おきつねさん
とあるオカルトな噂を聞いた女子高生の主人公が願いを叶えてもらおうとするお話です。
「おきつねさん」に手紙を書くと、願い事を叶えてもらえる……そんなオカルトじみた噂がある。
便箋に願い事を、封筒には「おきつねさんへ」と書いてポストに入れると、その日の夜に狐のお面を被った人が来て願い事を叶えてくれるのだ。願い事を叶えてもらえるのは一生に一度だけ。封筒には住所も自分の名前も書く必要がなく、狐のお面を被った人の容姿については男だったとか女だったとかはっきりとしたことは分からない。正確にいうと噂によって違う。大の大人であればまず信じないであろう幼稚な噂だが、そういったものに縋ってしまう人もいる……そんなお話。
とある女子高生、レイカはインターネットで「おきつねさん」の話を知った。どうやら十代を中心に流行っている話らしい。レイカはこの噂を都市伝説のようなものだろうと思い信じてはいなかった。だが彼女には切実で誰にも言えない願いがあったので、ダメもとで手紙を送ってみた。その後、高校生にもなって子どものようなことをしているなと自分でも苦笑したが……その日の夜。
「……本当に来た」暗い自室で、レイカは呟いた。目の前には狐のお面を被った若い男性。レイカよりも少しだけ年上に見える。
「これはあなたが書いた手紙で、間違いありませんか?」とおきつねさんは確認してきた。その手には確かに、レイカが送った手紙の封筒があった。レイカは頷く。おきつねさんは封を開け、中身を確認する。
「願いは……『死にたい』でいいですね?」
「はい」他の部屋で寝ている家族に聞かれては困るので、二人でこそこそと喋る。レイカは親密な友達と話しているような気持ちになぜだかなってくる。それは相手がおきつねさんというオカルトな存在だからなのか、そういった機会がレイカの人生の中であまりなかったからなのか分からないけれど、わずかに心地よい。しかし、おきつねさんの次の言葉で、レイカは現実に引き戻された。
「その願いを叶えるためには、条件があります」
そんな話、噂では聞いていない。そうレイカが言うと、おきつねさんは説明を始めた。
「これは、死を望む願いをした方々限定の条件なのであなたは聞いたことがないかもしれませんね……条件というのは、あなたに次のおきつねさんになっていただくことです」
「次のおきつねさん?」
「はい。私の次のおきつねさんです。といっても、手紙を書いた人のところに行って、本当にその願いを叶えていいのか確認してよければ願いを叶える……それだけです。この狐のお面には人の願いを叶える力があるので、あなたは何も特別なことをする必要はありません」突然勧誘が始まり、レイカは戸惑う。
「……それは……それはいつまですればいいんですか? 私はいつまでおきつねさんに……」
「次に『死にたい』という願いを手紙に書く人が現れて、その人の願いを叶えるまで、です。正確にいうとその人に、今のようにおきつねさんの引き継ぎをしてください」今のように……? 一瞬意味が分からなかったが、やがてレイカはおきつねさんの言いたいことを悟った。
「もしかして、あなたは……」
「ええ。私は元々人間でした。色々あって死にたいと願い、おきつねさんになったのです。おきつねさんとはずっとそういうシステムなんです。……これでやっと、私は解放されます」レイカはしばらく考えた。死にたい気持ちは本当だが、ここでおきつねさんに帰ってもらったとしても完全に自力で死ぬのは無理だろう。臆病なのだ。だからおきつねさんに殺してもらおうとしているのだし。
「……分かりました。私、おきつねさんになります」レイカがそう言うと、おきつねさんは「本当ですか!?」と心底嬉しそうに言った。よっぽど死にたかったのだろう。その気持ちは分かるので、レイカはつられて微笑んだ。
「ではお面を渡しますね」とおきつねさん……元おきつねさんはお面を外した。素顔の彼は憑き物が落ちたような表情で、笑顔だった。
こうしてレイカはおきつねさんになった。そして、すぐにこの世の人間の願いの大半はくだらないな、と思うようになった。おきつねさんに手紙を書くのは十代が多いが、「好きな人と両思いになりたい」「部活の大会で優勝したい」といった自分でどうにかした方がいいのでは? と言いたくなるようなものが多かった。レイカ自身が自分の臆病さから自力での死に踏み切れずおきつねさんになっているので、人の事は言えないのだがどうしても狐のお面の下の彼女の表情はいらいらとしたものになっていった。たまに大人からの願い事があったかと思えば、「嫌な上司をクビにしてほしい」「不倫しているのをばれないようにしてほしい」などレイカから見ればくだらない願いばかりだった。なのでレイカの考えていることといえば(はやく『死にたい』という願いがこないかな)ということばかりで、それはそれでどうしようもない考えだが他にレイカ自身が願うこともなく毎日が過ぎていった。
そして、ようやく『死にたい』と願う手紙がレイカ……おきつねさんの元に届いた。レイカは嬉しくて仕方がなく、その日の夜その手紙を出した主のもとへ向かった。
その先が、まるで地獄だとも知らずに。
手紙の主は女の子で、なぜか夜なのに学校の制服を着ておきつねさんを待っていた。それもレイカの学校の制服だ。部屋に入ったレイカを見て驚き、「レイカ先輩……!?」と狐のお面を被った顔を見て言う。レイカは久しぶりにおきつねさんとしてではなく本名を呼ばれたので、(この子知り合いだったっけ……?)としばらく考えたが思い当たらなかった。
「私後輩の〇〇です! レイカ先輩が行方不明になってしまってからずっと心配で……もう戻ってこないんじゃないかと思っていたので死のうとしてて……死ぬ時はレイカ先輩とお揃いの服がいいので制服でって……でも、まさかおきつねさんがレイカ先輩だったなんて!」と感激しているが、彼女にも彼女が告げた名字にも聞き覚えがない。もしかしたら一方的に私を知っているのだろうかと考え、レイカはその事自体にも自分の知らない人間が自分を原因に死のうとしていることにもぞっとした。
レイカがおきつねさんのシステムについて説明すると、後輩は「じゃあ、私が死ぬためにおきつねさんになったら、レイカ先輩は死んでしまうんですか? それは嫌です!」と急に意見を変え始めた。正直レイカはこの薄気味悪い後輩から離れてさっさと死にたかったので困った。が、それを表には出さず(というよりお面を被っているので出しようがないが)、「じゃあ願いはキャンセルしますか?」と後輩に聞く。すると、
「いえ、願いを変えます」と後輩が真面目な口調で言った。
「……願いを変える?」どんな願いにするというのだろうか。
「はい。『レイカ先輩を私にください』」と後輩は微笑んだ。その笑顔を、レイカは心底気持ち悪いと思った。
そうしてレイカは、後輩のものになった。死ぬことも、もちろん元の生活……おきつねさんになる前の生活に戻ることもできずに。
(私はただ、死にたかっただけなのに。死ぬよりも生きるよりも、今の生活は辛い……)今更何を思っても、レイカの毎日は地獄になってしまったのだった。