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苦手な方はご注意ください。

A

種蒔く人は

作者: 灰撒しずる

 西方聖都と名高い小都市ヴィレンターは、他の星神教聖都がそうであるように、年に一度、四季の祝祭よりも活気付く時期がある。春の祝祭から三十二日後の祈祷節だ。

 祈祷節。八角星を掲げる女神ターリャと対話するための、供物を捧げた八日間の祈りの日々。

 カトナ国民の六割強を占める星神教の年中行事としては地味な部類のものだが、聖都においてはそうでもない。神前評議で選ばれた領内の四聖堂から、代表者が多くの付き人を伴って大聖堂に訪れる祈りの日の前後を含めた十日間。熱心な信者たちも普段より多く来訪するその時期はいつにも勝る盛期であり、宿屋や商人たちの稼ぎ時なのだ。

 空は高く晴れ上がっている。暫くは雨も降らないだろう。

 町の中心部、広大な敷地の中に構える白い列柱の八角聖堂――客人を迎えたヴィレニア大聖堂には既に、祭の準備期と同じ浮ついた空気が漂っていた。

 しかし、身構え働く大人たちを余所に、幼い子供たちは普段どおりに大聖堂の敷地で駆け回っている。早足で通る祭司たちに見守られながら小鳥のように。よく手入れされた庭園から覗けば、笑い声の溢れるそこは楽園のようだった。

「おじさん、ありがと!」

 少女は小さな手に大事そうに包みを握って笑った。小さく並んだ歯が見える。

「おじさんはサイシさまなの?」

 隣の、少し背伸びをした髪型の少女も包みを受け取って微笑む。

 柔らかい手中にしっかりと閉じ込められているのは、淡い薔薇色の薄紙に包まれた、檸檬の香りの砂糖菓子。職人が手がけた口どけのよい良質なそれ。貴族御用達とまでは行かないが、一粒で値のつくちょっとばかり高級な代物だ。

「いいや、おじさんは祭司様のお供さ。レスタートから来たんだよ」

 掌にいくつも乗せたそれを摘まんでは少女たちに与え、聖堂の敷地、隅の石段に腰掛けた男はいくらかくぐもった、しかし明るい声で笑った。小太りで、赤みの強い肌の北方民族。丸い顔の端、左耳は削がれて右より小さかった。

 彼は聖堂の仕者――祭司の付き人が着る、白く飾り気のない緩い長衣を身につけていた。そよ風にも袖や裾を広げるその服の所為で、彼の体は本来よりも更に膨らんで見える。

「レスタートって?」

「海のある町でね」

「海だって!」

「ね、海って、青いってほんと? 水でしょ?」

 男は十に満たない少女たちにも聞き取りやすいように、物語を聞かせるかのようにゆっくりと言葉を口にする。それが少々年寄り臭い。

 が、少女はそんなことを気にしてはいなかった。海どころか大きな河川も湖もないこの地で育った彼女たちには、海、と聞き知っただけの言葉がとても魅力的だった。

 なかなか見ない素敵なお菓子をくれて楽しそうに自分たちと話すおじさんは、まだまだ話に付き合ってくれそうだった。白い服の、神に仕える祭司の付き人。優しい笑顔の大人。

「そうだよ。とても広くて、青くて、綺麗だ。それにたくさん船が来る。おじさんもたまに乗る。……祭司様が来るまで話をしてあげよう」

 やったあ、と少女たちの笑顔が弾けた。親、親戚、近所の大人たち……この時期忙しい人々にあしらわれてばかりの子供たちは退屈している。少女たちの楽しそうな様につられて、花を摘んだり走り回ったり、別の遊びをしていた子供たちがあつまってくるのに時間はかからない。

「おじさん、レスタートからは馬車で来たの? あのすごく立派なの?」

 皆に分け隔てなく飴を配る中、集まった子供たちの中では年長の少年が問う。いくらか物を知っていそうな、利口そうな顔をしていた。

「……ああ。おじさんがお供してる司祭様の馬車は、あの、」

 にこやかに薔薇色の包みを摘まんだ男は、少年をちらと見てから遠くに目を移した。顔の肉に押されて小さめに見える目は、領内、四つの聖堂からやってきた祭司たちの馬車が並ぶところを見つけて暫し止まる。

