。相手の風弾を凍らせ、そのまま光弾の軌道をずらす。そして一拍遅れて放たれた氷の細槍が、相手後衛の手元ぎりぎりをかすめた。
結界が、模擬的な命中判定を示して淡く光る。
一本。
周囲が沸く。
だが相手前衛もすぐ立て直し、今度は正面から魔力を押しつけてきた。力で障壁を削る気か。これはまずい。俺単独だと押し切られる。
「セレスティア!」
「分かってる」
次の瞬間、背中側から彼女の魔力が障壁へ重なった。
冷たい。だが安定している。
俺一人ではたわんでいた膜が、一気に厚みを増した。押されていた前線が止まる。相手前衛の目がわずかに見開かれた。
今だ。
「右、空いてる!」
「ええ」
彼女の返事と同時に、障壁の端から氷の弾丸が三連で走る。最初の一発で相手前衛の足止め、二発目で後衛の視線を切り、三発目で結界判定。
勝負が決まった。
演習場が少しどよめく。
いや、別に圧勝というほどではない。俺たちが飛び抜けていたのでもなく、単に息が合ったのだ。だが昨日の騒ぎを知っている生徒たちからすれば、俺とセレスティアがちゃんと連携して見せたこと自体が予想外だったのだろう。
「終了」
リゼット教官の声が響く。
「ルーヴェン、アルヴェル。可もなく不可もなく――と言いたいところだが、初回の即席としては十分だ。アルヴェル、障壁維持は及第点。ルーヴェン、後衛制圧は安定。以上」
可もなく不可もなく、の後にわざわざ訂正を入れられる辺り、教官なりに評価はしたらしい。
俺はようやく肩の力を抜いた。正直、かなり疲れた。注目されながらの実技ってこんなに神経を使うのか。いや、普段から注目される立場の人間なら慣れているのかもしれないが、こっちは完全に一般通過下級貴族である。
「はあ……」
「情けない声」
「緊張してたんです」
「それは見て分かったわ」
演習終了後、道具を片づけながらセレスティアが言う。
「でも、思ったよりは持ったわね」
「それ褒めてます?」
「褒めているつもりよ」
「つもり」
「何か文句が?」
「いえ、ありがたく受け取ります」
そう返すと、セレスティアはほんの少しだけ視線を逸らした。
その時だった。
周囲の組が解散し始める中、演習場の出入口付近でまた空気がざわついた。誰かが来たのだろう。しかも、ただの誰かではない。生徒たちの反応が露骨だった。
俺もそちらを見る。
入ってきたのは、明るい栗色の髪をゆるくまとめた少女だった。制服の着こなしは整っているが堅苦しすぎず、表情は親しげで、けれど視線はよく動く。フィオナ・ベルクだ。
「終わった?」
彼女は躊躇なくこちらへ歩いてくる。
周囲がまた“ああ、あそこへ行くのか”みたいな空気になるのが分かった。注目されるのはもういい。いい加減にしてほしい。
「何しに来たの」
セレスティアが先に言う。
相変わらず容赦ないな、この人。
だがフィオナは全く怯まない。
「見にきたの。だって面白そうだったから」
「素直すぎるわね」
「ありがとう」
褒めてないと思う。
フィオナは俺の方を見て、にっと笑った。
「どうだった、氷姫の隣」
「思ったより目立ちますね」
「でしょうね」
「知ってて聞きました?」
「もちろん」
即答だった。性格が悪い。いや、隠さないだけか。
「でも、思ったよりちゃんとしてた」
その一言は、少し意外だった。
「ちゃんと、ですか」
「そう。もっとこう……勢いだけで前に出ちゃった下級貴族の男の子、みたいな感じかと思ってた」
「その認識、だいたい合ってますよ」
「合ってるんだ」
「半分くらいは」
「じゃあ残り半分は?」
「俺もまだ分かってません」
本音を言うと、フィオナは目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「面白い子」
「本日二回目です、その評価」
「いい評価よ?」
「それで済むなら」
フィオナは肩を揺らしながら笑い、それからセレスティアへ向き直る。
「ねえ、セレスティア様。お昼の時より、少し機嫌よくない?」
「気のせいよ」
「そうかなあ」
「そうよ」
「ふうん」
この“ふうん”にいろいろ含まれている気がするのは、多分気のせいではない。
セレスティアはさっさと荷物をまとめ、俺を見る。
「行くわよ」
「はい」
「え、もう行っちゃうの?」
「あなたと雑談するためにここへいるわけではないもの」
「ひどい」
「知っているでしょう」
そのやり取りを聞いて、周囲の生徒たちがまた小さくざわめいた。
分かる。分かるよ。外から見たら、だいぶ距離が近い。俺でも分かる。セレスティア本人は多分全部“必要だから”で片づけているのだろうが、周囲にはそうは見えないはずだ。
それを計算してやっているのか、素なのか、その境目がまだ分からない。
演習場を出ると、廊下にはまだ何人もの生徒がいた。俺たちを見る目が、朝よりはっきり変わっている。
“噂”を見る目から、“実際どうなのか測る”目へ。
セレスティアはその視線を浴びながらも、当然のように俺の隣を歩く。距離が近い。肩が触れそうで触れないくらい。これが恋人役として正しい距離なのか、俺にはさっぱり分からない。
だが多分、今は下手に離れない方がいいのだろう。
そう思って黙って歩いていると、廊下の途中でセレスティアがふいにこちらを見た。
「何?」
「いや」
「ずっと気配がうるさいのだけれど」
「気配うるさいって初めて言われました」
「落ち着きがないのよ」
「注目されてるので」
「慣れなさい」
「無茶だなあ」
すると彼女は、ごくわずかに視線を和らげた。
「……でも、さっきは悪くなかったわ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「さっき?」
「演習よ」
「あ」
「勘違いしないで。息が合ったのは、あなたが最低限の役目を果たしたから。そこは評価する、というだけ」
やっぱり言い方は硬い。硬いのだが、それでもちゃんと評価はしているらしい。
俺は少しだけ笑った。
「ありがとうございます」
「当然でしょう。できていないなら言わないもの」
「それ、褒め方としてはかなり真面目ですね」
「何か不満?」
「いえ。意外と律儀なんだなって」
「……あなた、本当に余計なことを言うわね」
呆れたように言われた。
でも、その声は朝よりも少しだけ温度があった。
そんな風にやり取りをしながら廊下を進み、階段を下り、中庭へ出ようとした時だった。
向こう側から歩いてくる女子生徒の一団が見えた。中でも先頭の少女は、明らかにこちらを意識している。ふわりと巻いた明るい髪、上質な制服の着こなし、いかにも“愛される令嬢”という空気。昨日、レオンハルト王子の後ろにいたあの少女だ。
ああ、嫌な予感しかしない。
セレスティアもその姿に気づいたのか、ほんのわずかに視線が冷えた。
少女は取り巻きを伴い、笑顔でこちらへ近づいてくる。
「ごきげんよう、セレスティア様」
声は甘い。だが、その裏にあるものは甘くない。
俺は思わず内心でため息をついた。
どうやら、“思ったより目立つ”では済まないらしい。




