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恋。となり、となり、隣。  作者: 雉虎 悠雨
第一章 隣の部屋に住む人は
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 心機一転を実践しているゆきとは逆に目雲の方はより過去との決別に囚われていた。割り切るのではなく、変えられない過去をどうすれば良かったのかとばかり考えるから、いつまでも抜け出せない。

 そして、ゆきという存在がまた、その一つになろうとしていた。


 昼休みだというのに、自席で本当に適当に食事を終わらせ仕事を続けている目雲の傍に同僚の瀬戸口朋一せとぐちともかずがやってきた。


「目雲、引っ越したんだって?」


 引っ越したことによって住所変更の手続きを事務員とした時に近くにいた違う同僚に話したのを瀬戸口は聞きつけたらしい。


「ああ」


 目雲はあの次の日、不調で身動きが取れなくならないうちに不動産屋にいってその日にでも入居できる物件を無理やり探し、ゆきが引っ越した一週間後には新たな部屋に移っていた。


「売るのか、あのマンション」


 以前、部屋を見たいという口実で瀬戸口にせびられて一度家で飲んだことがあったが、それから目雲は仕事が、瀬戸口は子供ができたりとお互い忙し過ぎてその時だけになっていた。


「もう手続きを始めている」

「まあこの仕事している俺らだからな、そんなこといくらでもあるって分かる」

「そうだ」


 手を動かし仕事を続ける目雲に瀬戸口は不穏な空気を感じてしまう。


「何か不満があったのか?」

「いずれは売るつもりだったのが、早くなっただけだ」


 遺産として相続するときにも目雲にはいろいろと思うことがあり、本来なら受け取ることそのものを拒否したかったのだが、それもまたいろんな事情で叶わず、時が経ってしがらみが無くなった頃に売ってしまおうと思っていたのは事実だった。

 ただ、ゆきに合わす顔がなく逃げたというのが真実でもあった。


「あそこなら早く売れるな、築年数が短ければ短い方が余計いいだろうし。それで金に困ってるとか?」


 瀬戸口の興味はマンションを売ったことではなく、目雲の様子にあった。


「問題ない」

「じゃあ良かった、なんかあったら言えよ。大金貸すのは無理かもしれんけど、俺たち夫婦の育休中に一番頑張ってくれてたの目雲だろ、そのお礼いつでもするから」

「一人でやったわけじゃない」


 目雲一人が全てを代わりに受け持っていないことは瀬戸口も承知しているが、急遽早まった瀬戸口の育休のため直接の仕事の肩代わりでなくとも尋常ではない仕事量をこなしていたと瀬戸口は聞いていた。


「そうだとしてもだ。あんまり血の気のない顔で仕事してると心配になる」

「それは、悪い」


 自覚は当然あるが目雲が一番それに悩んでいる。言われても改善の糸口さえ見つけ出せていなかった。

 瀬戸口はその体の不調について、はっきり分かっていなかったが、目雲に寄り添う気持ちは強くある。


「今頃言うなって思うかもしれないけど、竹中が辞めたのもお前のせいじゃないしな」

「全く無関係でもないだろ」


 同じ事務所にいた竹中という人物は目雲と年齢も近く、そして竹中の方が大学卒業から今の事務所で働いていたので、大手から転職してきた目雲とでは勤務年数は俄然竹中の方が長かった。

 それらがすべて悪い方に作用して、目雲は竹中に敵視されていた。この事務所の所長である皐月士文さつきしもんに直接引き抜かれてきたと思われていた目雲だったので、皐月に強い憧れと尊敬をもっていた竹中に妬まれたのだ。


 目雲も体調を考慮しながらも次々と仕事をして実績を作っていたので、功績が事務所内外で知れ渡り始め、ますます評価が高まっていっていたのも妬みの種になってしまっていた。


「お前に嫉妬したってそれはあいつ自身の問題であって、目雲がどうしたって結局解決できるのは竹中だけだから、辞める選択肢だってあいつには正解だったんだよ。辞め方には問題あったけどな」