 持ち上げられた肉付きよく丸っこい指は、一番右端のしっかりとした車を指した。

「白詰草の旗のやつだ」


   §


 西方領を代表する港町、レスタートのイーディア聖堂から派遣された代表者、助祭司(クロースス)のイレザクはあまり機嫌がよろしくなかった。純白の長衣に銀糸刺繍の肩帯、という眩い衣装とは対照的に地味な灰色の目を眇め、柔らかくうねりを含んだ黒髪をかきあげる。節の目立つ指はそのまま、今日ばかりはと髭の剃られている顎を辿って口元へと辿りつく。

 顔を顰めたのは一瞬。聖堂の大柱を横切り、斜陽が顔を照らすとその表情は掻き消えた。男の顔に残ったのは余分な力の入らない、落ち着いた柔和な雰囲気だけだった。ほとんど音を立てず、するすると揺れ少なく歩き、彼は迷わず見つけた背へと向う。

 左手で握った白木の短杖の先端が緩く上を向く。

「待たせた」

「――お疲れ様です、助祭司」

 トン、と手近な石段を軽く叩いて、イレザクは背を向けて座る待ち人に帰還を知らせる。振り向いた小太りの男は何か言おうと開けた口を一度閉じてから、助祭司を労い笑って見せた。イレザクの眉が微かに動いたが、構わず、彼はすぐに顔を正面に戻してしまう。

「それじゃあ皆、また明日にしようか」

 男の話し相手――当事者が気づくより早く助祭司の来訪に気づいていた少年少女は、深々と頭を下げてお辞儀している。そんな彼らを促して、小太りの男も立ち上がった。石段をいくらか昇ってイレザクの横に並ぶ。

「気をつけて帰りなさい。星の導きはあるが、まだ日は短い」

 並んだ男と比べて姿勢よくすらりと立つイレザクは、表情筋を緩め、低い声を柔らかくして子供たちに言う。彼はどちらかと言えば人相の悪い部類ではあったが、表情を作るのがすこぶる上手い。子供たちの中にあった第一印象を早々に覆し、荘厳な大聖堂を背景に聖職者らしく振る舞って送り出す。

「はい。さようなら、祭司さま、おじさん!」

 元気に答え、もう一度頭を下げて。子供たちは連れ立ち散らばり、各々の家へと引き上げていく。ぱたぱたと鳴る足音はすぐに疎らになって遠ざかった。

 聖都の穏やかな夕刻だった。空は高く、春風は澄んでいる。

「……何をしてた?」

 夕暮れの中では分かりづらい、東方の血が混ざった黄色じみた肌、先程までは緩んでいたイレザクの頬は顔の作りに相応の硬さを取り戻していた。容貌の割には若い――否、目の周りに寄る小さな皺が目立つ、歳の割には老け顔の彼は、その印象を強めるように眉を寄せ眉間にも皺を作る。

「どう見ても、子供とお話していただけだろう?」

「それならいいんだがな」

 その顔を見て肩を竦めて空笑いしながら。小太りの付き人は言葉軽く、手つきだけ恭しく助祭司を促した。イレザクは短く独り言のように呟き、足を持ち上げる。

「種蒔きだよ。鳩に餌やるより、よほど有益さ」

 舞台の台詞に似た大仰な調子の言葉は、それよりも更に小声で呟かれた。些かくぐもったその声は、華やかな男優の演じる騎士などの清貧な人間のものではなく――悪魔の演技に聞こえた。

「……君も食べるかい? お疲れのときは甘いもの、だ。いつも苦い葉っぱばっかり吹かしてるから渋い顔なんだ」

 言いながら、男は一つ、砂糖菓子を放り投げた。視界の端で弧を描いたそれを、イレザクの空いた右手の平は難なく受け止める。

 かさりとだけ音がした。その音を引き伸ばすように、押しつぶすような、人を不愉快にさせる笑声が続く。

「冗談だよ。似合わなさすぎて笑える。子供にでもあげなよ」

 笑いながら吐き出されるその言葉を何とも思わず、心を動かさず、イレザクは飴玉を指先に転がす。彼の視線は一瞬だけその薔薇色の表面に留まってすぐに外された。男の手には小さい包みは、無造作に懐へと押し込まれる。

 大人の足は会話を挟んでも止まらず、二人は大して時間もかけずに敷地の端に並べ置かれた馬車の群れに到達していた。見物も見張りもいない、善行を信ずる神の領域の車置場だった。

