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【BL】身代わりβの密やかなる恋  作者: 朏猫


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16/22

燻る熱1

(少し怠いな……)


 廊下を歩きながら頭を二、三度振る。なんとなく体が重い。それに最近また微熱を感じるようになった。念のためお医者様に診てもらったほうがいいかもしれないと思うものの、修一朗さんに心配をかけてしまうと思うと言い出せない。


(それに熱いのは部分的みたいだし)


 体全体というより首やお腹あたりが火照っている。とくに熱く感じるのがうなじだった。

 寒くなってきたから首が凝って、それが熱を持ってるように感じるのかもしれない。そういえば寝付きが悪いのも首が気になるときばかりのような気がする。怠いのは寝不足が何日か続いているからだろうか。


(うん、これは病気じゃない。しっかり寝ればきっと大丈夫)


 庭に面した廊下に到着し、すっかり冬の景色になった庭を眺めながらうなじに手を伸ばした。触れると静電気のようにビリッとしたものを感じる。


(修一朗さんに触られるときはもっとビリビリするけれど)


 そんなことを思い出しながら指先で肌を擦る。修一朗さんにこうされると強い静電気のようなものを感じるときもあれば、なぜかお腹がカッと熱くなるときもあった。でも自分の指ではそこまでの熱は感じない。修一朗さんに触られたときだけそんなふうになるのはなぜだろう。

 気になるなら触らないでと言えばいい。それなのに嫌だとは言えなかった。むしろ触ってほしいと思うときさえある。うなじを撫でる指に背中がゾクゾクするのを心待ちにしている自分もいた。


(触られると淫らな気持ちになるとわかっているのに、僕は本当にいやらしくなってしまった)


 以前の僕なら他人に触ってほしいなんて思うことはなかった。幼い頃、それこそよく知らない大人に頭や頬を撫でられるのが嫌で逃げ隠れていたくらいだ。

 それなのに修一朗さんにはもっと触れてほしいと思ってしまう。好きな相手なのだからそう思うのは普通なのかもしれないけれど、ただ触れられるだけでいやらしい気持ちになるのはどうなんだろうか。


(こういうのを欲求不満というのだろうか)


 級友がそうした話題で盛り上がるのを呆れて見ていたのが嘘のようだ。僕ももう十九歳、そういうことをまったく知らないわけじゃない。自慰だってしたこともある。それでも特定の誰かとそうした行為を想像したことはなく、同性相手にそんな欲を抱いたこともなかった。


(それなのに修一朗さんには、僕を女性にように扱ってほしいなんて……駄目だ。昼間からこんなことを考えるなんてよくない)


 いやらしい気持ちになってしまったからか余計に体が熱くなってきた。火照った頬を冷ますように手でパタパタとあおぎながら中庭に視線を戻す。


(あれ……?)


 いつもは人気がない庭に誰かがいる。クロッシェ帽子に柔らかそうな外套を羽織り、艶々した毛皮の襟巻きを着けた姿は名家のご令嬢のように見えた。もしかして珠守の関係者だろうか。

 僕の視線に気づいたのか、女性がくるりと振り返った。「まぁ!」というような表情を浮かべたかと思うと、すぐさまこちらに小走りで近づいて来る。


 コンコン。


 窓を叩かれ、慌てて掃き出し窓を開けた。「どうかしましたか?」と尋ねる前に「あなたが千香彦さん?」と名前を呼ばれて驚く。


「はい、そうですが」

「まぁ、やっぱり! 噂どおり綺麗な方ね」


「噂どおり」という言葉にドキッとした。もしかして僕との結婚でよくない噂が流れているのだろうか。


「本当に綺麗なお顔だこと」


 言葉が本心かお世辞か、それとも嘲るためのものなのか判断できなかった。なんと答えればいいのかわからず口を閉じたけれど、このまま黙っているのはよくない。態度の悪い嫁だとますます悪い噂が流れるかもしれない。

 珠守の親戚なら「初めまして」と答えるのが無難だろうか。それとも仕事の関係者だろうか。


(僕と同じくらいの年齢に見えるけれど……)