 瀬戸口が言わんとしていることも理解できたが、目雲にはそれすらも自分が都合よく逃げる口実にも思えてしまっている。


「もう少しできたことはあるかもしれない」


 目雲も竹中の様子には気が付いていたが、どうすればいいのか考えあぐねている間にある日突然竹中は来なくなり、辞めてしまった。


「だからそれは目雲が考えることじゃないって言ってんの。妬まれた方ができることなんかない。いいな、だから気にするな」

「分かってる」


 そう分かっていない顔で目雲は頷いた。

 皐月所長にも同じように言われていたが、目雲の心に影を落とす一つの原因になったままだった。




※※※※※※



 ゆきが引っ越してからひと月以上が経ち、暮らしにもすっかり慣れていた。


 定食屋のバイトもやや頻度は減らしたものの続けていて、愛美のマンションとは逆方面に二駅ほどで、通うのも大変でないと分かっていたので、翻訳の仕事を少しずつ増やしながらもやめるつもりは今のところなかった。


 昼食時をたっぷり過ぎた時間に宮前はゆきが勤める定食屋にやって来ていた。

 店内に客はまばらにしかおらず、ランチタイムとは打って変わってのんびりとした雰囲気が漂っていた。

 宮前の注文を通してから水を持ってきたゆきをこの時間なら余裕があると知っている宮前は引き留める。

 目雲からゆきとの話を聞いてから初めてやってきた宮前は一見以前と変わらない様子のゆきに、笑い掛けた。


「平気そうだね」


 その一言で目雲とのことを知っていると悟ったゆきは苦笑で返すしかなかった。

 目雲に振られる少し前から宮前からの連絡もなくなっていたので、とても久しぶりだった。


「平気じゃなくても働きますよ」

「あいつも一緒だよ、働いてる」


 目雲の場合はそれが気にしないでいてくれている状態なのかは判別できないので、ゆきはもう自分にはできないことをお願いした。


「体調だけは崩さないように気にしてあげてください」

「心配ならゆきちゃんがすればいいよ」

「私では余計心労が溜まりますよ。ストレスは元から絶つのが一番です」


 宮前は珍しく眉を寄せた固い表情になった。


「あいつがそう言ったの?」

「言わなくてもいいように、会わないようにしてたんだと思います」


 宮前は自分が傷ついたように目を瞑ると、息を吐いて今度はゆきを労わるように見つめた。


「君のせいじゃない」


 真剣なその宮前の視線にゆきはまた苦笑するしかなかった。


「そうだと良いんですが。この一年が目雲さんにも楽しい思い出として残ってくれたらとは思います。思い出すのも嫌だと思われてないと良いなって」

「そんなことにはなってないから」

「宮前さんが言ってくれるなら信じます」


 ゆきが笑顔で言えば、一つ頷くと宮前もやっと元に戻ったように笑った。


「そう、信じて信じて」

「ありがとうございます」

「俺は変わらずここに来てもいい?」

「ぜひぜひ」

「ゆきちゃんに会えるもんね」


 もう来店初期の時の様にゆきに連絡してから来ることはほぼなくなっていたので、ゆきは以前のような頻度で店に立っていないと知らせる。


「あ、ちょっとシフト減らしたんでいないことも多いかもしれません」

「どうしたの? さっき働くって言った口で」

「もう一つの方で、ちょっと大きな仕事することになって。引っ越しもしたので、少し頑張っちゃおうかなと」


 宮前は目を見開くと、ゆきの方に身を乗り出した。 


「あそこ引っ越したの? メグちゃんと喧嘩した? まさか周弥のせい?」


 特に挨拶もしていなかったと思い出したゆきはそう誤解されるも仕方がないと、慌てて否定する。


「いえいえ、事情があってメグがあそこ売ることになったって。メグとは今でもちゃんと仲良しのままですよ、目雲さんのせいでもないです」

「そうなんだ」


 ほっとしたような宮前の人の好さがゆきの気持ちも和ませる。

 宮前はゆきの負担になるかもしれないと思い目雲が引っ越したことは敢えて言わなかった。


「お心遣いありがとうございます。ここ美味しいんでぜひいっぱい来てください」

「うん、ありがと。あと、俺たちは友達のままでもいいよね?」


 宮前とは目雲と通じての関係だが、不思議と目雲とは別の感情で本当に友人として居心地の良さのある人だと思っていたのでゆきは頷く。


「宮前さんがそうだと言ってくれるなら、私は嬉しいです」

「じゃあここで会えなくても大丈夫だ。たまに一緒に飲もう」


 その言葉は社交辞令でないと思えたゆきは宮前の気持ちが嬉しかった。


「はい、ありがとうございます」


 笑顔で頷くゆきに宮前も笑顔で応えた。






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