 イレザクは右端の、黒い垂れ旗の提げられた車に手をかけた。女神を表す八角星に白詰草を加えた白銀刺繍の黒旗。星神教は白詰派(トレフリア)、彼らが所属するイーディア聖堂の馬車だ。

 横に並んだ三台の馬車に比べると質素なつくりをしているが、仕上げの彫刻は丁寧な物であり、飾り窓には丸い嵌め硝子もある、けして安物とも無骨とも言えない代物だ。不要に飾り立てるのではなく堅実に。伝統は重んじる。騎士団の流れを汲む白詰派の性格をよく表した装飾車といえる。

 扉を開ければ、しっかりとした布張りの座席が向かい合わせになっている、暗い暖色に調和した小部屋が主を出迎える。適度に使われて馴染んだ落ち着く車内は、一見ではただそれだけだった。

 清掃されたそこに乗り込んで、イレザクは裾を気にせず床に膝をついた。長椅子のように一続きになっている二人掛けの座席の、ゆるやかに膨らんだ綿入りの座面に手をかけ、上に開く。

「予定に変更なし、定刻に市場。一ビージュたりともまけるな」

 箱のように空洞になっていた座席の中にあるのは、更に箱。鍵付きで革張り、横に長く抱えるほどの大きさがあるその中身は、透明な刀身の刃物が四本。魔石を鍛えた少々値の張る武器だ。

 聖職者たちの乗り物は、神域不可侵の約定の下、街道から都市に出入りする際に必要な検問が免除されている。不法の代物を運ぶのにこれほど好都合な乗り物もない。

 彼らは――正真正銘の星神教助祭司であるイレザクも含めて、イーディア聖堂を根城とする悪党の〝運び〟だった。物の流入が盛んな港町の特性を活かし、国内外から多くのものを運び入れ、各地に動かしていく大党の手足にして頭脳。

 聖堂の代表者とその付き人三名。今回は祈祷節に召喚されたのを利用しての、ちょっとした取引を二件抱えていた。

「了解。君たちがお祈りしてる間に全部終わるよ」

 イレザクの発言を受け、後ろに立っていた男は冗談交じりに応えを返した。彼、モナジャン・ジャンティは星神教の仕者ではなく、イーディア運び衆の中でも優秀な七名のうち一人だった。


   §


 暗く闇が落ちた中で宛がわれた部屋に戻ったイレザクは、扉を開けるなり懐に入れていた砂糖菓子を放り投げた。綺麗に弧を描いた薔薇色の包みは、部屋の中央に立っていた少年の胸にぶつかり、白い長衣の上を滑って床に落ちる。

 薄く青く、飴玉の包みと対照的な色をした目を丸くして、もうそろそろ青年になろうかという微妙な年頃の少年は転がった包みに視線を向けた。

「くれてやる」

「いっらねーよ。ジャンティのでしょこれ」

 眉が寄り、目尻の下がった目が不機嫌に細められる。付き人が助祭司に対して物を言うにはあまりに不遜な口調で言いながら、彼は屈み、包みを摘み上げた。

 長衣と同じ白色の布手袋に包まれた指が先端だけでそうするのは、潔癖な人間が汚れた物を摘まんでいるようにしか見えない。

 まだ子供の雰囲気を残した高めの声が言う言葉も特に窘めることなく、イレザクは椅子を引いて腰を下ろす。

「煙草」

 灯りと茶器が並べられたテーブルの上を眺めながら零された単語は独り言のようだった。飴玉を彼の視界の中に投げ出した少年は首を傾げる。灰色の髪の端が痩せた肩に触れた。

「まだ初日ですけど」

「初日だから構わないんだ。フアンナンの爺さんの顔見たら()みたくなった。寄越せ」

 イレザクが自分と同じく召喚された聖堂の名前を出すと、少年は髪の触れた肩を一度震わせた。

 白詰派を見下しているフアンナン聖堂の正統派祭司(クロウヌ・オルトリア)のことを思い出して、その老人が、目の前の男に晩餐会でなんと言ったのかを考える。多くの老人がそうであるように頑固者で何度も同じことを言い続ける老祭司のことであるから、大方の予想はついた。

 今回代表に選ばれた四聖堂は正統派と白詰派が半々であるからまだ良いにしても――祭司たちの中で一人だけ助祭司である彼は、ただでも代表者としての振る舞いと下位の謙虚な振る舞いを同時に求められて心労が多い。それに加えて、正統派の敵意。

