41.アンヘリオン
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朝日が、窓辺のカーテンを透かして差し込む。
俺は、湯気の立つマグカップを手に、ソファに腰かけていた。
テーブルの上には、読みかけの本と、焼きたてのパン。
静かな朝、リースはまだ寝ているようだが、レイアは庭で剣の素振りをしている音が、かすかに聞こえる、昨日、ダンジョンで手に入れた“コテツ”が馴染むように、訓練を怠らないという姿勢が、レイアの人柄を物語っている……。
メリルは部屋に籠って、先日俺が書いてあげた人体の構造についての図解や、各部位の役割についての解説を熟読しているようだ。
シャクヤクは、めずらしく、朝から台所で何かを煮込んでいるが、鍋の中身は色が既に食用な感じではなくなっていて、サイケデリックという言葉が似合いそうな色合いになっていた。
「……平和ではないのか?」
俺は、マグを傾けながらつぶやいた。
おそらく、シャクヤクさんの鍋さえなければ、平和だなとつぶやいていたのだろう……。
昨日までのアルカエリの話が、まるで遠い夢のように思えた。
「ただいまニャ〜!」
玄関の扉が勢いよく開き、プルの元気な声が響いた。
両手に買い物袋を抱え、しっぽを左右にふわふわと揺らしながら入ってくる。
「おかえり、プル。早かったな。」
「今日は八百屋さんが空いてたから、すぐ買えたニャ。それと……ギルドの支部長さんが、フィンに来てほしいって言ってたニャ。」
「ガーランドが?何かあったのか?」
「詳しくは聞いてないニャ。でも、顔がちょっと怖かったニャ……。」
「……わかった。行ってくる。」
俺は立ち上がり、上着を羽織った。
「何かあったのかえ?」
シャクヤクが鍋の蓋を開けながら尋ねる。
その瞬間、なんともおぞましい匂いが漂った……。
「さあな。でも、あの人がわざわざ呼ぶってことは、ただ事じゃないかもな。」
「其方であれば、気をつけずとも良かろうが、一応気を付けるのじゃぞ。」
「あぁ、行ってくる。」
ギルド支部は、朝の受付で少しざわついていた。
冒険者たちが何やら情報を交わし合い、ざわざわとした空気が流れている。
「フィンさん、支部長がお待ちです。」
受付の女性が、少し緊張した面持ちで案内してくれる。
俺は頷き、支部長室の扉をノックした。
「入ってくれ。」
中から、低く落ち着いた声が返ってくる。
「失礼します。」
「よく来てくれたな、フィン。」
ガーランドは、分厚い資料の束を机に広げたまま、顔を上げた。
かつては実力のある冒険者として名を馳せた男。
今はギルド支部長として、街の安全を預かる立場にある。
「何かあったんですか?」
「ああ。ヴェール地方のサイヒルで、魔物の災害が起きた。」
「……大量発生ですか?」
「いや、違う。単体だ。」
「単体……?」
「そうだ。一体だけで、村ひとつを潰したようだ……。近くにいたSランクの冒険者が討伐に向かったが、戻ってこなかった。後で確認されたんだが、死んでたよ。」
「……。」
「俺も最初は信じられなかったが、現地からの報告は一致してる。“見たことのない魔物だった”ってな。」
「その魔物の特徴は?」
「まだはっきりしねぇ。情報が錯綜してやがる。ただ、目撃者の話じゃ、黒い霧をまとっていて、魔素の密度が異常だったらしい。」
「……それって、ただの魔物じゃない可能性もありますね。」
「ああ。俺もそう思ってる。だから、お前に話しておきたかった。」
「今のところ、討伐依頼は?」
「まだ出してない。まずは情報を集めてる段階だ。だが、いずれ動いてもらうことになるかもしれん。というより、お前以外じゃそれこそエンシェント・ノーブル・セージにでもお出まししてもらわないと、厳しいかもな……。」
「わかりました。」
ガーランドは、椅子にもたれながら、深く息を吐いた。
「……すまんな。朝っぱらから呼び出しちまって。」
「いいえ。こういう話は、早い方がいいですから。」
「お前のそういう所、助かるよ。」
俺は立ち上がり、軽く頭を下げた。
「何かわかったら、また連絡ください。あ、そうだ、リースにここに詰めてもらいましょう。何か進展があれば、俺に伝わるのも早いだろうし。」
「ああ。そうしてくれると助かるよ。すまんな。」
ギルドを出た俺は、空を見上げた。
雲ひとつない、青空だった。
だが、胸の奥に、ひっかかるものがある……。
単体でSランク冒険者を倒す魔物、その存在が、何を意味するものは……。
「……嫌な予感がするな。」
風が、静かに吹き抜けた。
風は止んでいた。
サイヒルの村は、まるで時間ごと焼き払われたかのように、静まり返っていた。
地面には、黒く焦げた土と、崩れた家屋の残骸。
井戸は砕け、石垣は崩れ、畑は踏み荒らされていた。
それでも、どこか整然としているように見えるのは、破壊が“意図”ではなく“結果”だったからなのかもしれない。
焼け焦げた洗濯物が、干された時のままの状態で、折れた物干し竿に引っかかっている。
倒れた荷車の車輪が、片方だけ空を向いていた。
割れた食器が、食卓の上にも、床にも散らばっている。
生きている人の気配はない。
鳥も鳴かない。
虫の羽音すら、ここには届かない。
それは、村の中心にいた。
黒い霧のようなものが、地面から立ち上っている。
霧というには重すぎ、煙というには動きすぎる。
それは、まるで“存在そのものが滲み出している”かのようだった。
その中心に、“何か”がいた。
形は定かではない。
見る者によって、角の数も、脚の数も違って見えるだろう。
だが、確かに“そこにいる”という感覚だけは、誰にでも伝わる。
“それ”は、世界を見ていた。
目があるかどうかはわからない。
だが、確かに“視線”があった。
その視線は、空から村を見下ろしていた。
まるで、神のように。
あるいは、神の視座に立つ者のように。
“それ”は、言葉を持たない。
だが、世界を“理解”していた。
人間の営みを、歴史を、記憶を、感情を──
まるで、風の流れを読むように、空気の震えを感じ取っていた。
“それ”にとって、死は終わりではない。
静寂の回復。
秩序の修復。
世界が本来あるべき姿に戻ること。
だから、“それ”は破壊した。
意図せず。
ただ、そこに在るだけで、世界が“正されていく”。
どこからか音がした。
遠くから、馬の蹄の音。
複数の足音。
金属の擦れる音。
人間の気配。
“それ”は、ゆっくりと顔を上げた。
顔があるのかは、誰にもわからない。
だが、確かに“世界が見上げられた”感覚が、空気に走った。
「〇※、ΦД¶§。」
声ではない。
言葉でもない。
ただ、世界に染み出すような“意識”が、そこにあった。
“それ”は動かない。
動く必要がない。
世界の方が、勝手に近づいてくるのだから。
黒い霧が、わずかに揺れた。
まるで、呼吸するように。
まるで、眠っているように。
──そして、再び、沈黙が訪れた。
風が吹いた。
だが、霧は揺れなかった。
それは、風よりも重く、
存在よりも深く、
神話よりも古い“何か”だった。
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