表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋。となり、となり、隣。  作者: 雉虎 悠雨
第二章 車中でも隣には
33/86

32

 師走に入った頃、車は無事納車された。

 国産のSUVで五人乗りの荷室もボリュームのあるものになった。シートも疲れにくくゆとりのある設計の物で、最新の安全性能も搭載されたモデルだ。

 納車されたその日にそのままゆきを家まで迎えに来た目雲が助手席に誘って、適当に走り出す。


「さっそくドライブに行きましょう」


 どこか嬉しそうな雰囲気な目雲に、ゆきも楽しくなる。


「どこに行きましょうか?」

「どこへでも」


 どこまででも行ってしまいそうな言い方で、ゆきは笑いながら行き先を考える。


「そうですねぇ、海行きますか? それ以外だと景色の良いところのカフェでお茶してもいいですし、思い切り走らせるならハイウエイオアシスを目的地にするとか、今日は天気もいいので牧場とか行ってみるのもいいかもしれませんね。でも道によっては新しい車が汚れちゃうでしょうか」


 ゆきがこういう時にすらすらと案をいくつも出すことに、目雲はいつも心が震えてしまう。目雲も受け身でいるわけではないが、外に関心が向いていない分、欲求が薄く、したいと思うことがほどんどない。


 今もゆきに対してはしてあげたいと思うことがいくらでも考え付いても、こういう場面では何が良いのか分からずゆきの希望に沿いたいと、それが見ようによっては面倒を避けているような態度になっていると自覚もあった。


 けれどゆきはそんな目雲に呆れもせず、自分の意見や考えを教える。

 迷っているなら、それをそのまま、希望があるならそれもそのまま目雲に教えてくれるから、目雲はそんなゆきに尊敬に近い感情を抱く。


 ただそれに甘えるだけの自分でもいたくないという思いもあるから、ゆきを見習い、できる時には目雲からも提案するようにしていた。

 そしてゆきが思いついたことにも曖昧には言わず、しっかりと選び答える。


「観光牧場ですか、いいかもしれません。もし汚れたら洗えばいいだけです」


 新車に対する容赦なさにゆきの思考は一瞬停止するが、その正論に笑ってしまう。


「じゃあちょっと調べます」


 笑いながら言うゆきを目雲はちらりと見たが、特にそれに触れることはなかった。


「とりあえず近くのコンビニに止めますね」


 スマホでいくつかヒットした牧場をコンビニの駐車場で目雲と検討して、少しだけ距離のある牧場にすぐに決めると、ついでに店内で飲み物を買って出発する。


 道中では牧場についてや動物との体験談、海は寒くなくなってからにしようと、いろいろと話しているとあっという間に目的地に着いていた。

 少し動物園の様な牧場内を一通り巡って動物にエサをあげたりした後、売店でホットミルクを買って見晴らしのいい場所にあるベンチで一息ついた。


「美味しいですね」


 ゆきがミルクの感想を言えば、目雲も頷いた。


「美味しいです」

「新しい車で運転疲れませんか?」

「大丈夫ですよ」

「目雲さん運転お上手なんですね、免許のない私が言えたことではないですけど」


 目雲がレンタカーを運転している時も思っていたが、運転する姿が普段と全く様子が変わらないのはもちろんのこと、ブレーキングになんのストレスもなく駐車もスムーズだった。


 運転できない自分が思うくらいだから、きっと免許のある人ならもっと分かるはずだろうとゆきは思う。


「安全運転を心がけているだけです」

「大事ですね」

「ゆきさんは免許を取ろうと思ったことはありませんか?」


 ゆきは自分が免許を取ろうと思った瞬間もなく、必要もなかったその理由が分かっていて、それが周囲によく呆れられるものだったので一瞬言葉を詰まらせたが、正直に白状した。


「……本を読むせいだと思います」


 そのゆきの反応に目雲は何かトラウマになる様な話でもあったのかと心配になった。


「何か嫌な内容を読んだりしたんですか?」

「いえ、運転すると移動中、本を読めないので」


 その答えは目雲はここ最近でどんなことより一番腑に落ちた話だった。


「そういうことですか。すごくしっくりきました」


 ゆきとしてはそのことが恥ずかしいのではなく、今はまだマシにはなったが、物事の判断の中心が読書だと如実に表れていて、大学生の頃までは本当にそれでよく驚愕されたり心配を掛けたりしたので、目雲も流石に呆れられるかと不安になったから言い淀んでしまった。


