第4話 夜会
花騎士に選ばれた者には純白の礼服が贈られる。それらは特注で、花の装飾が一つ一つ違う模様を描く、職人たちの作品でもあった。
リアンの礼服は、満月の光を織り込んだような純白の生地に、銀糸で蔦の模様が描かれた優美な一着だった。
胸元には金糸の百合の刺繍が入り、肩から背中にかけて羽のようなシフォンが流れる。腰には剣帯が巻かれ、中央の白銀のブローチが花騎士の証として輝いていた。
「試合をご覧になって?」
「もちろんよ」
「……」
「きゃっ、見て、」
「もしかしてあの方が?」
「……」
「素敵だわぁ」
「……」
夜会に参加したリアンは花騎士の中でもとりわけ目立った存在となっていた。
夫人や令嬢がチラチラと視線を送るのは、筋肉が自慢の大剣騎士でもなければ花形の騎馬隊を指揮していた茶髪騎士でもなく、唯一の女騎士、リアンであった。
「人気だなぁ、リアン」
「……なぜ」
「なんでもお前さんが最近流行っている歌劇の主人公に似ているのだと」
リアンは団長であるルドの隣で補佐を務めながら「そいうことか」と渋い顔をした。
ちなみに補佐というのは建前で、夜会が始まると同時に可憐な乙女たちに囲まれてしまった彼女が「今宵は団長の補佐をしますので」と早々に逃げたからである。
団長であるルドの隣までついてくる令嬢はあまりいない。彼の無意識に、そして無遠慮の言葉は時に人を傷づける。例えばリアンに対して「結婚相手が見つかると思ったんだけどな〜」と呟く声は男世帯特有の遠慮のなさと、リアンがあまり気にしていないことが原因で野放しになっている。
「歌劇、ですか」
「明日から数日は観光できる。見てみたらどうだ」
「……、やめておきます」
「何か予定でもあるのか?」
「そういう団長は?」
「俺か? 俺はメラノール子爵夫人とデートだ」
「え!? あの口元にほくろのある儚げ未亡人と!?」
「んん゛……よく知ってるな」
「団長の好みきたって花騎士の間で噂でしたよ」
「アイツら……」
俺のこと好きかよ、とぼやきながらルドはワインを口に流し込んだ。
「それにしても俺をダシにするとは良い度胸だ。おかげでご令嬢やご夫人からの視線が痛い」
「結婚相手云々言って私を期待させた責任をとってください」
「嘘つけ。絶対期待してなかったろ」
「まぁ……そうですね」
「なんだその間。気になるだろ……えっ、もしかして気になる人でもいるのか?」
「いえ、違います」
リアンは隣国に訪れてからずっとソワソワとしていた。
周囲は初めての模擬戦のせいだと気にしていなかったが、実際は異なる。
「団長は……、運命とか信じますか」
「運命か。そういうお前は?」
「少しだけ。信じてます」
あと数日で、満月の夜がやってくる。
たったそれだけの事実が彼女の頭の中で渦を巻いていた。
珍しい質問がくるもんだ、と思いながらもルドは恥ずかしさを隠すようにおちゃらけた態度で返した。
「信じるよ。あったら面白いな、という意味で。お前も大方同じ理由だろう?」
「そうですね。私はあったら嬉しいな、ぐらいですけど」
「……。お前、こういう時に可愛いこと言うなよ。頭撫でたくなる」
「絶対にやめてくださいね」
「やらねーよ」
二人の間に流れるのは上司と部下だけでなく、たまに構い倒す親戚のような気安さだった。
実際にルドはリアンの家庭状況を知っている身として気にかけている部下の一人でもあった。母方が騎士家系ということもあり、名前を知っていたのだ。何より頭が回る上に腕も立つ。広告塔としても優秀。まさに理想の部下だった。
婚約破棄ぐらいで落ち込むわけないだろう、と言いたげに振る舞う様を見てきて「頑張ったな」と頭を撫でてやりたかったぐらいだ。娘も妹もいないので優秀な部下に嫌われないためにそんなことは一切しなかったが。
「お」
ルドが小さく呟く。
彼は食事を取る手を止め、入口へと視線を向けた。
「どうしました?」
つられてリアンも傾けたグラスから手を離した。
入口付近がどうも騒がしい。気づけば先ほどまで痛いほど送られてきた視線が、全て別の方向へと向いている。
「来たぞ」
ルドが面白そうにまた呟いた。
「誰がですか?」という言葉は愚問だろう、とリアンは唾とともに流し込む。
