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第6話 願い




三日後、朝。

日課にしてる剣の鍛錬後、空を見上げながら「ここまでくると面白いな」とリアンは頷いた。

近くには大衆新聞紙の「号外!」と書かれた紙束が置かれている。


「やっほー、リアンのねーちゃん」


首にかけたタオルで汗を拭いていると、どこか聞き覚えのある声にリアンは振り向いた。

見慣れない、幼い顔つきの青年。竜騎士の格好をしているが、リアンは警戒をとかなかった。


「どちら様ですか」


彼女は半身になりいつでも剣を抜けるよう、そして失礼な態度に見られない程度に距離をとった。


「ここは竜帝陛下の居住区です。竜騎士でも限られた者しか入ることを許されていません」


竜帝の住居区域に出入りできる人間は少ない。

リアンにとって見たことがない者が親しげに近づいてくるため、彼女の警戒値はとっくに基準値を超えていた。


「そして私はあなたの顔と名前を存じ上げません。少なくとも紹介された竜騎士ではないはず。所属と名は?」

「あっ、待って待って剣構えないで……そうだった忘れてるんだった」

「忘れてる?」

「えーっと初め、まして。俺は竜騎士のクシュ。竜帝様から手紙を預かっているんだ」

「手紙を……これは失礼しました」

「いやいいよ、それぐらいの警戒心は持っておいた方がいい」


パッと明るく笑ったクシュから手紙を受け取る。花の香りのする手紙であった。

言語体系は同一のはずだが、美しい筆記体で書かれた手紙は異国からの送りもののように思えた。


「じゃ、俺はこれで」


クシュはあっさりと来た道を戻ろうとした。その様子にリアンは「あ、」と呟き、引き留める。

なぜか二人とも驚いた顔をしていた。


「なにか?」

「いや、その……手紙をありがとう、クシュ殿」

「いいよお礼なんて。それに、」


ニヤッと揶揄うような表情でクシュは笑った。

見出しに「号外!」やら「祝!」やら書かれた、雑に置かれている新聞紙へと目線が移る。

つられてリアンも視線を落としたが、「あぁ」と諦めのようなため息が溢れた。


「我らが王妃様。これぐらいどうってことないですよ」


そう。これである。

リアンの考えうる限り、最短のスピードで彼女と竜帝の婚約が決まったのだ。


「王妃……」

「主君の番とかの方がいい?」

「それはやめて」


間髪入れない返答に「ふはっ」とクシュは吹き出すように笑った。

腹を抱えて笑う目の前の青年にリアンは「不思議だ」と思い首を傾げる。親近感があるのだ。


「……クシュ殿、一戦いかがですか」


剣に手を置いて、リアンが尋ねる。彼女の視線の先には先ほどまで鍛錬していた小さな庭だった。

その凛とした横顔にクシュは思わず、眩しいものを見るように目を細めた。


「いや。やめておくよ」


静かに告げるクシュに悩むそぶりはなかった。


「俺ね、氷魔法が得意なんだよね」

「ここら辺では珍しいですね。北方の地域出身ですか?」

「さぁ? 忘れた。あ、でも〜そういえば大昔は重宝されたや。氷菓子が食べたいっていうお貴族様からね」

「大昔」

「それに俺の作り出す氷の剣って結構いい感じなんだよね。でもそれをまたぶっ壊されたらたまんないや」

「まだ戦っていませんよ」

「わかるよ。君の顔を見れば。負けるつもりはないって顔。氷魔法って聞けば皆んなは最初、足元が氷漬けにされないような作戦を考えるけど、違うよね。思い浮かんだのはどう倒そうかな、だけだ」


図星を突かれた顔をして、リアンは剣から手を離した。

自然と渡されたがまだ読み終わっていない手紙へと視線が落ちる。


「これから忙しくなるよ」

「どうやらそのようですね」

「俺はたまに竜帝様からの手紙とかを渡す、係みたいな感じ。その手紙も本当は直接渡したかったらしいけど今日は忙しすぎて俺が代理。あとで本人に確認してくれていい。今日みたいに警戒は怠らないで。特に竜帝の名を簡単に出してグイグイ近づいてくるようなヤツには」

「わかりました」

「ん」


確かにクシュは手紙を渡しただけですぐに立ち去ろうとした。すぐに警戒を解いて手紙を受け取ろうとした迂闊な部分はあったが、リアンの直感は正しかったと言えるだろう。

それにしても——、


「手紙を直接、渡す?」


話すのではダメなのか、と言いたげなリアンの純粋な疑問符に、世俗にだいぶ溶け込んでいるクシュは「それはそう」と頷いた。

むしろ世間一般的な価値観に疎いのは竜帝ヴァハルの方だ。

今回のスピード婚約しかり、彼は「ある程度の非常識」を「許されてしかるべき物事」に塗り替えることのできる男であった。


「あー……特に意図はない、と思う。思いの丈ってやつだ。常識云々はリアンのねーちゃんが今度教えてやってくれ」

「まぁ可愛らしいので、別にいいですが」

「かわっ……、」


かわいい、可愛い、可愛らしい。

あのマントを羽織れば威圧感増し増しの美丈夫に、「可愛い」?