 少しの沈黙が流れる。

 見晴らしがよく、空も青くてゆっくりと雲が流れている。


 ゆきはそれを眺めながらそっと言い訳をする。


「地元に住んでいたら違ったと思うんですが、こっちはバスや電車である程度はどこへでも行けるので、必要に迫られなくて」

「分かります」


 目雲はちっとも呆れたりしなかった。ゆきの軸となる様な根拠が明確に分かって嬉しさすらあった。

 ゆきとそんな話ができて、穏やかな景色をただ眺めているだけで気持ちはより穏やかになっていく。

 ゆきにもその目雲のほのぼのとした雰囲気が伝わって、ほっと胸を撫でおろし、温かい牛乳のカップを傾けながら、同じように目の前に広がる牧草地やシーズンオフでほとんど彩のない花畑と、その中をまばらに散策している人たちを静かに眺めた。


「のどかですね」


 気の抜けた声でゆきが言うと、目雲はその声同様、眠たそうにさえ見えるゆきの顔を見つめる。

 その少し赤くなった鼻先ではっとする。


「寒くないですか?」

「今日は陽の光も暖かくて、風もそんなに吹いてないので寒くないです。なんだか寒がりで気を使わせてすみません」


 申し訳なさそうにぺこりと頭を下げるゆきに、目雲が冷静に首を振った。


「いえ、僕がそのあたり鈍いだけなので」


 きっと謙遜してくれるのだと、目雲の感覚が正常でゆきが寒さに過敏すぎると反省が募る。


「私がちょっと寒がり過ぎる気もします。運動しないから筋肉がなくて体温が上がりづらいんだと思うんですよね。何かしないとダメですよね」

「ジムでも行きますか?」


 目雲の至極真っ当なアドバイスに、ゆきはすぐに頷けない。


「……続きますでしょうか」


 世間の多数がする心配をゆきも当然する。そして、それは心配という名の確信であり、続かないだろうとどこかで分かっているから実行しないのだ。

 けれどきちんと通える人もまたいる事実をゆきは知る。


「行く習慣ができてしまえば続きますよ、最近僕もまた行くようになりました」


 余裕ができて何よりだと思う反面、ゆきは自己評価でその習慣ができない自分も知っていた。


「目雲さん、私絶対目雲さんが思ってるよりずっと面倒くさがりですよ。そしてつい時間があったら本屋か図書館行くような人間なんです」

「ゆきさんらしいですね」


 すでにらしいと言わせてしまうほどなのだと、その加減の自覚が苦手なゆきは目雲の印象にショックを受けながらも、少しは名誉を挽回しようと自分の可能性を上げてみる。


「自転車にします。最近乗ってなかったですけど、好きなんですよ自転車。それなら本屋さん行くときに乗ったら一石二鳥ですから」


 頷きながら聞く目雲だったが、それなら大丈夫ですねとは言わなかった。


「気が向いたら僕と一緒にジムに行きましょう」


 ゆきの何かが運動させなければと思わせるのか、それとも誘うほど楽しいジムに通っているのかと、目雲のジムにゆきも少し興味が湧く。


「目雲さんはどれくらいの頻度で通ってるんですか?」

「週に二、三度ですよ。職場の近くのジムにランニング程度です。適度な運動が体調の安定に必要だったので。しばらく行けてなかったですが」


 本当に体調改善のために頑張っていたんだとゆきに伝わる。その努力の成果が出ますようにと願いながら、ゆきも少し気合を入れる。


「私も見習います」


 どれくらいそれが見習えるか、はたまた見習うことそのものがかなり低い可能性だと思いながらも、流石に多少は生活に運動を取り得ることは考え始めた。


 運動しなくても太らないのは食生活に問題があるからだとも分かっているゆきなので、そこも含めて本気で見習わないとなと、ゆきが考えながら空を眺めていると隣から微かに振動音が聞こえた。ポケットからスマホを取り出し画面をみた目雲の様子にデジャブを感じて、電話の相手を尋ねた。


「弟さんですか?」


 僅かに眉間に皺を寄せて、聞こえないため息が聞こえてきそうな声で目雲が相手を教える。


「いえ、今度は上です」


 兄だと言わないのは微かな抵抗かと考えながら、じっと画面を眺めているだけの目雲に自分のことを気にせずにという意味を込めて尋ねる。


「お兄さん。出なくても大丈夫ですか?」

「面倒なので出ます、すみません」


 その言い様にクスリとゆきは笑っていましいながら目雲を促す。


「どうぞ、どうぞ」


 ベンチを立って一人少し離れた場所に行く目雲をゆきは見送る。

 無視する方がより面倒なことを分かっていても電話自体は心底嫌そうではなかった雰囲気に仲の良さを感じ、ほっこりと和むゆきは穏やかな空気と景色をぼーっと一人堪能することにした。


