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恋。となり、となり、隣。  作者: 雉虎 悠雨
第二章 車中でも隣には
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 次の週末。

 ゆきと目雲は落ち着いた喫茶店で待ち合わせをして、向かい合って二人でオレンジジュースを飲みながら、タブレットの画面を見つめていた。

 ほとんど知識がないゆきが先に白旗を上げる。


「本当に気になっている車種とかないんですか?」

「ゆきさんが気に入るのなら何でも」


 ゆきはグラスと手に取り、ストローに口を付けて考える。


 オレンジジュースを飲んでいるのは、目雲の体調を考慮したわけではなく、生絞りという言葉に惹かれたゆきがただ飲みたかったからだ。目雲はゆきの興味があるものに関心があったから同じものにしていた。

 その適度な酸味を感じながら、ゆきは車についての知識を引っ張り出すがやはり有益なものは出てこない。


「家族と友達の車しか知らないんですよね、しかも運転したこともないのでその辺りの違いもさっぱりで」

「どんな車でも運転はできるので気にしなくてもいいですよ。そうですね、遠出もしたいと思ってるので普通車のほうが座席のゆとりのあるものが多いのでいいとは思います」


 目雲は楽しそうというより重大事案でも検討しているような真剣な表情をしているが声だけはやたらと柔らかい。会話が聞こえないでその光景を見ているとお気楽な年下の女性に何かを諭しているように見えるが、逆に姿が見えずに声だけ聞こえていたら、彼女の意向を何としても聞き出したいただの甘い彼氏のやり取りだ。


 ただその彼女の方に車に対する熱量が今までなかったせいではっきりとした趣味を提示できずにいた。

 だから持っている情報を教えるしかない。


「普通車は父が乗っているのしか分からないですね、母と妹は軽に乗ってるので」


 そう言ってゆきはタブレットを操作して、父親の乗るファミリータイプのミニバンのページを開く。


「家族で乗るのと、母がいっぱい買い出しに行くのが大好きなのでたくさん買っても全部載せられるようにって、こういう車にしてるそうです」


 母が武勇伝のように語る、よく行く倉庫型のスーパーで買ったものの話をゆきが聞かせると目雲は頷きながら聞いた。


「良いですね」

「良いですか?」


 目雲の反応が思いのほか好感触でゆきの方が戸惑った。それを感じ取った目雲はその理由を淡々と説明する。


「一人暮らしだとそれほど大量に買うこともないですが、条件が許せばそういう買い方もいいと思います」

「意外な一面ですね、母と話が合いそうです。ストックするのが好きなんですよ」

「ストックは大事です、大量に所有するものではないですが、一定数は必要です」


 ゆきはふと、掃除に行った時見ることのなかった倉庫になっていると言っていた部屋がそういうことなのかと思い出した。

 意外だと言ったが、堅実で計画的なところは考えてみると目雲らしいとも思う。


 話が脱線してしまったので、ゆきは目雲が運転しやすい車の方向で検討するのはどうかとアプローチを変える。


「目雲さんがお仕事で使ってる車はどんなのですか?」


 今度は目雲がタブレットに触れる。


「ステーションワゴンや小回りの利くいわゆるコンパクトカーとかですね」


 目雲はいくつか写真をゆきにみせた。

 街中や住宅地を走るには良さそうだと、ゆきはなんとなく考えてみるが、目雲が積極的な雰囲気はない。

 他にはどんな車があるか、悩むゆきに目雲は突飛な案を示す。


「スポーツカーが良ければ、そういう車でも」


 乗り心地のことを思えば決して薦めはしないが、最重要はゆきの好みなのでそれならばやぶさかではない目雲だ。

 ただゆきは好き嫌いでは測れない違う問題が頭を過る。


「……高すぎませんか?」


 車の相場などふんわりとしか知らないゆきでも、咄嗟にそう言えるくらいの常識はあるのだが、逆に目雲にはその他と車と大差ない様子だった。


「海外の車種であればローンですね」

「海外の……つまり他ならローンじゃないってことですか?」

「車によります」


 それはそうだろうと思うが、ゆきはそもそも家族が車を買うときにローンの話をしていたので、一括で買う考えが頭になかった。


「ちなみに新車? 中古車?」

「新車の予定です」

「……すごいですね」


 新車が凄いのではなく、そこに掛かる金額をそれほど気にしていないことをゆきが言っていると目雲にも分かった。


「今まで使わなかっただけです」


 ゆきはそっと残り僅かなオレンジジュースを飲み干し、最後啜る音が響く。


「何か頼みますか?」


 目雲の気遣いに素直に頷いた。

 やや金銭感覚の違いを感じ動揺しているゆきは、落ち着こうとメニューを開く。


「次は温かいのにします」


 オレンジジュースがまだ半分残っている目雲はそのまま、ゆきだけカフェラテを頼んだ。

 空いたグラスを店員が下げると、目雲がじっとゆきを見つめる。

 ゆきが内心何を思っているのか伝わったようで、目雲はゆきの目線を拾うようにテーブルに片肘で頬杖を付いて首を傾けた。


「十分貯金があるので心配いりませんよ」

「いえ、ちょっと驚いただけなので。目雲さんが稼いだお金なので思う通りに使ってください」

「はい」


 頷く目雲を見て、ゆきは自分で言っておいてそりゃそうだろうと一人突っ込みを心の中で唱えて、それを隠すようにわざと明るい声を出す。


「やっぱり目雲さんが良いと思う車が良いと思います! 私はその車が好きです」

「まだ何も決まっていませんが、好きですか?」


 はい! と妙に元気に返事をした。


「目雲さんが選んだなら私は絶対好きになります」

「そうですか」


 急に無駄にテンションを上げたゆきをどう思ったのか、目雲は頬杖を付いていた手を口元に置いて考える仕草をする。

 ゆきはすぐに運ばれてきたカップにそっと口を付けると、ほどよい甘みとコーヒーの苦さが一息つかせてくれた。体も温まり、お金の比重の違いにやや戸惑った自分を鎮めることができ、目雲を伺う余裕すら生まれる。