 イーディア聖堂の助祭司。地位があり、優れた運びでもある男が一方的に何か言われ続けることなど、普段はない。そつなく相槌でも打って受け流したに違いないが、想像すると愉快でならなかった。

 そうして嫌味な考えを巡らせているのを気取られないうちに、少年は長衣の裾をたくし上げ、下に着た服の帯から煙草入れを引き抜いた。今回はそう疚しい代物ではないが、よくある密輸の手口である。紙巻煙草(ティージュ)を一本、吸い口を向けて差し出す。

「お祈りでもしたらいかが。安らぐんでしょ」

 イレザクが受け取ったところで一緒に取り出したマッチを擦って、火を差し出しながら言う。灰皿代わりの陶片は片手間にテーブルの上へ。煙草の先端と触れ合い、火はじりりと滲んだ。

「もうやった」

 深く煙を胸に落としてからイレザクは答えた。香の匂いの染みた白い祭服に紫煙が触れる。酷く不釣合いな光景だったが、彼らにとっては日常的なものだった。

 倹約を求められる祈りの日々、ひいては禁煙の日々を目前に、彼はゆっくりと柔らかな苦味を味わう。

「あいつ、またやってたんですか」

 その様を横目に、テーブルの上に転がった薔薇色の包みもちらりと見て、少年は呟いた。大した声量でなくともこの部屋の中では十分だった。既に夜の祈りも終わって聖堂は静まり返っているし、騒ぐような程度の悪い仕者など、そもそも居場所がない。もう眠っている者もいるだろう。祈祷節の朝はいつもに増して早い。

 淡い色の香茶を注いだ白磁の杯を助祭司の前に押しやり、自分の分も注いで、服の裾を直した少年はやっと椅子に座ることができる。動きだけみれば確かに、気の利く祭司の付き人のようだった。

「種蒔いてるんだと」

「……ほんっと気持ち悪ィな」

「ちゃんと見張っとけ」

 煙を吐き出しイレザクが答える。世間話のような軽い調子で、夕刻に聞いた言葉をそのまま。少年の顔が嫌悪に歪む。

 それから暫くの間は二人揃って無言だった。隣にも人の居る部屋はあるはずなのに、何も物音は聞こえない。テーブルの上の灯りは隙間風ではなく吐息で揺らぎ、影の形を作り変える。

 渋い顔で甘い茶を啜る少年をぼんやりと眺めて、結局どちらも開こうとしない薔薇色の包みに視線を向けて。煙草を嗜んでいたイレザクは紫煙ではなく、濁るように雑多な匂いの混じった空気を吸って言葉を発した。

「リーシル」

 そう長くない名前を、丁寧に時間を使って呼ぶ。少年は思考に耽ってテーブルの縁辺りに落としていた視線を上げた。銀を透かした、上等な色硝子か宝石のような色の目だった。

「はい」

 茶の味の残る舌を動かし、リーシルは返事をする。

「お前の仕事も変更なしだそうだ。しくじるなよ」

 イレザクの役割は今回そう多くなく、大聖堂の中で接触できる祭司から言伝を受け取り、こうして仲間に伝えることだけだった。言うなれば微調整だ。土壇場で取引の変更が行われることはほとんどない。モナジャンに言ったのと同じようなことをリーシルにも告げ、彼は煙草を吹かした。

 女神の裾での悪事の情報交換。他の祭司や仕者が聞けば憤慨どころではないだろう。

「誰に言ってんですかってね」

「教えただろう」

 間を空けない言葉のやりとり。煙草の火が潰される。リーシルはにっこりと微笑み、手袋をした左手を自らの首筋に添えた。

「『慢心は自身を抉る最も近き刃である』。ええ、覚えてますとも。……だからしくじりませんよ、私は」

 口角を上げた口が滑らかに動き、洗練された発音で紡ぐ。彼は愉快そうに肩を揺すって同僚――部下でもある年嵩の男を見上げた。

 優れた運びは慢心しない。運びだけではない。驕りは仕事を、全てを失敗に至らしめる。仕事の何たるかを知る者はけして慢心しない。そして、余裕は作るが、余分な行いをしないものだ。


