第29話 その背に託されたもの
「――ジュンさん」
そのとき、そっと背中に触れる手があった。
ヤンさんだった。
「ギルド長が兵たちの注意を引いてくれています。今のうちに、これを」
差し出されたのは、ナップザックみたいに背中に背負える形の革袋だった。
「これは……?」
「黒の書が入っています。これを持って、タクミさんを助けに行ってください。――貴方が、一人で」
「え?」
戸惑うアタシにかまわず、ヤンさんは顎で正面を指し示した。
「正面に見えるあの灰色の塔がグラマン塔です。タクミさんは、あそこの最上階にいます」
たしかに、天を突くような塔がそびえていた。
走れば、数分の距離だろう。
「で、でもアタシ一人って……。助けに行く人は多いほうが――」
「無理です。この状況では、兵を傷つけずに突破はできません。貴方の、そのスピードに賭けるしかないのです」
そういえば、さっきラウラさんも言っていた。
兵士たちは貴族の子息だから、ヘタに手出しできない、と。
「そして――ジュンさん。タクミさんを助け出したら、私たちのところへ戻らず、この王都を脱出してください」
「……えっ?」
それって……ここでお別れってこと?
「ど、どうしてですか?」
「ここまで表立って反逆してしまっては、もはや王都にはいられません。貴方たち2人と黒の書を、王家の手の届かないところに逃がします」
「それなら、みんなで逃げれば………」
「ギルドには私たち以外にも多くの仲間がいます。彼らを見捨てて逃げるわけにはいきません」
「……」
「大丈夫。ギルド長には作戦があります。貴方はタクミさんを連れて、城壁の外へ出ることに専念してください」
そう言って、ヤンさんはそっと袋を背負わせてきた。
「ヤンさん………」
「我々のことはご心配なく。死にはしませんよ。私には、ギルド長と果たさなければならない『約束』がありますから」
そう言って。
ヤンさんは切れ長の目を、優しく細めた。
「――また、図書室で一緒に本を読みましょう」
この人が笑ったところを、アタシは初めて見た。
「ジュン! 勝負は預けるからね! 抜け駆けすんじゃないわよ!」
「主君、どうかご武運を!」
「ロキシィ……アイギスさん……」
二人とも、たぶんラウラさんの『作戦』を聞いているんだろう。
笑って声をかけてくる。
ラウラさんに目を向ける。
兵士たちに向き合ったままの彼女は、こちらに背を向けたままで、その表情は見えなかった。
それでも――横に差し向けた手を、小さく振ってくれた。
胸の奥がぎゅっと痛んだ。
でも、迷ってるヒマなんてない。
覚悟を決めるときだった。
アタシは息を呑み込み、
「――行きます!」
それを合図に、ラウラさんがパチンを指を鳴らした。
黄金のドームがパキィン! とガラスの割れるような音を立てて砕け散る。
アタシは全身に力を込め、石畳を蹴った。
「! 黒の書の女が出たぞ!」
「構え! う、撃……えっ?」
兵士たちの声が、アタシのずっと後ろから聞こえてくる。
一瞬で彼らの頭上を飛び越し、置き去りにしたからだ。
「は、速いっ!」「バケモノか、ヤツは!」
そんな声も、もうほとんど聞こえなくなる。
アタシはただ前に、風を切って一心不乱に駆けた。
グラマン塔へ。
星野君がいる場所へ――
※※※
ジュンさんの背中が、兵たちの列の向こうへと消えたあと。
ギルド長は、ぷはぁ、と全部を吐き出すような息とともに、その座に座り込みました。
「おつかれさまでした。ギルド長」
「まったくよ。やせ我慢は体に悪いわ〜」
兵たちのいる手前、口外はしませんが、ギルド長のスキルは効果が強力な反面、五分も持続しないのです。
お年を考えると、よく頑張ったと言えるでしょう。
「誰がトシですって?」
「おや、失礼。口に出ていましたか」
「まったくもう……。さて、あとは大人しくお縄につきましょうか。兵士のみなさ〜ん、さっきは偉そうなこと言ってごめんなさ〜い。私たち、投降しま〜す」
ぽかんとする兵たちに向かって、ギルド長はひらひらと手を振りました。
「う〜ん、どんな牢屋に入れてもらえるのかしら? 広さは問わないけど、紅茶のセットは忘れずに用意してちょうだいね?」
「そんな牢屋ありませんよ……」
私は深くため息をつきました。
――さて。
あとはジュンさん。そしてタクミさん。
貴方たちに託しましたよ――。