 それならやっぱり親戚かもしれない。残念ながら僕は珠守の親戚について何も知らなかった。修一朗さんがそうしたことは少しずつでいいと言ってくれたからだけれど、屋敷で顔を合わせるような近い身内のことだけでも聞いておくべきだった。


(とにかく名前を聞いて、あとで修一朗さんに詳しく教えてもらおう)


 失礼にならないようにと思いながら床に膝をつき、「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」と尋ねた。


「まぁ、わたくしったら名乗りもせずにごめんなさい。わたくし、一条瑠璃子(いちじょうるりこ)と申します。薫子(かおるこ)様の許嫁ですわ」

「薫子様……」


 薫子というのは修一朗さんの姉の名だ。二歳年上のαで宮様の従妹と婚約していると聞いている。ということは、この方がその従妹に違いない。


(宮様の従妹で一条という名前……まさか)


 慌てて正座をして頭を下げた。「千香彦と申します」と名乗りながら、失礼はなかっただろうかと冷や汗をかく。

 一条家というのはいくつもの宮家に后を輿入れさせてきた大華族で、爵位から遠ざかっている家の僕が顔を合わせることなど決して許されない人たちだ。いまも帝室に連なる公爵家として一目置かれ、今上陛下の后もたしか一条家の出身だったはず。


「そんなに畏まらないでちょうだい。わたくしたちは近い将来、義理のきょうだいになるのだから」

「いいえ、身分が違いすぎます」

「あら、大丈夫よ。珠守の家では誰も気にしないわ。そういう古めかしいことや堅苦しさのないところが珠守家のよいところだもの」


 そう言われても頭を上げることはできなかった。


(まさか公爵家の、それも一条家のご令嬢と言葉を交わす日が来るなんて思ってもみなかった)


 こんなことならきちんとした礼儀作法を習っておけばよかった。中等科まではそうした礼儀作法の授業があったけれど、爵位を失った家のβにそうした授業を受ける機会が与えられることはなかった。姉が家庭教師について学んでいるときも自分には必要ないと思い見ることすらなかった。

 つくづくもったいないことをしたと反省する。だけど、いまさら何を思ってもしょうがない。こういうのを後悔先に立たずというのだろう。


「そう畏まらないで」

「ですが……」


 頭はいつ上げればよいのだろうか。そんなことすらわからない。こんなことでは修一朗さんの恥になってしまう。結婚したのだと浮かれている場合じゃなかった。


(修一朗さんにお願いして家庭教師をつけてもらおう)


 早く珠守の家にふさわしい男にならなくてはいけない。いや、その前にいまどうするかだ。冬だというのに額に汗が滲み始めたところで「まさか義理の弟を虐めているんじゃないだろうね」という凜とした声が聞こえてきた。


「まぁ、薫子様ったら意地悪なことをおっしゃるのね。わたくし、そんなことはしませんわ」

「わかっているよ。ちょっとした冗談だ」

「もうっ」


「薫子様」という名前と、女性の声ながらまるで男性のような言葉遣いに思わず頭を上げてしまった。

 ご令嬢の隣に立つ姿は三つ揃えのスーツを着た男性にしか見えない。けれど声は間違いなく女性で、それに髪も長かった。姉がしばらく夢中になっていた耳隠しの髪型とも違う一つ結びがとてもよく似合っている。「まるで巷で話題の歌劇団の人みたいだ」と思いながら見ていると、にこりと微笑まれて慌てて頭を下げた。


「瑠璃子嬢が困らせていたのだろう? 申し訳なかったね」


 女性の声だというのに、どことなく修一朗さんの声に似ているような気がしてドキッとする。おかげで返事が遅れてしまった。慌てて「いいえ」と否定すると「やっぱり意地悪だわ」とむくれたようなご令嬢の声がした。

 そっと顔を上げると男装の麗人がにこりと微笑んだ。修一朗さんによく似た目元に鼓動が跳ねる。


「噂どおり美しい顔だね。瑠璃子嬢が見惚れていたのもよくわかる。修一朗が会わせたがらないのはどうしてかと思っていたけれど、なるほど納得した。これだけの美貌なら心配で仕方がなくなるだろうからね」