   §


 リーシルは町の鐘楼の下にいた。赤い紐のついた薄い銀の金属板――照合印と呼ばれるレリーフを手に、前に立つ男が似た物を取り出すのを待つ。時間はそうかからず、すぐに黒い紐のついた、白詰草の紋章を抜いた金のレリーフが提示される。無地の銀板とそれを交換して懐にしまいこんでから、リーシルは左の手袋を外した。

 親指に嵌っていた金の指輪を抜き取って取引相手の男に手渡して、彼の仕事はおおよそ完了だった。大振りの赤い宝石のついたそれは、少年にも、手渡された男にも不釣合いな品だ。

「これからもどうぞご贔屓に」

 運びは微笑んでそれだけ告げた。神の仕者の祈りなどではなく、商人のものに似た言葉だった。そして明るく軽いものではなく、年若いにしては含むものの多い、どこかねっとりとした重たいものだった。

「……ええ」

 指輪と銀の照合印を手に、男も短く答えて頭を下げ、去っていく。

 リーシルはふ、と短く息を吐いて、下に置いていた荷物を手にとった。軽いそれを抱え込み、足早に男とは逆の道を辿り始める。

 初めて訪れる場所ではない。迷うことなく、彼は三回角を曲がり、最短距離で広場へと行き着く。聖堂からも程近い、菩提樹の大木のある広場だった。

 その木の下にもう一人の仕者はいた。リーシルと同じ白衣に身を包んだ、ふくよかな体の中年。

 子供たちの笑顔に囲まれ、その中心に居るモナジャンも笑顔だった。今日も彼は色とりどりの薄紙に包まれた砂糖菓子を持って、大人たちに投げ出された子供たちの話し相手をしている。

 祈祷節の四日目は信徒たちも特に熱心に祈る日であるから、長いお祈りの時間を終えた少年少女は開放感に溢れている。本来ならこの時期口にできない砂糖菓子、それもこの界隈では手に入れることの出来ない上等な物を貰って、皆ご満悦だ。

 広場から放射線状に繋がる道の反対側、細い路地を抜け走ってくる二人の少女が目に入り、リーシルは広場に入る前に足を止めた。少女は高い声ではしゃぎながら、一直線に同じ年頃の子供たちが集まる中央へと駆けていく。

「やあ、アン、ウージェ。家のお手伝いはもう終ったのかい」

 おじさん、と声をかけると、草原で見た狼の話をしていたモナジャンが顔を上げた。彼は相好を崩して彼女たちに手を振り、周囲の子供たちに場所を空けさせる。

「ええ、終わったの! お皿洗ったのよ」

「なんのお話してたの?」

「狼の話!」

 友達同士、輪に加わってわいわいと話始めるうちに、男は懐から砂糖菓子の包みを二つ取り出した。

「それじゃご褒美だ。ほら、大人には内緒だよ」

 新芽のような柔らかな緑色の包みの中は白と黄の縞模様の、蜂蜜を使った薫り高い一品だ。少女たちは顔を綻ばせた。

 皆が一頻り騒ぐのを待ち、区切りをつけてモナジャンは話を再開する。遅れてきた二人の為に少し前から、そういえば、と思い出した細かいところも付け加えながら。彼は強弱緩急を巧みに操り、話の中に子供たちを引き込んだ。時折来る質問意見もしっかり受け止めて話は続く。

 子供たちの頭の中には、男が道中で見た狼の親子が草原に身を潜めて走り転がる様が映し出されている。彼らの顔は輝いていた。春の木洩れ日が輝く中で、幸福を象徴するかのような光景だった。

「おじさん、」

 狼の話が終り、好奇心いっぱいに目を輝かせていた少女の一人がモナジャンを呼んで、その太い腕を軽くつついた。

 指差され、モナジャンはそちらへと視線を向ける。周りにいる子供たちよりも大分成長した、青年に近い少年が彼と同じ服を着て立っている。体格がまるで違うので、同じ服でも与える印象は違っていたが。

