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第3話 竜騎士と花騎士

十五歳の夜会。

満月の時に見たあの糸を、リアンは大人になった今でも心のどこかで探していた。

婚約者がいるからと、夜に浮かぶ月を見るたび、長く細い糸を目でただ辿るだけ。


運命の相手が誰だか知らないが、幸せでいてほしいと願うこと。

綺麗事を祈ることが彼女の心を安らげていた。

馬鹿らしい、と誰かは笑うだろう。実際、過去の彼女は自分自身の淡い夢を笑っていた。


その糸は、必ず、隣国の地を指していた。







リアン・アシュラン、改めリアン・ソルティベートは隣国、サステリアの競技場にいた。

神話の時代から栄華を誇る、竜帝の国。

大衆の見守る中で「竜騎士」の先鋭と、リアンの所属する王国近衛騎士団の先鋭、通称「花騎士」の模擬戦を行なっているのである。


「頑張れ! 竜騎士さま!」

「そこだ、魔法をぶち込めっ」

「迫力があるわね〜! うわっ、氷の粒が、」


目の前に迫る氷でできた大剣をリアンは押し切った。パリンと小気味よく割れた氷の破片が飛び散り、頬を掠める。

現在行なっている模擬戦は最終種目の個人戦だ。


「あんた、やるなっ」

「そちらこそ」

「去年いなかったろ、楽しくなってきた!」


キィン——鋼と氷の剣から火花が散る。


「……っ、」

「クッソ!」


初めての模擬戦に、リアンは確かに高揚していた。

競技場を囲むのは観客からの声は興奮に満ちていた。

彼女がこの場に立つまで、かれこれ三ヶ月前に遡る。




「私が花騎士に、ですか?」


リアンは目を瞬いた。

「そうだ」と頷いたのは王宮近衛騎士団の団長であるルド・ジュラキンスで、彼は至って真面目に提案をしていた。くすんだ褐色の目は真剣そのものだ。


「竜騎士との模擬戦。どうだ?」

「どうだ、と言われましても」


竜騎士。それは隣国の近衛騎士団の、とりわけ模擬戦をするときの俗称だ。

ルドが団長になってから、たびたび合同演習なども行う仲になった。どうやらあちらの団長が幼い頃同じ師範で訓練をした旧友なのだそう。


「あー別に結婚話がなくなったから、というわけじゃないぞ」

「団長に限ってそんな繊細な気遣いができないことはわかっています」

「おーおー言うじゃねか」

「むしろ傷が増えそうな模擬戦に行き遅れの女を出すその判断……私を買ってくれている、と思いたいですね。ま。小さい傷なんて、見えないところにたくさんありますよ」


あっけらかんと笑ったリアンにつられてルドも笑った。


「すげぇ逞しくなったな、お前。言葉遣いまで男どもに染まらなくていいぞ」

「令嬢の話し方も嫌いじゃないんですけどね。職場となるとどうしても違うスイッチが入っちゃうというか」

「馬に乗って性格が豹変するよりかマシか」


婚約破棄からもう数週間経った。

近衛騎士団はそこそこ身分ある団員で構成されているとはいえ、同じ身分が集まればノリは平民も貴族もあまり変わることはない。

婚約が解消されたことを伝えると、団員内での飲み会で「祝!結婚おめでとう」の文字が「爆笑!婚約破棄おめでとう(おつかれ)」に変わっただけである。


「で、本気ですか?」

「本気だよ。あちらさんの国では何人かいたことあるぞ」

「竜騎士に女性がいたんですか!?」

「お前もそうだがなんでそんなに驚くんだ? 魔力の高いヤツは性別を超越する。男の筋力とか女の体力とか関係ないほどに。大体カバーできるからな。お前もその類だろ」

「え、でも花騎士に今まで女性っていましたっけ?」

「いないな。おめでとう、お前がファーストペンギンだ。そもそもうちの国じゃ騎士団に女が入ってくること自体珍しい。お前が活躍してからは入団してくる数も増えているが、魔力適正の高いヤツはどうもな」

