表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転生した俺、婚約破棄された氷姫の仮恋人になっただけなのに、なぜか本気で好かれてる気がするけど本人が絶対に認めない  作者: 御上常陸介寛浩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/20

第16話 氷姫は俺の隣で、初めて弱さを見せた

王子という生き物は、言葉を飾るのがうまい。


 いや、王子に限らない。身分の高い人間ほど、真正面から殴るより、笑いながら足元を崩すやり方に慣れているのだと思う。前世の会社でも、偉くなるほど怒鳴らなくなった。代わりに、静かな声で逃げ道を奪う。


 だからこそ、レオンハルト・ヴァルディアの「相手がずいぶん軽いな」という一言は、思った以上に重かった。


 広間の空気が一気に冷える。


 音楽はちょうど止んだところだった。だから余計に、その一言だけが妙にはっきり響いた。誰も露骨に息を呑んだりはしない。けれど周囲の視線がこちらへ集まり、会話の流れがわずかに止まり、場全体が“次を待つ空気”になる。


 これが王子の一言なのだろう。


 ただの悪口ではない。

 その場の全員に“どう見るべきか”を示す号令に近い。


 レオンハルトは笑っていた。柔らかく、親しみやすく、誰が見ても非の打ち所のない王子の微笑み。その顔のまま、さっきの言葉を言ったのだから性質が悪い。


 隣で、セレスティアの空気がすっと冷えたのが分かった。


 けれど彼女は即座には返さなかった。

 多分、今この瞬間に最適な言葉を選んでいる。


 俺もまた、半歩遅れて呼吸を整える。


 ここで感情的になったら終わる。

 王子に向かって噛みつく下級貴族。

 それだけで絵になる。

 そして向こうは、多分それを少し期待している。


 レオンハルトは続ける。


「いや、誤解しないでほしい。私は君個人を侮っているわけではない」

 その言い方がまず厄介だった。

「ただ、ルーヴェン公爵家の令嬢に寄り添う相手としては、いささか荷が軽いと言っただけだ。婚約というのは個人の感情だけで成り立つものではないからね」


 婚約。

 感情だけで成り立つものではない。


 そこへ本物の話を混ぜてくるのか、と内心で舌打ちしたくなった。


 周囲が聞いている。

 そして聞いている側は、“王子として当然の現実的な指摘”に聞こえやすい。

 だから余計に厄介だ。


 セレスティアがようやく口を開く。


「殿下のお気遣いには感謝いたしますわ」

 声音は冷静だった。

「ですが、私が誰を隣へ置くかは、婚約や家同士の話とは別のところで決めております」

「別のところ?」

 レオンハルトがわずかに眉を上げる。

「ええ。少なくとも今の私に必要なのは、家格の釣り合いより、並んで立てる相手ですもの」


 その言葉に、広間の空気がまた一段揺れる。


 強い。


 強いが、危うい。


 今のは“感情で選んでいる”と言っているわけではない。だが聞きようによっては、王子の言う“正しい婚約観”より、自分の判断を優先しているとも取れる。社交の場でそこまで言うのは、かなり踏み込んでいる。