「やあリーシル、終わったかい、ご苦労様」

 モナジャンは彼にも笑顔を向けた。付き人の仲間を労って、よいしょと声をかけて立ち上がる。

「すみません、遅れてしまって。イレザク様がお待ちです。戻りましょう」

 愛想良くお辞儀をする少年少女に会釈を返しながら、リーシルはまるで今此処に到着したかのように振る舞った。気弱そうな、困ったような声の出し方をしてモナジャンを促す。

「もう行っちゃうの?」

 近くにいた長く波打つ金髪の少女が、彼を見上げて残念そうに言う。

 アンジェリナという名前の彼女は遅れてやってきたので、他の友達より話を聞けていない。厚めの唇は不満を表すようにむっと噤まれている。

「ああごめんね。また明日、だ」

 モナジャンも残念そうに言い、少女の頭を軽く撫でた。他の何人かの子供たちの頭や肩にもぽんぽんと手を置いて、彼は子供たちの間を抜け出しリーシルの横に並ぶ。

「それじゃあね」

「さようなら!」

「悪い人には気をつけて、暗くなる前には帰るんですよ」

 一斉に挨拶をした子供たちにまた会釈して、優しい声音で忠告までしたのはリーシルだった。はあいと元気な返事を背に、二人の仕者は踵を返した。大聖堂に向けて歩いていく。

 子供たちはすぐに次の遊びの算段を始めて、彼らには気を配らなくなった。

「やあ、仕事はどうだった」

 距離がとれたところで、モナジャンは隣の少年に問うた。子供たちに話しかけていた延長の柔らかな声の出し方ではなく、からかうような、意地の悪い発声だった。実際、口元には歪んだ笑みがある。

「問題なく。アンタ様と違って真面目にやってますよ」

 リーシルもまた、先ほどまでの丁寧な口調とは一転して悪態を吐いた。彼の場合は発音さえいくらか変化していて、先程までの、育ちのよさそうな響きは失せている。

「僕だってちゃんとやってるじゃないか。照合印(かぎ)渡しただろ?」

 ふっふ、と笑った息を漏らし、男はその丸い体を揺らした。批難をなんとも思っていない様子で、リーシルの胸辺りを指差す。

 袋を押しつけたその辺り、白衣の下には首から提げた二枚の金属板がある。運びの仕事の証明であり、取引相手の符号、運ばれた品物との交換券、そして時には荷を開く鍵になる重要な物だ。こうして数人で活動する時は、基本的に代表者が纏めて持つ。

 モナジャンがそれをリーシルに渡したということは、仕事が恙無く完了したという証拠に他ならない。だから、仕事に関してなら、お咎めを受ける理由は彼にはない。

「これは趣味さ。何、君たちの仕事に不都合なことなんてない。僕だって上手くやるよ」

 朗らかに言うモナジャンの前に、細い足が滑らされる。引っかかり、縺れて転ぶ前に二人の、四本の足は全て止まった。

「帰るまでがお仕事。……余計なことには手を出さないのが常套でしょうや」

 立ち止まり、相手の動きも止めたリーシルは同僚を見上げて吐き出した。眦の下がった目はそれでもきつく、モナジャンを睨んでいる。

 小太りの仕者はつまらなさそうに少年を見下ろし、肩を竦めた。

「おお怖い。こんなに機嫌よく仕事をこなしてる人間の何を疑うんだい」

「機嫌いいから疑ってんだよ」

 剣呑な空気は長続きせず、歩みはすぐに再開された。先程リーシルが男を連れ帰る言い訳のように名を出した助祭司が、大聖堂で本当に彼らを待っている。運びとしての仕事を確認する為でもあるが、仕者のふりをしている分、相応にそちらの仕事もしないとまずいのだ。

 中日の今日は仕者も代表者と共に夕食に出る必要があった。その準備に時間もかかる。

「イレザクは今日もご機嫌斜めかな。まったく面倒だ」

「余計なこと言って怒らせないでくださいよ。本気で面倒なんですから、あれ」

「君たち、本当に上下関係分かんないよねぇ。まあ無理も無いが」

 やはり最短距離を選んでの帰路は、健脚の二人に難はない。白い裾を揺らして歩けばすぐに大聖堂の敷地、周囲を囲む美しい庭が見えてくる。石段を昇ればすぐ、神域だ。

 二人は髪や服を適当に整え、白く眩い聖堂へと歩を進めた。

「さて、暫くは大人しく聖職者しようか」


   §


 結局、祈祷節の十日間は特に大きな問題もなく終わりを告げた。四つの聖堂の代表者たちが去ったヴィレンターの町は普段どおりの静かな敬虔さを取り戻し、季節は初夏に移ろうとしている。

 帰路の馬車の中で、イーディア聖堂の運びたちは揺られていた。朝に出立し、昼過ぎには予定していた地点を早めに通過している。野宿も辞さない彼らなら三日もあれば聖堂のあるレスタートまで帰ることが出来る。