「あー……もしかして」

「察しがいいなリアン。お前には広報担当兼、戦力としてキリキリ働いてもらうからな」


じゃ、名前入れとくぞ。と言ってルドは何やら書類にアシュラン、と書いたあと「おっと、つい癖で。間違った」と言って二重線をひき「リアン・ソルティベート」の名前を書き入れた。


「傷心旅行かバカンス休暇はいるか?」

「いりませんね」

「じゃあ模擬戦が終わった後でもいい。ソルティベート卿に会いに行くといい」

「わかりました」


リアンは婚約破棄の騒動の熱が冷めないうちに、母方のソルティベート辺境伯の養子となった。彼らは国境の警備があるため滅多に首都へは出向かないが、手紙と共に毒の仕込めるナイフが同封されていたのは記憶に新しい。

リアンは使うつもりなんて全くないが、「よく荷物検査で引っ掛からなかったな」と感心した。


「さーて。お前の名前で何人釣れるかな」

「またそんなこと言って。あぁでも花騎士になれるなら十八歳の時がよかったな。あの時、すごく白熱した試合運びだったんでしょう?」

「竜帝自ら観戦していたからな。でも十八の頃のお前はどこか危なっかしいところがあったから却下した。死に急いでいるというか。英断だった。今のお前なら自分の剣術に体力が追いついたみたいだし、安心して見ていられる」

「……ありがとうございます」


否定できない、とリアンは黙った。


「慧眼だろ」


ルドはニヤリと笑う。「もしかしたらあっこで結婚相手見つかるかもな!」と添えて。

こうしてリアンは模擬戦に備えて、花騎士だけの地獄の訓練に新人研修も真っ青のスケジュールへと足を踏み入れてしまったわけである。




「勝者——花騎士、リアン・ソルティベート!」


わぁっ! と堰き止めたものが弾けるようにドッと歓声が沸いた。

会場のあちこちから「リアン! リアン!」というコールが鳴り止まない。


「あーっ、くっそ。負けた」


大の字で寝転がっていた氷魔法を得意とする対戦相手、クシュは軽い動作で起き上がった。


「勝てると思ったんだけどなぁ」

「いい試合だったね。あの氷の大剣が目の前に来た時は肝を冷やしたよ」

「あのね、普通、あれで倒されるの。しっかし炎とかで相殺する魔法を使うんじゃなくて物理で押し切られたの初めて。なに? 力魔法系って言ったらいいの? そういう魔法得意?」