 向かいに座る目雲は、リネンのノーカラーの白シャツにブラックのカーディガンを着ている。髪は仕事の時ほどきっちりとまとめているわけではないが、目元がはっきり見えるように前髪は軽く挙げられているし、サイドやトップも緩いくせ毛を生かしてふんわりとまとめている。

 やや伏し目がちに物を考える様は、ドラマのワンシーンのようだった。


(絵になるなぁ)


 それがゆきの率直な感想だった。


 カフェラテを飲みながらそんなことを思っていると、目雲が顔を上げてしっかりと目が合ってしまい、ゆきの心臓が跳ねた。


「ゆきさん」

「ぃはいっ」

「キャンプ好きですか?」


 挙動不審になりそうになりながら、その言葉を何とかゆきは聞き取ることができた。

 急な話題だが、何か車と関係があるのかなとゆきはキャンプの思い出を頭に浮かべた。


「えっと、キャンプですか、子供の頃に何回か行ったことはありますよ。母がはしゃいで怪我したり、熱出したりするので、そっちの印象が強く残ってますけど。どうしてですか?」


 好きかどうか以前にゆきはキャンプという言葉に付いてくるのは母の印象だった。

 岩場で転んだり、釣り針が刺さったり、焚火で服にたくさんの穴を開けたり、次の日必ず熱を出して寝込んだり、めげずに行くところに関心すらしていた子供の頃のゆきだ。

 ゆき自身は与えられた役割をこなし、非日常で楽しかったというくらいで、それ以上でもそれ以下でもなかった。


「同僚に車を買う話をしたら、キャンプで使える車がいいと言われまして」

「目雲さんキャンプの趣味があったんですね」


 自然の中に癒しは多そうだと頬を緩めるゆきに目雲は首を振った。


「いえ、ありません」

「あれ? ではなぜ?」


 ゆきはてっきりそうだと思ったので首を捻った。


「その同僚がキャンプに行きたいからだそうです」


 ゆきの頭にさらにハテナが浮かぶ。


「それは目雲さんがキャンプに誘われたという話で正解ですか? それで、そういう車を買うのでキャンプも行けますよという、……提案?」

「いえ、ゆきさんがキャンプが好きならそれに適応した車を買います。けれど、他にいい車があれば、キャンプは関係ないもので問題ありません」

「あれ?」


 じゃあなぜキャンプの話をしたのだろうとゆきの謎は深まったが、目雲はあくまで車を検討する一環だとする。


「選択肢の一つです」


 ゆきもキャンプは車とは関係ないような気がしてきた。

 けれど目雲も全く関心がないのなら話題にもしないだろうと、興味があるのなら参加してみてそれから車の検討に入れてもいいのではないかとゆきは思う。

 目雲の様子から車自体は急を要するものでもなさそうなことと、話をしたという相手はどうにもキャンプの方に重きがあるように感じるゆきは車の方は一先ず置いておいて真相を確かめる。


「その同僚の方は目雲さんと一緒にキャンプに行きたいんじゃないですか?」

「僕とと言うより、僕とゆきさんを連れていきたいんだそうで」


 ゆきは驚いた。

 職場の中の話だからこそゆきは自分が絡んでくるとは想像していない。


「私もですか?」

「あちらも家族で行って、大人数でするのが好きらしいです」


 ゆきの友人にもアウトドア好きはいるので想像するのは容易かった。


「あ、なるほど。それほど経験はないですけど、楽しそうですね。でも、全然関係ない私が行っても本当にいいんでしょうか?」


 問題はただの社交辞令で言われている場合、部外者はただ邪魔なだけだということだ。

 今のところ目雲の職場の人間に付き合いだしたばかりのゆきが誘われる要素がまったく分からなかった。

 けれど目雲はそこではなくゆきの心配をする。


「ゆきさんこそ、知らない人間と一緒は嫌ではないですか?」

「あまり人見知りはしない方なので、相手の方が嫌でなければ、お話させていただけるのは楽しいです」

「無理していませんか?」


 あまりに躊躇いなく承諾されて心配な目雲に、ゆきは少し考えた。


「無理はしていませんが、もしお会いして合わなそうだと思ったら、その時は次回からはごめんなさい」


 正直なゆきに目雲は少し安心する。


「ちなみにどんな人間が苦手ですか?」

「どんなというのはないんです。ただどうにも話がかみ合わないというか、お互い良い影響がないと言いますか。そういう時はそっと離れる方がお互いのためだなって気が付いて。どうにもお友達になれない人がいるんだと中学くらいに悟りました」


 中学の時はゆきから積極的に関わろうとした相手ではなかったのだが、なぜだか向こうからゆきと行動を共にしようとしてきて始めはゆきも他と変わらず接していたのだが、そのうち一歩下がって、さらに二歩距離を取っていくようにした。


 残念ながらその時は上手く離れることができなかった中学時代だったが、上手い具合を見つけてからはそれが平和に暮らす秘訣にしていた。


 目雲は二人の同僚を想像して、悪い人間でないことだけは保証した。


「会いたがっているのは向こうですし、そのうち一人はキャンプができればいいらしいですから、不快にさせるようなことはないはずです」


 ゆきは笑ってしまった。


「そうなんですね」

「車のことは別にして、バーベキューをしようという話があるので一度会ってみましょうか」

「はい、バーベキュー久しぶりなので楽しみです」


 結局この日決まったのはバーベキューに行くことだけだった。



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