 何も問題はないように思えた。祈祷節も、仕事も、全て。イレザクもリーシルも、気にかかっていたことは杞憂だったと安心していた。

 それが覆されたのは、森を抜ける整備された道の上でだった。太い木の枝でも転がっていたのか、馬車が普段よりやや大きく揺れた。

 生じた音にイレザクが眉を寄せ、疲労にまどろんでいたリーシルが顔を上げた。何かが二人の意識に引っかかった。今の出来事の中に何か、違和感があった。

 二人の向いの座席では、モナジャンが目を閉じて静かに座っていた。眠ってはいないだろう。ただ彼だけが平然としていた。イレザクもリーシルも確かなものを掴めないまま、違和感を探る思考に沈んでいく。

 そのうちに休憩地点に達し、馬車は静かに停止した。御者役を務める仕者が扉を開ける。下っ端の彼はすぐに水を汲みに馬車を離れた。

 馬車の中縮こまっていた人々は、体を伸ばすために外へと出た。春の陽光が目を射る。伸びをし、服を正したリーシルの胸で複数の照合印が触れ合って音を立てる。

 かち、とした些細な音に細めていた目を見開いたのはイレザクだった。彼の鼻に覚えのある匂いが掠めた。

 遅れて馬車を降りてきたモナジャンを押しのけ、彼は馬車の小部屋に立ち返る。灰色の鋭い目は、ついさっきまで男が腰掛けていた座席に据えられる。

「なんだ、もう気づいたのか」

 馬車の外で、半分笑ったモナジャンの声が言う。白い裾が汚れるのも構わず床に膝をついたイレザクは、静かに座席の収納を開いていた。空いた左手で口を塞ぎながら、彼は座席の中にある見知らぬ布の包みを見下ろす。

 端を摘まみ、払うと、小さな顔が現れた。

 同じ事に思い至り、扉の傍に立って中を覗きこんでいたリーシルの顔が蒼白になる。

 座席の中には少女が一人横たわっていた。布に包まれた体の全容は分からないが、触れたイレザクの指には温度があった。助祭司は注意深く細い首に手を沿えて、少女の脈を探った。動きがある。確かに生きている。

 波打つ癖のある長い金髪、慎ましくすらりとした小さな鼻とふっくらとした唇。目は開ければ円らに濡れていることだろう。そしてこんな風にされる前は、肌は薔薇色をしていたに違いない。愛らしい生身の少女だった。

 小部屋の中の極めて小さな部屋の隅では、煙を撒く金属の香炉が倒れていた。この音が先程の違和感の正体だ。取引を終えて空になっているはずの座席部分から聞こえた、硬い高めの音。

 衣服の類ならばつっこんだかも知れないが、こうした物をヴィレンターまで持って行った記憶は彼らにはなかった。見知らぬ香炉は大方、大聖堂で失敬してきたものだろう。荷積みをモナジャンに任せるべきではなかった、とイレザクは痛感する。

 この馬車の座席は小さな生き物ぐらいなら運べるように、ささやかな通気口が設けられていた。多少、否かなりの無茶ではあるが、このように、子供も生きたまま運べるということである。

 リーシルがモナジャンの胸倉に掴みかかる。

「やりやがったな……――この糞ったれが! 頭に豆でも詰まってんのか!」

「騒ぐなよ、起きるだろ」

 そよ風のように受け止めて、彼は穏やかに言った。意図的な言葉選び。子供への注意そのものの発言は火に油を注ぐからかいの言葉に他ならない。このぐらいで少女が目覚めるはずはなかった。

 今なお香炉から吐き出されている薄い煙は薬香のもの。上手く使えば大の男でも眠りに陥れることのできる、少量で値の張る貴重な代物だった。体の小さな少女を眠らせるには事欠かない。そのぼんやりとする香気に、汗と汚物の臭いが微かに混じっている。

「どこに隠してやがった、こんなもん」

 吐き捨てたイレザクに対し、モナジャンは長衣の裾を引き上げて見せた。肥えた腹には帯があり、練り香の容器や刃物が挟まれている。密輸のよくある手口。細身の少年がやっても違和感は無いが、元々幅のある男がやっても些細な変化。余裕のある衣服の下なら、特別違和感は生じない。