 レオンハルトの笑みは崩れない。

 崩れないが、目だけが少し細くなった。


「なるほど。では、その“並んで立てる相手”が、どの程度のものか興味があるな」


 来る。


 そう思った瞬間だった。


「殿下」


 自分でも驚くくらい自然に、俺の口が動いていた。


 セレスティアがわずかにこちらを見る。

 だが止めはしない。

 その一瞬だけで、“行けるなら行け”と伝わった気がした。


 息を吸う。


「軽い、というお言葉はその通りかもしれません」

 まず認める。

 ここで全部を否定したら嘘になる。俺は下級貴族の次男で、公爵令嬢の隣に立つにはどう見ても軽い。そこは覆らない。

「ですが」

 俺は続ける。

「軽いことと、価値がないことは、同じではないと思っています」


 数秒の沈黙。


 広間の何人かが、明らかにこちらを見直したのが分かる。

 レオンハルトも、今度は少しだけ笑みを薄くした。


「ほう」

「俺は、公爵家の事情も、王家の利害も、全部を知っているわけではありません。殿下のように生まれながらに背負っているものもない。そこは否定しません」

「だろうね」

「でも」


 ここで引くわけにはいかない。


「少なくとも、セレスティア様が今どんな目で見られていて、何を一人で背負わされているかは見ています」

「……」

「それを見ている人間が隣に立つのと、見ていても誰も前へ出ないのとでは、軽さの意味は少し変わるんじゃないでしょうか」


 自分でも、だいぶ危ない橋を渡っていると思う。


 王子を責めてはいない。

 だが、“誰も前へ出なかった”という事実は、ここにいる多くの人間の胸にも刺さる言い方だ。

 もちろん、王子にも。


 空気が張る。


 レオンハルトの目が、今度ははっきりと俺を捉えた。

 笑顔のままだが、さっきまでの余裕を演出する笑みとは少し違う。


「面白いことを言う」

「恐縮です」

「だが、君は自分のしていることを美化しすぎていないか? 人を哀れんで手を差し出すのは、たいてい差し出した側の自己満足で終わる」


 それは、かなり鋭い。


 図星に近い部分もある。

 俺が最初に前へ出たのは、理屈ではなく感情だった。

 見ていられなかったから。

 放っておけなかったから。

 その一点は否定できない。


 だから一瞬だけ、言葉が詰まりかけた。


 だがその時、隣から静かな声が入る。


「自己満足で結構ですわ」


 セレスティアだった。


 俺も、レオンハルトも、そして多分その場の多くの人間も、一瞬だけ彼女を見る。


 セレスティアは王子をまっすぐ見返していた。

 冷たく、凛として、でも今までの氷だけではない強さをまとって。


「殿下が私を見限った理由が、王家の利害であれ、ご自身の判断であれ、それは構いません」

 静かな声。

「ですが、そのあとに誰が私の隣へ立つかまで、殿下に評価される筋合いはありません」

「セレスティア」

「それとも殿下は、婚約を解いたあともなお、私の立ち位置までお決めになるおつもりですか?」


 広間が、完全に静まり返った。


 強い。

 強すぎる。

 そして同時に、その言葉はかなり危うい。


 王子へ真正面から“そこまで干渉するつもりか”と問い返している。

 礼は崩していない。

 言葉も上品だ。

 だが中身はかなり踏み込んでいる。


 レオンハルトの笑顔が、今度こそ少しだけ薄くなった。


「……君は変わらないな」

「ええ。そう簡単には」


 そのやり取りの直後、少し離れた位置で見ていた教員の一人が、さすがに空気を変えようとしたのか、小さく咳払いをした。


 だがもう遅い。

 今の場で、一番印象を残したのは誰か。

 それは明らかだった。


 レオンハルトはそこで、ふっと元の笑みに戻る。


「なるほど。実習とはいえ、よい余興を見せてもらった」

 その言い方だけは、最後まで人の癇に障る。

「今後も、その“並んで立てる関係”とやらが続くといいね」


 それだけ言って、彼は優雅に踵を返した。


 取り巻きたちもそれに続く。


 去っていく背中は堂々としていて、最後まで王子らしい。

 だが、多分――完全に勝った顔ではなかった。


 広間の空気はまだ張っている。

 誰もすぐには話し始めない。

 今のやり取りがそれだけ強かったということだ。


 俺はようやく息を吐いた。


「……心臓に悪いですね」

 思わず小声で言うと、

「今さら?」

 セレスティアも小声で返した。


 その声音が少しだけ硬い。

 さっきまで気を張っていた反動だろうか。