握手をする。クシュは疲れたように肩をすぼめた。「うっわ、竜騎士の先輩が拍手してる、最悪」と年相応な仕草を見せた。


「ちょっと違うな。これ見て」

「ん、何それ……振動?」

「そう。じゃぁ聞いてみて」


そう言ってリアンは自身の剣をクシュの耳元へと近づけた。「聞く?」と怪訝そうな顔で目を閉じる。


「? ……っ! まさか音魔法!?」

「正解。音は振動。勝手に動くノコギリみたいなもの」

「だから氷の剣を叩き切れたのか!」


パァッと新種の生き物を見るかのようにクシュの表情が明るくなる。リアンの剣を覗き見るクシュは身長が低めだ。かがめばつむじがよく見えた。


「すっごいな! 教えてくれよっ」

「もちろん。その前に次の試合が始まるから、裏に戻ろう」

「あ、そうだった。まだ模擬戦だったや」


素直に頷く彼に「じゃ、早く退場しよーぜ」と促され、歓声の中を歩いた。

その間もクシュは「でさ! あの時の横に切る動作、良かったろ!」とはしゃいでいる。「弟ができたらこんな感じなのかな」と思い、リアンはふふっと笑った。


「クシュ、ここにいたのか」


二人が裏に下がれば、壁のように大柄な男が一人素早い動作で近づいた。

クシュが「げっ」という顔で隠れるようにリアンの一歩後ろへとひいた。


「そちらは?」

「初めまして。クシュ殿の対戦相手、リアン・ソルティベートといいます」


名を告げると「リアン……」と相手は何かを思い出すように呟いた。

顔に特徴はなく、覇気もない。ぼんやりとした様子の男にリアンは「この人も竜騎士なのだろうか?」と少しだけ身構える。

だが男の、金色(こんじき)に輝く双眸に思わず一歩踏み出してしまう。


「……すまないリアン殿、すぐに自陣営に戻るようにと言っていたんだが」

「いえ、お気になさらず」


おそらくクシュの先輩騎士だろう、とリアンは笑いかける。

もう一度目の前の男が「ほら、クシュ」と呼ぶ。その呼びかけにクシュも「うっ」と言いながら男の方へと移動した。


「本当に申し訳ない。ほら花騎士のお姉さんにさようなら、するんだ」

「おい! もう十七だぞ! 大人だっ」

「はいはい。ほら行くぞ」

「ふんっ。リアンのねーちゃんもまたな!」

「リアン殿と言え」


ぽんぽんと飛び交う会話にリアンは思わず笑う。


「ふふっ、仲がいいのですね」


彼女の様子に目の前の二人は顔を見合わせた後、照れくさそうに沈黙した。


「引き留めてすみません。クシュ殿、良い試合ができました。ありがとう」

「今度は勝つからな!」

「ぜひ。また手合わせ願います」


剣を交える。たった一度だ。

面白いことに、たったそれだけで何時間も話すよりも仲良くなることがある。リアンはそんな、亡くなった母の言葉を思い出した。

そして互いに握手を交わす。


「では、また。夜会で会いましょう」


この三日間、何度も口にした言葉。

リアンの口からするりと出た再会の言葉に、目の前の二人は視線を合わせた後、微妙な表情で頷く。

その様子にリアンは妙な感が働いたが、好奇心にそっと蓋をした。


夜会。

花騎士と竜騎士は普段、夜会には警護として参加するため縁はあるが主役ではない。

しかし今回のような模擬戦では二つの近衛騎士団が華となり、広間を彩る。自国でも近衛騎士団の礼服姿はあまり見られないため、良い機会というわけである。

とりわけ夫人や令嬢のウケがいい。いわゆるギャップ。特に普段からかっちりとしている騎士ほど効果抜群である。

実際、その場で縁談の話が持ち上がるわけだから近衛騎士団員としてもウィンウィンの場であった。


リアンは彼らの様子に「平民出身だから気後れしている、とかだろうか」と蓋から飛び出た考えを頭に巡らせながら背を向ける。競技場の反対側に花騎士の休憩所があるのだ。


そして。

一、二、三歩。

ピタッと、リアンは足を止めた。


「あれ? 私、」


ゆっくりと後ろを振り向く。

もう誰もいなかった。

さっきまでいたのに——()()()()()


「いま、もう一人と……?」


話していたような、という言葉が掠れる。

霧の中を歩いているような心地だ。頭の中に靄がかかる。

先ほどまで戦っていたクシュの顔すら朧げだ。


そしてまた。

一、二、三歩。

いつの間にか霧は晴れ、リアンは何事もなかったかのように歩き出した。


しかし。

霧の中で金色に輝く二つの光だけが、彼女の脳裏に焼き付いて離れなかった。







コツコツという音が二人分、石造りの壁に反響した。


「……認識阻害だけじゃないだろ」


小さな影が隣の男に問う。


「気づいたか」


楽しげにその男はフッと笑った。

その手から微かな光の粒子が螺旋を描いて消えていく。


「記憶も?」

「そうだ」

「観客は」

「リアンという花騎士と竜騎士が試合をした、という事実だけの記憶が残る」

「なるほどね。さすがだわ、ドン引き」


関心と呆れが混じったようなため息が広がった。


「で。実際に見て、その上、会ってみてどうだったの——竜帝様?」


その問いかけに黄金に称えられる目が細まる。

竜帝、と呼ばれた男はまた小さく笑った。

見なくてもわかるご機嫌な様子に「珍し」と目を逸らし、先ほど戦ったリアンという花騎士のことを思い出す。


()()()、だ」


獰猛な、だが艶のある色。

浮かぶのは他者を時に魅了し、ゾッとさせる、微笑みだった。


その様子に「ふーん」とあえて興味がなさそうに返す。

すまんな、リアンのねーちゃん。と、小さな影は心の中でひっそりと十字架をきった。

それが彼にとって、初めて神とやらに祈った瞬間であった。

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