ヴィジランテ
人類の魂を養分とする“ヴィジランテ”という種族は、『原始のスープ』と呼ばれるオリュンポスの海底に、数千年も前から住んでいた。
オリュンポスの海は、ただの海ではない。
その最深部には、星がまだ若かった時代の物質が沈殿し、濃密な生命の揺らぎが満ちている。
それを、ヴィジランテは「原始のスープ」と呼んだ。
そこは、生命が誕生する以前の世界が、いまだに形を変えず残っている場所だった。
光はほとんど届かず、重い水圧と暗黒が支配している。
だが、その暗闇の中では、目には見えないエネルギーが絶えず流れていた。
魂。
それは生物が生きることで生まれる精神エネルギーであり、
思考、記憶、感情、意志といった活動が重なり合うことで増幅していく。
ヴィジランテにとって、それは食料であり、資源であり、
そして進化の鍵でもあった。
彼らは、肉体を持つ生物ではない。
原始のスープの中で揺らめく、半ば流体のような存在であり、
形を固定することなく、長い年月をかけて意識だけを成長させてきた。
しかし彼らには一つの限界があった。
自分たちだけでは、魂を生み出すことができない。
魂というエネルギーは、
「生きる」という行為の中でしか増幅されないからだ。
生物は、苦しみ、迷い、願い、恐れ、選択する。
その過程で精神は振動し、魂のエネルギーは濃度を増していく。
ヴィジランテは、それを知っていた。
だから彼らは、生命を作ることにした。
原始のスープの中で、幾つもの実験が行われた。
無数の細胞構造が試され、無数の生物が誕生しては消えた。
そのほとんどは“失敗”だった。
魂が弱すぎたのだ。
思考を持たない生物は、魂をほとんど増幅させない。
ただ生まれ、食べ、死ぬだけの生命では、エネルギーはほとんど生まれなかった。
ヴィジランテは、より複雑な生命を設計する必要に迫られた。
知性を持ち、言葉を持ち、記憶を持つ生物。
自らの存在を疑い、未来を恐れ、
それでもなお生きようとする生物。
そうした精神構造を持つ存在だけが、
強い魂エネルギーを生み出す。
長い試行錯誤の末、彼らは一つの種族を作り出した。
それが、人類だった。
人間は、偶然生まれた存在ではない。
ヴィジランテによって設計された、精神エネルギー生成装置としての生物だった。
彼らは人類を観察し、導き、そして増やした。
文明を与え、言葉を発展させ、
争いさえも許容した。
なぜなら、戦争、愛、悲しみ、希望。
そうした極端な感情の振動は、
魂のエネルギーを急速に増幅させるからだ。
人類は増えた。
星々へ広がり、文化を作り、国家を作り、
そして無数の物語を生み出した。
ヴィジランテは、そのすべてを見ていた。
だが、やがて彼らは気づく。
人類の魂エネルギーは確かに強い。
しかし、それを回収する器が存在しない。
魂は肉体と共に生まれ、肉体と共に散ってしまう。
死と同時に、そのエネルギーは宇宙へ拡散してしまうのだ。
それでは、効率が悪すぎた。
そこでヴィジランテは、次の計画を始めた。
魂を保存するための器。
人間の肉体ではない、
魂そのものを運び、蓄積するための存在。
それが、『魂の器』と呼ばれる生命体——
ドライバーだった。
ドライバーは、人間と同じ姿をしている。
しかし、人間とは決定的に違っていた。
彼らには魂がない。
自我もない。
感情もない。
ただ、巨大な精神エネルギーを蓄積するための
空の器として作られている。
その設計を担っていたのが、
オリュンポスの十二柱のひとり、クロノスだった。
クロノスは肉体の構造を設計する存在だった。
人間の遺伝情報を解析し、より効率的な器を生み出す役目を負っていた。
ドライバーの肉体は、完成に近づいていた。
ところがその製造過程で、
ひとつの予期せぬ変異が発生する。
それは、本来存在するはずのない性質だった。
ドライバーの中に、“魂”が宿ったのだ。
自我を持ち、
自分の意思で考え、
命令に従わない存在。
ヴィジランテはそれを、
アンチ・ドライバー
と呼んだ。
それは、計画にとっての失敗作だった。
魂を持つ器など、存在してはならない。
魂を持つということは、自由意志を持つということだからだ。
自由意志は、計画を裏切る。
クロノスは原因を調査した。
だが、変異の理由は突き止められなかった。
ドライバーの製造は一時的に中断される。
そしてヴィジランテは人類の観察を続けながら、次の可能性を探し始めていた。