人間でいう息子同然に小さい頃から見ていて揶揄いの対象であり竜帝であったものの、可愛いとは特段思わなかったクシュにとって晴天の霹靂のような言葉であった。


——やっぱ人間の感性ってわかんねぇなぁ。これに尽きるのである。いくら模倣してもわからないものは、わからない。


「クシュ殿は、」

「敬称はいらない。クシュでいいよ」

「わかりました。クシュは随分陛下とと親しげだけれど、お母上が乳母か何かでしたか?」

「あっいや、そういうわけではないけど……昔からの知り合いかな」


彼にとって「むしろ俺が乳母というか育ての親(仮)みたいなところです」とは口が裂けても言えなかった。

目の前の少し焦ったような仕草にリアンは「そうですか」と穏やかに笑った。

生まれた頃から天涯孤独だと思っていたから、信頼のある年近い青年がいることに驚いてもいたのだ。


「クシュ」

「なんでしょうか、王妃様」

「いつか手合わせをお願いしても?」


てっきり「人前では竜帝陛下に敬意を」などと諌められると思っていたが、予想外の言葉にキョトンという顔をした。

まだ諦めていなかったのか、という感情とともにほんのりと「心」が温かくなる。

これだからやめられない。


「やだね。俺、約束は必ず守る主義だから」


朝日が降り注ぐ小さな庭に柔らかい風が流れ、新聞紙と手紙が揺れる。

笑い声と「やっぱりダメか」という明るい声が響いた。

天高い空は移ろうこともなく祝福するように輝いていた。







浅い息が止まらない。

これは一体どういうことだろう。

薄っぺらい紙を握るその細い手には、爪が食い込んで皮膚がほんのりと赤くなっていた。


「結婚——?」


眩暈がして、一度窓を見る。

どんよりとした厚い灰色の雲が左から右へと速さを保って流れているだけだ。

もう一度、チェリーピンクの視線を落とす。


「運命の、番」


わなわなと震える顔は青ざめていて幽鬼のようだ。

平時の春の訪れを象徴する、花の妖精のような雰囲気からはかけ離れている。

父親が用意した使用人の姿がなければ爪を噛んでいるところだった。


隣国の王都にある、アシュラン伯爵邸。

その一室でプリマ・アシュランは怒りと恐怖がない混ぜになった感情で棒立ちになっていた。彼女のただならない様子に、部屋にいる数人の使用人も顔を合わせて声をかけるタイミングを見計らっている。


「……嘘よ」


普段、新聞なんて読まない。

そんなもの見なくともこの先十年ほどの未来は大体わかっているから。

ましてや隣国の新聞社の号外なんて、目も通さない。


「あっ、お嬢様どちらへ、」

「お父様のところよ。どこ?」

「ご当主様でしたらお客様がお見えになって応接室にいるかと……お嬢様!?」


この号外の新聞は朝の身支度の合間に執事長が「当主様より、ご朝食の前に目を通すように」と言って渡してきたものらしい。

使用人の静止を振り切って、プリマはチェリーブラウンの髪を靡かせて走り出した。

屋敷の中を走ったのは何年ぶりだろう、と考える頭は手元で握りつぶされ廊下に捨てた紙で埋め尽くされる。


「お父様!」

「……っ、プリマ今は、」

「ご歓談中、失礼しますわ」


執務室に入ると、当主である父親と、母親。

そして最近顔をよく出すようになった親戚筋と思われる男たちが数人、深々と椅子に座っていた。

彼らは「ほう、これが」や「花の精にふさわしい」、「いやはや美しいご令嬢ですな」と口々に賛辞を述べる。


「お父様、私、実は——」


息を整えて、来客に対しておざなりにカーテシーを披露する。

言わなくては。

プリマの頭の中で、こちらを見ない義姉の後ろ姿が思い浮かぶ。


「自分以外の運命の糸も、見えるんですの」


こんなこと、あってはならない。

あの義姉が幸せになってしまうなんて、あってはならない。

運命? そんなものあるはずがないし、あってはならない。


「実は……お義姉さまに運命の糸なんて……、あぁっお客さまの前でなんてことを、」

「なっ、それは本当か、プリマ」

「えぇお父様。このままお義姉さまを隣国に置いておけませんわ」


父や母だけでなく、来客の男たちも息を呑んだ。

告げられた事実然り、目の前のプリマの懇願する顔があまりにも切実だったからだ。

ギュッと神に祈りを捧げるかのようにプリマは手を強く握った。


「会いに行くべきです、お父様」


艶やかな髪に顔が隠れる。

暗い影の中で、チェリーピンクの瞳が、鈍い光を湛えていた。

落ちぶれていくなのならまだしも、あの女。


——やはり、あの女(リアン)を、殺さなくては。




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