 教員がようやく実習の流れを戻そうと、生徒たちへ次の指示を飛ばし始める。広間全体もゆっくりと元のざわめきへ戻っていく。だが視線だけはまだこちらに残っていた。


 当然だ。

 王子と元婚約者、そしてその隣の下級貴族。

 今のやり取りは、実習の一場面としては濃すぎる。


 俺たちはそのまま次の待機位置まで下がった。

 歩きながら、セレスティアが小さく言う。


「さっきの」

「はい」

「悪くなかったわ」

「珍しいですね、即時評価」

「勘違いしないで。よかったのは最初だけ」

「最初だけ?」

「“軽い”を認めたところ。あれで向こうの土俵から半歩外れられた」

「後半は?」

「少し熱かった」


 やっぱりそこは見抜かれるか。


 俺は苦笑する。


「図星でした?」

「少し」

「ですよね」

「でも、許容範囲」

「それはどうも」

「ただし」

「ただし?」

「次はもっと冷静に」

「はい」


 その“次”という言い方に、妙に現実味があって笑えない。


 だが、さっきの場でセレスティアと息が合っていたのも事実だった。

 俺が前へ出る。

 彼女が拾う。

 彼女が斬る。

 俺が少しだけ言葉の向きをずらす。


 演習だけではなく、こういう場でもそれができた。

 思っていたより、俺たちは同じ方向を向けるらしい。


 その感覚は、正直少しだけ高揚する。


 だから困る。


 実習の後半は比較的平穏だった。

 平穏といっても、周囲の視線は相変わらず濃い。

 フィオナは途中でこちらへ来て、にやにやした顔で言った。


「すごかったね」

「見てたでしょう」

 俺が言うと、

「見てたわよ。あんなおいしい場面、見逃すわけないじゃない」

 悪びれない。

「でも」

 そのあと、少しだけ真面目な顔になる。

「かなり効いたと思う」

「どっちに?」

 セレスティアが訊く。

「両方。王子派にはもちろん。あと、見てる側にも」


 フィオナは広間を見回す。


「“冷酷な氷姫”だけじゃ、今のやり取りは成立しないもの。

 それに、エイトくんも、ただ庇われるだけの人じゃなかった」

「それはよかった」

「でも」

 フィオナが俺を見る。

「最後の方、少しだけ本気で怒ってたでしょ」

「……」

「顔に出てた?」

「少し」

「まずいな」

「でも、ぎりぎり抑えてたわ」

 セレスティアが言う。

「え」

「事実よ」

「褒めてます?」

「今のは褒めている」

「おお」


 フィオナが吹き出した。


「そういうとこよ、二人とも」

「何がですか」

「息合いすぎ」


 否定したい。

 だが、さっきの一連の流れを思い返すと、否定しきれないのが悔しい。


 実習が終わり、広間が解散の流れになる頃には、最初のざわつきとは違う種類の空気が残っていた。

 噂を面白がっていた視線。

 婚約破棄を見世物として消費していた視線。

 そこに、少しだけ“本当にどういう関係なのか”を測る真剣さが混ざっている。


 それは決して悪い変化ではない。


 俺たちはただの都合のいい笑い話ではなくなりつつある。


 だが、本番はまだ終わっていなかった。


 夜会実習のあと、広間から出て廊下へ向かう途中で、セレスティアが少しだけ歩みを緩めたのだ。


「大丈夫ですか」

 俺が小声で訊くと、

「平気」

 いつもの返事。

 だがその声が、ほんの少しだけ硬い。


 そのまま人の少ないテラスへ出たところで、彼女はようやく足を止めた。

 夜風が少しだけ冷たい。

 実習用の灯りが遠くに見え、広間の音楽の余韻がわずかに届いている。


 俺たちはしばらく並んで立っていた。


 沈黙。


 今までなら、俺の方が先に何か言っていたかもしれない。

 だが今日は、言葉を急がない方がいい気がした。


 やがて、セレスティアがぽつりと言う。


「……疲れたわ」


 その一言は、思った以上に小さくて、思った以上に人間らしかった。


 俺は少しだけ目を見開く。


 あの大広間で、王子と真正面からやり合い、一歩も引かなかった人の口から出るには、あまりにも素直な声だったからだ。


「そうでしょうね」

 俺は静かに返す。

「思ってた以上に、嫌な顔を見るの」

「レオンハルト殿下ですか」

「それだけじゃないわ」


 セレスティアは手すりへ軽く指を置いた。


「周囲の目。

 誰が味方で、誰が面白がっていて、誰がどちらに乗るか測っているのか。

 全部見えるから、余計に疲れるの」


 夜風が銀髪を少しだけ揺らす。

 その横顔は綺麗で、でも今はそれだけじゃなかった。

 張り詰めていたものが、ほんの少しだけ解けかけている顔だ。