 やはりこの人は修一朗さんのお姉さんに違いない。初めての対面だと思ったからか、ますます緊張してきた。

 修一朗さんのご両親には挨拶をしたけれど兄姉(きょうだい)には会ったことがないままだ。修一朗さんいわく「何をされるかわからないから」という話だったけれど、何かするような人には見えない。ただ、まさか男装しているとは予想もしていなかったせいでとても驚いた。


(たしか修一朗さんと同じ帝都大学を卒業した、とても優秀なαだと聞いているけれど)


 αだからか女性にしては背が高い。きっと僕より高いに違いない。隣に立つ一条家のご令嬢と並ぶと、まるで外国の映画に登場する恋人のように見えてため息が漏れた。


「千香彦さんが綺麗なのは間違いないですけれど、そんなふうに褒めるなんて少し妬いてしまいますわ」

「妬く必要なんてないさ。わたしの伴侶はあなただけだし、あなた以外に心惹かれることはないからね。なによりわたしには瑠璃子嬢がこの世で一番美しく見える」

「まぁ、薫子様ったら」


 ご令嬢の赤らんだ頬に男装の麗人がキスをした。まさかそんな場面に出くわすとはと、顔がカッと熱くなる。本来なら見て見ぬ振りをするのがよいのだろうけれど、あまりにも美しい光景に惚けたように見つめてしまった。そんな僕に気がついたのか、二人が僕を見てニコッと微笑んだ。


「ふふっ。そんなにじっと見られると少し照れくさいな」

「も、申し訳ありません」


 慌てて頭を下げると「はははっ」と通りのよい笑い声がした。本当に舞台俳優のようだ。「うふふ、本当にお可愛らしい方」とご令嬢の声が続き、今度は恥ずかしさに顔が熱くなる。


「本当に申し訳ありません」

「謝る必要はないよ。それに見られて困ることじゃないしね」

「ですが、」

「むしろ見せつけてしまったのはわたしたちのほうだ」


 先ほど見た二人の姿が蘇った。ああした頬へのキスは修一朗さんもよくしてくれる。もしかして傍から見たら自分たちもあんなふうなのだろうか。ついそんなことを考えてしまい、ますます顔が熱くなった。


「おや? この香りは……」


 クンと鼻を鳴らす音が聞こえてそっと顔を上げた。


「っ」


 思わず息を呑んだのは目と鼻の先に美しい顔があったからだ。驚きのあまり上半身を仰け反らせてしまったものの、すぐに失礼な態度を取ってしまったと気づいて「す、すみません」と謝る。


「わたしのほうこそ急に近づいたりして失礼した」


 にこりと微笑む顔にドキッとした。声や目元が修一朗さんに似ているからか鼓動が勝手におかしくなる。きっと顔も赤くなっているに違いない。変なやつだと思われていないか段々心配になってきた。


「いやはや、驚いたな。てっきりおとぎ話かと思っていたが、どうやらそうでもないらしい」


 どういう意味だろう。僕を見ながら何かをブツブツとつぶやいている。


「それとも珠守のαに魅入られてしまったせいか……いや、修一朗の執念と考えるほうが妥当か」


 不穏な言葉に不安になってきた。少し考え込んでいた美しい顔がニコッと微笑んだ。


「そうだ。せっかくこうして対面が叶ったのだし、これからはわたしのことを薫子と呼んでくれないかな。もちろん様なんて付ける必要はないからね」


 突然の申し出に驚いた。目をぱちくりとさせていると「ははは、そうした表情も美しいね」と笑う男装の麗人の隣で「まぁ! それならわたくしのことも瑠璃子とお呼びになって?」とご令嬢が声を上げる。


