プロローグ
辺境の星、ガルドープに住んでいた少女ミトと老婦アリスは、血の繋がっていない者たちだった。
ガルドープは、帝国の星図の端に小さく記された、ほとんど忘れ去られた農業惑星だった。
赤茶けた土と背の低い草原がどこまでも続き、空には薄い雲と、遠い恒星の白い光が漂っている。
この星では、季節は静かに巡る。
だが、戦争だけは例外だった。
遠くの平原では、時折、黒い煙が上がる。
それは焼けた野原の煙かもしれないし、落ちた輸送船の残骸かもしれない。
あるいは、誰かの村が燃えている煙かもしれなかった。
それでも、人々は畑を耕していた。
星の端に住む者たちは、帝国の戦争に関わることも、逃げ出すこともできない。
ただ土を掘り、種を蒔き、雨を待つ。
それが、この星で生きる者たちのすべてだった。
ミトが暮らしていた小さな農家も、そのひとつだった。
木と石で組まれた古い家の裏には、細長い畑があり、そこには背丈ほどの穀物と、まだ青い野菜が植えられている。
朝になると、風が草を揺らし、葉のこすれる音が静かに広がる。
ミトはその畑の端にしゃがみ込み、小さな手で土を掘っていた。
まだ十代の半ばにも満たない少女だった。
日焼けした肌に、砂色の髪。
決して裕福とは言えない服を着ていたが、その動きは慣れていた。
この畑は、彼女の仕事だった。
「ミト」
背後から、かすれた声がした。
振り返ると、家の戸口にアリスが立っていた。
背の曲がった老婦だった。
白い髪は細く、風に揺れている。
顔には深い皺が刻まれていたが、その目は奇妙なほど澄んでいた。
ミトは立ち上がる。
「もうすぐ雨が降る」
アリスは空を見上げながら言った。
雲はまだ薄く、空は淡い青色のままだった。
ミトには、雨の気配など分からない。
それでもアリスは、よく当てた。
「本当?」
「土の匂いが変わってきている」
ミトは鼻をすん、と鳴らしてみた。
だが、いつもの乾いた土の匂いしかしない。
アリスは小さく笑った。
「まだ分からないかい」
「うん」
「そのうち分かるようになる」
そう言って、彼女はゆっくりと畑へ歩いてきた。
ミトとアリスは、血の繋がった家族ではない。
十年前、戦争で焼かれた村の中から、アリスがミトを見つけた。
母を亡くし、ひとりで泣いていた少女を、彼女は黙って連れて帰った。
それ以来、二人はこの星で暮らしている。
アリスは、ミトに多くのことを教えた。
畑の作り方。
雨の匂い。
星の見方。
そして、もう一つ。
この星で生きる者たちの、古い教えを。
アリスは言うのだった。
——いつか、誰もが星を旅立つ日が来る。
ミトはその言葉を、子供のころから何度も聞いていた。
「アリス」
「なんだい」
「どうして私たちは、この星を出るの?」
アリスはしばらく黙っていた。
遠い空を見上げる。
そこには、昼でもうっすらと見える銀色の星雲があった。
ガルドープの夜空では、それは巨大な川のように広がる。
アリスは静かに言った。
「この星も、いずれ終わるからさ」
ミトは眉を寄せた。
「戦争で?」
「それもある」
アリスは畑の土を指でつまむ。
「でも、それだけじゃない」
土は乾いていて、すぐに崩れた。
「世界というものはね、ミト」
彼女は言った。
「長くは同じ形でいられないんだよ」
風が吹いた。
遠い平原から、煙の匂いが運ばれてくる。
アリスは続けた。
「言葉も、街も、人も。
いつか形を失う」
ミトは黙っていた。
アリスは空を見上げる。
「だから畑に種を蒔くんだ」
「え?」
「雨が降る日を待つためにね」
ミトには、その意味がよく分からなかった。
それでも彼女は、黙って頷いた。
この星で生きてきた十年のあいだ、
アリスの言葉はいつも、あとになって意味を持ったからだ。
遠くで、何かが爆発する音がした。
地平線の向こうで、黒い煙がゆっくりと空へ伸びていく。
ミトはそれを見つめながら、ふと思った。
いつか、本当にこの星を離れる日が来るのだろうか。
そのとき、
自分とアリスはどうなっているのだろう。
ミトはまだ知らない。
この宇宙で、
言葉も、魂も、そして人間という種族さえも、
すでに誰かの計画の中にあるということを。
そして、彼女自身もまた、
その計画の中で生まれた存在のひとつであるということを。