 ゆきの元を離れ、より人気のない場所まで歩いた目雲は一旦切れた電話を掛けなおした。

 目の前には大きなミドリガメが数匹、池と言うには小さいビオトープの様な浅瀬で甲羅干しをしているのを横目にコールを僅かに聞く。


『もしもし』


 相手はすぐに出て、目雲がさっさと済ませるために前置きも何もなく話し始める。


「要件は?」

『なんだ、時間がないのか?』

「そうだ」


 目雲の兄の大翔は弟のその性格をよく分かっているから、余計なことは言わず必要なことだけを口にした。


『颯天に聞いた、彼女ができたんだってな。今度の正月連れて来いよ』


 予想外の話に、一気に気分が下がった目雲はそれをそのまま声に乗せた。


「連れていくわけがない」

『どうしてだ』


 以前付き合っていた相手だって実家の方から連れて来いなんて言われたことはなく、目雲にはその理由の見当もつかなかった。


「必要がない」

『母さんが会いたがってる』


 なぜ自分の彼女に会いたがるのか。また何か言うつもりなのか。目雲が疑心暗鬼になっていく。


「それで連れて行く気にならないと一番分かってるだろ」


 両親と距離を置いている理由を兄弟達も知っている。


『最近はまだ良くなった方だろう』


 ただ兄が母親の願いを叶えたがるのは実は目雲には理解はできた。

 子供の頃から母が何か求めることが少なかったからだ。それは両親に共にそうで、子供の願い優先で強制されるどころか金銭的に余裕がない中でも少しでもしたいと言ったことだけをやらせてもらえた子供時代だった。

 大人になってその偉大さに気が付き、さらに子育てを始めて数年経つ兄はよりその思いが強くなったと聞いてもいた。

 だからこそ目雲は苦しみは深くなる。


「余計なこと言わないようにはできないだろ」


 今大事したい存在をそんな尊敬していた両親に傷つけられる可能性に胸の苦しみと共に不安視する。


『周弥に会えるならできるだろ』

「だったらいつものように一人で行く」

『彼女と一緒のお前に会いたがってるんだ』


 それがどうしてなのかが目雲には分からない。


「必要性を感じない」


 同じ言葉を繰り返しても大翔が納得するはずもなかった。


『将来のことを考えるなら会わせておくのもいいだろ』


 そんなもの気が早い以外の何者でもなかった。

 そんなことを考える段階ではない。ゆきとの関係構築は始まったばかりで、目雲が将来を見据えているとしても、今の状況でとてもじゃないがゆきにそれを尋ねることは目雲にはできるわけもなかった。


 いらない世話にさらに機嫌が悪くなった目雲は吐き捨てるように言う。


「それこそ余計なことだ」


 けれどもそんなことにも慣れている大翔も引かない。


『父さんも喜ぶ』


 両親を喜ばせるためにゆきと付き合いだしたわけではないとは言わなかった。その代わり、兄ができることで言い返す。


「孫に会えるだけで十分だろ」

『お前のことを一番に心配してるんだ、少しは安心させてやれ』


 心配しているなら尚更、放っておいてくれと思う。


「心配かけるようなことはしていない」


 大翔は分かりやすくため息を吐いた。


『お前、マンション売っただろ、知らないとでも思ったか』


 いずれは気付かれて文句を言われるだろうとは思っていたがタイミングが悪かった。


「もともと売ると言ってあっただろ」

『できるだけ売るなとも言われてただろ、父さんが気にしてる。何があったか説明しに来い』

「彼女は連れて行かない」

『連れてこないなら原因はその彼女にあると思うことにする』


 目雲はあからさまに言葉に怒気を含ませる。


「それこそ関係ない話だ」

『だったら連れて来い』

「論点をすり替えるな」

『父さんと母さんが会いたがってるんだ。どうせ来てもすぐ帰るんだろ、少しくらい親孝行だと思え』


 了承を伝えることはなく電話が終わったが、行かないとも納得させられなかったことに目雲に重たいため息を吐かせた。


 亀たちはさっきと少しも変わらず、じっとしているはずなのに、やけに草臥れているように見えたのは目雲の心情がそうさせたからだろう。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