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恋。となり、となり、隣。  作者: 雉虎 悠雨
第三章 いつも隣りに
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 ある日帰宅が遅く目雲が夕飯を一人外で済ませ帰り風呂に入った後、新しく買った三人掛けのソファーの隅っこで丸まるように本を読んでいたゆきに意を決して聞いてみればゆきは目を泳がせた。そして普段とは違う違和感のある笑顔を浮かべて、ほどほどに食べましたとなんとも曖昧な返事をした後、さっきの言い訳をしたのだ。

 目雲は隣に座って、ゆきの目をしっかり見た。


「ゆきさん、それは完全にアウトです」


 同棲を始めて二週間でゆきが家から出るような予定がなく部屋で仕事をしていると言ったのは半分ない程だった。そういう日に家で何かを食べている形跡がほぼないことに目雲が気付くのは簡単だった。冷蔵庫の食材に変化がない、食器も使われていない、ゴミもほとんど増えない、外食しているのか聞けばずっと家にいたと言う。

 気持ち悪がられるのも覚悟でたまらず聞いた目雲は、ゆきの返答を聞いて自分を褒めたくなったほどだ。


「食べる時はちゃんと食べてますよ。その……アルバイトを完全に辞めたので、ちょっと時間の感覚を戻す方法がなくなってしまっているだけで、もう少ししたらそれなりに……なるように頑張ります」


 朝食は一緒に食べるようにしようと同棲当初二人で決めたが、未だ目雲自身帰る時間が定まっていないので、夕飯はまちまちだ。定時で帰れる日もあるが遅くまで残業している日もある。ゆきが寝てから帰ってきた日も二週間でもわずかながらあった。

 ゆきを気遣って目雲は定時で帰れない日は別々でと言ったのも反省した。


「まさか夕飯も食べない日があったとは言いませんよね?」

「えーっと、どうだったか。何かは食べてるとは思いますけど」


 ゆきは食べること自体は好きだがどうしても優先順位が下がってしまうので、何かに夢中になっていると空腹がまぎれる程度に口に入れるだけで満足しておよそ食事とは言い難いまま終わらせてしまっていた。そんな自分を分かっているので今まで対策を取って暮らしてきたのが、新生活で疎かになっていたのが不味かったとゆきは反省する。


「流石に不摂生だとは思ってます」

「ゆきさんがお友達とご飯に行く日と僕の残業が余程遅くなる日以外は一緒に夕ご飯を食べることにしましょう。それと打ち合わせが外でない日の昼ごはんも用意していきます」

「そ、そこまでお世話になるわけにはいきません。ちゃんとします!」


 これまでも健康に害にない程度に自分で何とか出来てきたのだから目雲を煩わせることにはならないと自負はあったのだが、目雲にはそうとは映らなかった。


「それくらいは負担になりませんし、毎日ゆきさんがご飯食べてるか心配する方が僕の場合は精神衛生上よろしくありません」


 気にしなくても良いと言っても目雲はそうできないというのはゆきにも分かる。そうなると目雲が安心する生活を証明するまでやきもきさせるのはもう免れない。


「まさか私の食生活が目雲さんにこんな気を揉ませることになるなんて、これまではそれなりにちゃんとしてたんですよ、本当にアルバイトを辞めたからで、いや、寧ろこうなるのでアルバイトをしてたので、だからその、ちゃんとしようと思えばきっとできます」


 目雲の心配が減るようにゆきが言い連ねるが、目雲の様子が変わるどころか余計に煽る結果になっている。


「外的要因がないと無理だと言うことがよく分かりました」

「ダメだ、自滅していってる……どうすれば」


 自分でもよろしくないと分かっているだけに、目雲を納得させる根拠を上げられないゆきは珍しくあわあわと狼狽えた。


「諦めてください、無理するよりずっといいです」


 そんなゆきに慈悲のような微笑みを携えた目雲が慰めるように言うので、それはこっちのセリフだと眉を下げてじっと目雲の見上げる。


「無理させてるのは私の方では?」


 目雲の方は以前から考えてシミュレーションしていたことなので、何の迷いもなく実行性あるプランだとゆきに伝えることができる。


「そもそも朝食のついでにお弁当を用意してるので、それが二人分になることはそれほど変わる部分ではありません。夕飯についても帰ってから食べて、ゆきさんと一緒になんですから良いことだけです」


 目雲が毎朝弁当を自作しているところはもちろん見ているゆきが、それと一緒にもう一人前を作ることに負担はないと言われれば、そんなことはないと言い辛い。

 ただ怠惰な自分のせいで目雲に余計な手間を掛けさせるのに、その本人が全くそう思ってなさそうなところがもどかしく、そして実際そつなくこなしてしまいそうなところもゆきの悩ましい所だ。