「それはいい。ぜひそう呼んでくれないかい?」

「それはさすがにできません」

「気にしなくていい。もともと珠守の家に堅苦しい行儀作法なんてものはないんだ。華族とはいえ一度は寂れた家だからね。いまもどちらかといえば商人のほうに近い」

「ですが、」

「さぁ」

「あの、」

「さぁさぁ」


 修一朗さんによく似た笑顔が僕をじっと見ている。隣ではご令嬢が期待に満ちた表情を浮かべていた。それでも「はい」とは頷けない。


「さすがに敬称を付けずにというのは……」

「では、薫子さんならどうかな?」

「でも、」

「ぜひそう呼んでほしいんだ」


 上半身を屈めたかと思えば綺麗な顔がずいっと近づいた。これは名前を呼ぶまで解放されない気がする。息を深く吸って覚悟を決めた。


「……薫子さん」

「次はわたくしの番よ?」

「……瑠璃子さん」

「うふふ。こんな綺麗な方に名前を呼ばれるとドキドキするわ」

「たしかに。耳に心地いいとはこういうことを言うのだろうね」


 不安になる僕をよそに二人は顔を見合わせながら笑っている。


「これで修一朗に自慢できるよ」

「えっ?」

「まったく、あの嫉妬深さには我が弟ながら呆れてしまうよ。これはその意趣返しさ。それに……」


 にこりと笑った薫子さんがまたもや顔をググッと近づけてきた。


「わずかだが香りを放つこともできるようだね」

「え、……っ」


 薫子さんの指が僕の顎に触れ、クイッと持ち上げた。そうして修一朗さんに似た美しい目で僕をじっと見つめる。


「いまのきみに気づくのは修一朗以外ではわたしや兄くらいだろう。だが、もう少し花開けばαやΩならきっと気がつく。やれやれ、修一朗の執念、いや強欲さには脱帽するばかりだ」

「それはどういう……」

「問題はそんな荒唐無稽なことを受け入れられるかどうかだが……ふむ、きみなら大丈夫そうだね」


 薫子さんの指が離れた。それなのになぜか鼓動がどんどん忙しなくなっていく。


「珠守に生まれるαは昔から執念深くてね。それに強欲でもある。自分がほしいと思ったものはどんな手を使っても手に入れてきた。修一朗にもその血が流れていたということだろうね。周囲は気のいい優男だと言うが、きょうだいの中で修一朗ほど我慢強く欲深いαはいない」


 そう言って笑う顔に修一朗さんの笑顔が重なる。


「薫子様、もしかして……」

「瑠璃子嬢も感じるかい?」

「えぇ。といってもほんの少しですけれど」

「ということは、開花も間もなくといったところかな」


 なんの話かわからないのに鼓動ばかりがどんどんうるさくなる。気がつけば息をするのも苦しくなっていた。


「心配なさらないで。きっと千香彦さんもわたくしと同じようにとても幸せな気持ちでいっぱになるわ」

「幸せな気持ち、ですか?」

「だって千香彦さんは修一朗さんのことを好きでいるのでしょう?」


 面と向かってそう問われると気恥ずかしくなる。動悸と息苦しさも相まってよくわからないまま「は、はい」と頷いた。


「Ωは心から慕うαと一緒にいられることが一番なの。だからΩはαに噛まれたくて仕方がなくなるのよ。そうすれば噛んだαはΩのものになると本能で知っているからだわ。αは何人でもΩとつがい婚ができるなんてお話も聞くけれど、それは嘘よ」


 優秀なαは何人ものΩと結婚することができる。これはβでも知っていることだ。いまは表立って何人も囲うことはしなくなったけれど、遷都前は帝をはじめ多くのαが何人ものΩを傍らに置いていたと言われている。


「心から愛するΩを噛んだαは、そのΩのことしか見えなくなるの。Ωはそうやってαを手に入れて自分を守ってもらうのよ」


 美しく笑う瑠璃子さんが「それにね」と言葉を続けた。


「運命の相手ならαはΩの言うことを聞くしかなくなるの。すごいでしょう? だから運命の相手は離れられなくなるのよ。千香彦さんと修一朗さんは、きっとそういうふうになるわ」


「わたしたちのようにね」と薫子さんがつけ加えた。


「今度はお茶をご一緒しましょうね」


 腕を絡めあった二人がにこりと微笑んで去って行った。そんな二人の背中を、僕はただ見送ることしかできなかった。

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