「リーシルもやってるだろ? 簡単簡単、ってね」

「盛大にやらかしやがって。犬猫じゃないってのに」

 隣で顔を歪めるリーシルとは反対に楽しげに振る舞う姿に、イレザクの眉間には深く皺が刻まれる。

「助祭司様に引っ付いて歩く僕らがこんなことするって、誰が思っただろうね! 今頃あっちは大騒ぎ、それでも僕らに目は向かない。あそこは信心の麻袋を被った奴らばっかりだからね。こんなガキも一緒だし、軍だってなかなか気にしないだろう。君たちってほんと、軍人(けだもの)どもの詰った鼻を誤魔化すには、ほんと好都合だよ!」

「獣はお前だろうが!」

 大仰に身振り手振りを交えながら、何かの台詞のようにモナジャンが言う。ガキと指差されたリーシルが国軍――猛獅子(リオ)の紋章を掲げた人々への揶揄に続けて怒鳴ったが、効果の程など知れていた。馬だけが怯えて嘶き、モナジャンはまだ熱に浮かされたように言葉を発し続ける。

「簡単だよね。飴玉の二、三で拐かしにもにっこりだ。子供は可愛らしいからすぐ効果が出る。なんて安上がりで有益な種蒔きだろう」

 彼は、数日間で子供たちに信用と好感を根付かせた。優しいおじさん――甘い菓子と面白い話を提供し、子供一人ひとりに対して真摯に対応する大人として。

 神の代行者に付き従う仕者のふりをしたのは党の取引の為だったが、この事においても好都合だった。モナジャンは子供たちの名前をすぐに覚え、好みや癖を把握した。何処に住んでいるか、普段何をしているかはわざわざ調べるまでもなかった。犬が好き、手先が器用、よく家の手伝いをしている、父親の仕事は、お気に入りの場所は……子供たちはあれこれと、自分たちから彼に聞かせたのだから。

 無造作に、景気よくばら撒いた種がそうして育っていく。その中で、彼は特別懐く子供を選別する。

 元より男子に興味はない。周囲の大人たちにも信用を根付かせるための、ただの子供好きとしての行動の中に彼らの対応も含まれているだけだ。最初から狙いは少女たちのほうだった。

 特にこちらに懐いている、または特に自分の好みである少女を見当たりつけて、彼はその子を少々優遇する。その子に特別仲の良い友達がいればそちらも優遇しておく。飴玉を一つ余分に握らせて笑って見せると簡単だ。信用と好感はしっかりと彼女たちの心に根を下ろす。格別に興味を引きそうな話題があれば「秘密だよ」と前置きした上で話すのがいい。秘密の共有は関係を一段上に位置付ける。

 彼にとっては全て簡単なことだった。慣れたことだ。彼はイーディア党の優れた運びたちの中でも、一等、〝違法な人間の輸送〟が得意なのだ。たった一人誘拐するぐらい、任される仕事と比べればどうということはない。

「この子の笑顔と言えば本当に、花のようなんだ。眩しいほどさ」

 その笑顔を見たところで止めておけば、動機が不純でもマシな種蒔きだったのだが。彼は花を手折らずにはいられなかった。リーシルを退けて馬車に乗り込んだモナジャンは眠り続ける少女を見下ろして、舌なめずりする獣じみた低俗な笑みを浮かべた。

 人気のない場所に上手く連れ込めれば難しいことは何もない。少女と男の体格差は歴然としている。刃物一つあれば軽く押さえて見せつけるだけで動けなくなる。

 そして、一度連れ出してしまえば、あとは彼の勝手なのだった。こうした手口である故に顔は知れてしまっている。イレザクやリーシルとしても、少女を生きて帰すわけにはいかない。親元に帰してやることなどできはしないし、軍に差し出すなど以ての外。どうあっても少女はモナジャンの手の中だ。後は枯れるのを待つだけの花。

「――俺は、子供は愛してやるべきだと思うがね」

 少女の寝顔を見つめ、イレザクは低く呟いた。その視界の中に飛び込んでくる黄色の包み。

「僕もそう思う。愛の形が違うだけさ。君たちの信仰と、何が違うだろう!」

 カナリア色の薄紙に包まれた薄荷の砂糖菓子をばら撒いて、モナジャンは哂った。点々と散らばる、春色の種。

 座席という狭い居場所は、棺桶のようだった。



『種蒔く人は、いずれ刈り取る人である』――と、誰かが昔に言った。

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