「そうだ……目雲さんは聖人君子の聖母様で、スパダリ溺愛系なんだった」


 目雲から視線をはずして、どうしたものかとぐるぐる考えていると、つい最近耳した言葉がゆきの口をついて出ていた。


「最後のところは新しいですね」


 目雲が愉快そうにしているのはほとんど見ずに、自責の念と改善策を考えながらゆきがそれに答える。


「最近会った友達に話したらそう言われまして、乙女系とかその界隈の用語です。ちなみに時々甘々俺様系になることは伏せてあります。喜ばせるだけなので」

「雰囲気でなんとなく分かりました、後で調べます」

「一応誉め言葉なので、調べても正確な解釈は出てこない可能性があることも言っておきます」


 ゆきの頭の中は珍しく自分の食事と目雲をいかにして休ませるかに占められていたので、言葉に関しての話はそれほど重要視していていなかった。それでも無意味に不快にさせてはいけないと、きちんと注釈をつけた。


「それでは僕の提案は受け入れてもらったと言うことでいいですか?」


 目雲の言葉にやっと目を合わせゆきは申し訳なさそうに頷いた。


「了解しました。その代わり本当に無理しないと約束してください。簡単ですけどご飯は私も作れますから、たまには私も作ります」

「分かりました」


 そんな会話のもと一カ月が過ぎ、今の状態に落ち着いていた。

 ちなみに甘々俺様系も誉め言葉なんだと優しく詰め寄られて、満更でもないと認めるまでの攻防はゆきの中でより秘密の出来事となった。

 食事が終わり、目雲が片付けと次の日の準備をしている間にこの日ゆきは風呂に向かった。

 目雲も入れ替わるようにして風呂に行き出てくると、ダイニングテーブルで座ってパソコンに向かっているゆきを見つけた。


「お仕事ですか?」

「ちょっと早めに返信したいメールがあったので、それだけやっておこうと」


 ノートパソコンの画面から目を離さず、目雲の声にだけ反応する姿を横目に冷蔵庫を開ける。


「水飲みますか?」

「あ、いただきます」


 自分が飲むついでにゆきの分もグラスに注ぎ、テーブルに置いた。


「ありがとうごさいます」


 傍を通り過ぎる時、ゆきの髪はいつもと違いまだ少し湿っていて、しっかり乾かしきらずにいるのだなと目雲はふと思う。

 けれど、何も言うことはなくリビングに行くと爪切りを手に取った。

 ローテーブルの上にティッシュを広げて指の爪を切り始め、そのパチッパチッという音とゆきがキーボードを打つ音だけが響く。


 指の爪を切り終えた目雲がなんとなく視線を移動させると、ノートパソコンに向かっていたはずのゆきが、それを閉じていつの間にか自分の方を見つめニコニコとしているのに気が付いた。


「どうしたんですか」

「いえ」


 ゆきは微笑んだままなので、目雲はこの短時間にどうしたのだろうと気になる。


「なにか面白いことがありましたか?」


 改めて言うことでもないかもとゆきは前置きしたのち、理由を話す。


「なんだか生活してるなあっと思って」


 言われて目雲は自分の手元を見た。


「爪切りですか?」

「実家でくらいでしか見ない光景だったので、一緒に暮らしてるんだなって実感しました」

「そうですね、あまり気にしたこともなかったです」

「海外だと家族でも誰にも見られない場所で切るところもあるので、これは日本人らしい感覚なのかもしれません」


 ふむふむと自分の感情の状態を分析していたゆきは目雲が見つめていることに気が付かない。


「切ってあげましょうか?」


 唐突に言われ、ゆきは思いっきり眉をひそめた顔をした。


「え、いえいえ。ちょっと怖いので遠慮しておきます」


 想像したゆきは怯えた表情で自分の手を握り込んだ。


「僕も人のは切ったことがないです」


 立ち上がった目雲が爪切りとごみを片付け、ゆきのそばへやってきた。


「じゃあなんでそんなこと。目雲さん、たまに不思議なこと言いますよね」


 座ったままのゆきが思いっきり見上げて、小首を傾げる。それに目雲も不思議そうにする。


「そうですか?」

「そうですよ」


 目雲が閉じたパソコンに目をやる。


「メールの返信は終わりましたか?」

「無事終わりました」


 ゆきはにっこり笑ってグッドサインをした。


「ではそのまま座っていてください」


 そう言い残していったん部屋を出ていった目雲はドライヤーを手に戻ってきた。


「あ、髪が濡れているのが気になりましたか?」


 さっき軽くドライヤーしたんですけど、とゆきは自分の髪を無造作に触っている。


「外は暑いですが、風邪をひかないように」


 目雲はカウンターの壁にあるコンセントに繋ぐとドライヤーを手にゆきの後ろに立った。


「え、目雲さんがするんですか?」


 自分でするつもりでいたゆきは振り返り目を丸くした。


「一緒に暮らしてる実感です、爪切りよりは安心だと思います」

「確かに」


 さっき想像した恐怖を思い出して大人しく座ったまま、前を向いてじっとした。


「誰かの髪を乾かすのも初めてなので、熱かったら言ってください」


 ゆきがこくんと頷くと、目雲はスイッチをいれゆきの髪に触れる。

 そして思いのほか優しい手つきに癒されたゆきと、少しの好奇心が満たされた目雲はゆきの無防備な姿に一人ドキドキしていた。



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