「毎回ああなんですか」

 俺が訊く。

「社交の場では、だいたい似たようなものよ」

「きついですね」

「きついわ」


 即答だった。


 その即答が、妙に胸に来た。


 セレスティアは続ける。


「婚約破棄の場だけで終わると思っていたのに」

「終わらなかった」

「ええ。終わってくれない」


 その言い方に、初めてはっきりと疲労が滲んでいた。


 いつもは氷の仮面で隠しているもの。

 大広間でも、教室でも、噂の中でも、兄の前でも見せなかったもの。

 それを今、俺の隣で、ほんの少しだけ外している。


 多分これが、この人にとっての“弱さ”なのだろう。


 泣くわけでも、取り乱すわけでもない。

 ただ、疲れたと口にすること。

 終わってくれないと漏らすこと。

 それだけのことが、この人にはきっととても難しい。


「……それでも、今日のはよかったと思います」

 俺は言う。

「慰め?」

「半分は」

「残り半分は?」

「本当にそう思ってます」


 セレスティアは小さく息を吐いた。


「今日、殿下に言い返した時」

 俺は続ける。

「俺、ちょっと焦りました」

「なぜ」

「強すぎて」

「何それ」

「いや、本当に。

 あの場で、あそこまで言えるんだなって」

「言わないと立てないもの」

「そうですね」

「……でも」

 セレスティアが少しだけ視線を落とす。

「あなたが隣にいたから、言えた部分もあるわ」


 心臓が、また大きく鳴った。


 今のは、だいぶ危険な言葉だ。


 俺はどう返せばいいのか分からず、一瞬だけ黙った。

 だがごまかすのも違う気がした。


「俺もです」

「え?」

「今日、殿下に返せたの、セレスティア様が先に立ってくれるって分かってたからです」

「……」

「一人だったら、多分あそこまで言えませんでした」


 セレスティアはしばらく黙って、それからほんの少しだけ目を細めた。


「そう」

「はい」

「なら、おあいこね」

「ですね」


 その“ですね”が妙に自然に出たことに、自分で少し驚く。


 テラスの夜風が、二人の間を抜けていく。

 広間のざわめきは遠い。

 ここだけ少し、別の場所みたいに静かだ。


 セレスティアは手すりから指を離し、俺の方を向いた。


「エイト」

「はい?」

「……今だけ、本当に恋人みたいに振る舞って、って言ったでしょう」

「言いましたね」

「恥ずかしいから忘れなさい」

「無理です」

「即答」

「無理なものは無理です」

「本当に、そういうところだけ頑固ね」


 呆れたように言いながら、セレスティアの口元がほんの少しだけ緩む。


 まただ。

 また笑った。


 だが今度は、それを見ても前みたいにただ困るだけではなかった。

 嬉しいし、困るし、でも嬉しい。

 そういうどうしようもない感情に、ようやく少しだけ名前がつきそうになる。


 けれど、まだ言えない。


 言えるはずがない。


 だから俺は、せめて少しだけ正直に言った。


「……終わってほしくないですね」

「何が」

「今日みたいに、ちゃんと並んで立てる感じ」

「……」

「まだ、ですけど」


 “まだ”を足したのは、逃げだ。

 全部言ってしまう勇気がなかった。


 セレスティアはその言葉をしばらく黙って受け止めてから、やがて本当に小さな声で言った。


「……私も、少し困るわ」


 その意味を、すぐには理解できなかった。


「困る?」

「終わると」

 彼女は視線を少しだけ逸らす。

「今の形が、なくなるのは」


 今までで一番、弱い声だった。


 大広間でも、教室でも、兄の前でも、こんな声は出さなかった。

 氷姫でも、公爵令嬢でもなく、ただ一人の少女が、本音を少しだけこぼしたような声。


 胸が痛いくらいに熱くなる。


 でも、やっぱりまだ言えない。


 だから俺は、どうにか平静を保ちながら返す。


「じゃあ、しばらくは終わらせないように頑張ります」

「そうして」

「はい」

「勘違いしないで」

「はい」

「今のは、仮恋人としての話よ」

「分かってます」

「本当に?」

「……努力します」

「そこは努力なのね」

「完全に分かってるって言うと、たぶん嘘になるので」


 セレスティアは一瞬だけ目を見開き、それから小さく笑った。


 その笑顔は、前よりずっと自然だった。


 やっぱり、夜会で一番危険なのは敵じゃない。


 こうして少しずつ、仮の距離が本物みたいに見えてくる瞬間そのものだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