「竜帝——ヴァハル陛下のお出ましだ」
扉が開く。
ざわめきが、歓喜の声に変わった瞬間だった。
リアンは詰めていた息を吐き出すのでやっとだった。
神話の時代、この国を建国したのは黒竜であったという。
黒い鱗に、黄金を煮詰めたような瞳。昔読んだ物語で登場した勇ましい黒竜が、まるでそのまま空を駆け出し、人間の姿になって現れたかのようだった。
「ヴァハル様だ……」
「夜会に顔を出すだなんて珍しわ」
「隣国の花騎士が来ているんだ。王としては……」
あちらこちらで囁く声が聞こえる。
男も、女も、若さも、老いも関係なく。
目の前に現れた超常現象のような類の男に目を奪われていた。
何より、まとう空気が異常だった。ただ歩いているだけなのに、まるでこの世界の理が彼を中心に回っているかのように錯覚させる。
魔力の波が入り口から遠い、リアンの肌へもビリビリと伝播する。「これでも抑えている方なのだろう」と飲まれないように考えながら、肌に叩き込まれるような刺激に身じろいだ。
「なんだか」
やっとのことで、リアンは声を絞り出す。
目は竜帝である彼を捉えて離さないのに、この場から逃げたい、という衝動に駆られていた。
だが肌で感じる魔力と共に、足が離れがたそうに重たくなって動かない。
「ん? どうした」
「すごい、魔力ですね。肌がビリビリする」
「魔力……?」
団長であるルドは「何を言っているんだ?」という顔をしながらリアンを覗き込んだ。
「おい、大丈夫か」
リアンの顔色は悪くないが、瞳孔がこれでもかというほど開いている。
呼吸もしている。だが不規則だ。
「っ! リアン、落ち着け」
恐怖か、驚きか、はたまた興奮か。何かはわからない。
しかし彼女は明らかにいつもと異なっていた。
「落ち着いています」
「なら、」
ルドが小声で、そして早口で捲し立てる。
「剣を握ろうとする、その手を離すんだ。リアン!」
リアンは自身の愛剣に手をかざしていた。
力強いルドの言葉が、頭の中でぐるぐると回る。
両国の近衛騎士団では王宮内で唯一、帯剣が許されている。今回の夜会では近衛騎士団のシンボルとも言える剣を持ち込むことが許可されていた。
もちろん大剣を扱う騎士は場合によっては置いていくが、リアンが扱うような細身の剣を所持する者は、話のネタにもなるので持っていくのが決まりのようなものだった。
竜帝が現れた今、こんな場所で剣を抜いたら国際問題どころの問題ではない。
むしろ剣を握ったところを誰かに見られてもアウトだ、と思いながらルドは舌打ちをしそうになった。
「リアン、しっかりしろ……!」
ルドが横にいるリアンを見つめる。
彼女の右手を抑えようとしたがやめて、彼女の剣自体を抑えることにした。「力強いな」と成長した部分に嬉しさ半分、の気持ちが「やばい」という感情に押し流される。
そんな彼の耳に、靴音が届いた。
考えてみれば先ほどまで聞こえていたざわめきが遠のいていく。
コツ、コツ、コツ、という音と、周囲の人間が引いていく気配。
何よりじっと見つめていた彼女の目が大きく見開いたのが決定打だった。
ギギギ、と油の指していない人形のようにルドは顔をリアンが見ている方向へと向ける。
ヒュッと息を詰めたのは自分自身だと、彼は数秒遅れて気付いた。
目線を送られて、咄嗟に数歩下がり、リアンから離れる。
「見つけたぞ」
ルドの、いや正確にはリアンの目の前に現れたのは、竜帝ヴァハルであった。
髪は闇夜のごとく黒く、わずかに青い光を宿しながら流れている。鋭利な顔立ちは彫刻のように整い、瞳は深淵に沈む黄金そのもの。まるで人ではなく、金細工師が魂を込めて造り上げた宝石のようだった。
長身の身体は隙のない黒衣に包まれている。袖口には龍の紋様が刺繍され、首元に覗く肌は雪のように白い。
そして、威厳を身に纏ったような男がリアンの前に跪いた。
「——僕の、運命の番」
彼は剣に手の伸びたリアンの両手を優しくとった。確かめるように、繋ぎ止めるかのように、優しく。
拒めるはずなのに、リアンは柔らかく包まれた両手を振り払うことはできなかった。
黄金の瞳がリアンを捉えて離さない。
カチリ、と時計の針が進むように。
パズルのピースが埋まるように。
運命の番——その一言が全てを変えた。