第16話 マッドマン
「くっ……」
太刀川の切迫した息遣いが耳元を打つ。
ドクンドクン、と激しく鳴る自分の心音もやけに鮮明だ。
――い、生きてる………?
一瞬、視界が真っ暗になったのは、太刀川の手の平が目の前にあったせいだった。
男の指が俺の頭を串団子にする寸前。
太刀川がとっさに横から手を伸ばし、止めてくれたのだ。
ナイフみたいな指先を素手で受け止めたのに、その手には傷ひとつない。
そういえばこいつ、防御力もカンストしてるんだった。
「素手で止めんのかよぉぉ……。ど〜ゆ〜カラダしてんだぁぁ?」
「そっちこそ………!」
太刀川は男の指をバッと振り払った。
男がゆらりと後ろに下がり、間合いをとる。
その指は1メートル以上の長さに伸び、ゆうゆう地面に達していた。
たしかにまともな人間の体じゃない。
「星野君、下がって!」
鋭い声が緊迫感を物語る。
こいつのこんな声は初めて聞いた。
「くくくっ……お前、面白ぇなぁぁ………。さっきまでと別人みてぇだ。そいつが殺されそうになった途端、まるっきり顔つきが変わりやがった」
男は異様なほど背中を丸めて、両腕をだらりと下げ、太刀川をねめつけてきた。
「誰なの、あなた? 何が目的?」
「お前がそれを知る必要はねぇなぁぁ……どうせこれから死ぬんだからよぉぉ〜〜」
この男はさっき、俺が黒の書を持ってることを確かめてきた。
狙いは黒の書か。
けど、なんでだ?
いつかのチンピラ3人組と同じで、売っ払おうって魂胆なのか?
「どうしたの、タクミ!」「主君!」
騒ぎを聞きつけて、ロキシィとアイギスさんが宿から飛び出してきた。
「わ、なにコイツ、気持ちわるっ!」
「何者だ、貴様!」
猫背男は、深くため息をついた。
「ピーチクパーチク、うるせぇ女どもだなぁ………。お前らに用はねぇんだがなぁぁ……。………でも、まぁ、邪魔するってんなら――」
にぃ、と口元が裂け、目に殺気が宿る。
「全員ブチ割ってやるぜぇ………!」
夜気が歪んだ。
みしり、と音がするような強烈な圧力。
枯れ木のような男の体が、何倍にも分厚く見える。
「うっ……」「く………!」
他のみんなもそれを感じたんだろう。
誰が指示を出すでもなく、俺たちはほとんど本能的に陣形をとった。
前衛に2人。
武闘家――太刀川。
剣士――アイギスさん。
後衛も2人。
魔法使い――ロキシィ。
役立たず――俺。
「いや、誰が役立たずやねん!」
「びっくりした! 急に何よ、タクミ!」
「すまん、なんでもない………」
思わずセルフでツッコんでしまった。
せめて遊び人くらいになりたいわ……
「何者かは知らぬが、主君とタクミ殿に害をなすなら、私が相手になろう! 我が名はアイギス! 貴殿も名乗られよ!」
騎士道精神をたぎらせ、アイギスさんが口火を切る。
男は血色の悪い唇を歪め、せせら笑った。
「くくくっ……なんだァ、そりゃあ? 騎士ゴッコなら、よそでやるんだなあぁ」
「無作法なやつめ。なら、推して参る!」
言うが早いか、アイギスさんはなんと真正面から斬りかかった。
「ちょ、待て! あんたがかなう相手じゃないって!」
返り討ちに遭うのが目に見えて、俺は制止の声を上げた。
「えああああっ!」
ズバッ!!
「……え?」
目を疑った。
バカ正直に振り下ろした両手剣は、まったく無抵抗の猫背男の肩口に入り、そのまま反対側の腰まで斜めに切り裂いていた。
いわゆるひとつの、一刀両断。
ズズ、と男の体が斜めにズレて――泣き別れになった2つのパーツが地面に崩れた。
誰よりも一番驚いたのは、アイギスさん本人だった。
「りょ、両断するつもりは………!」
よろけるように後ずさり、青い顔でぶった斬った相手の体を見つめる。
斬りかかっといて「そんなつもりじゃなかった」も何もないもんだが……当人もまさか、こんなあっさり倒せるとは思ってなかったんだろう。
「アイギスさん、あぶない!」
太刀川の声に、アイギスさんが「え?」と振り返る。
信じられないことが起こった。
地面に転がった男の下半身が突然立ち上がり、
ドボオッ!
「げふっ!!」
アイギスさんの腹を痛烈に蹴り上げた。
ひとたまりもなく吹き飛び、あお向けに倒れるアイギスさん。
――完全に失神している。
「な、なっ………?」
驚く俺たちの前で、さらに目を疑う出来事が起きる。
落ちて動かなくなっていた上半身が、ドロリと溶け出した。
まるで泥のように――いや、泥そのものになって土の地面に広がってゆく。
それはやがて仁王立ちする下半身へと集まり、脚をはい上がってゆく。
胴体の切り口の上にドロドロの塊が乗っかり、粘土細工のように、だんだんとその姿が人の形を成してゆく。
胸、両腕、首、そして頭。
「くくっ……くくくっ……」
下半分だけ再生した顔から、嘲るような笑い声が漏れた。
「もう聞こえてねぇと思うけどよぉぉ、せっかくだから名乗っといてやるよぉ、騎士さんよぉぉ………」
声もない俺たちの前で、男が完全に元の姿を取り戻す。
倒れ伏したアイギスさんと、そして俺たちに向かい、
「俺ぁ、クラボスクってんだぁ。スキル名は――」
どろり、と溶けるような笑みを浮かべた。
「『泥人間』、だ」




