第92話:いつかいっぱつひっぱたくそーです!
「姫様、運動しましょう、運動」
侍女のクーヤも言う。
「ううう……」
ルナ王女は嫌そうである。師匠は肩を竦めた。
「魔力の件はなくとも、姫さんは運動したほうがいいね。それこそ決闘士みたいな武力を持つ必要はないが、動けるってのは王族の女性にも大事なんじゃないかね?」
例えばダンスは王侯貴族の女性に必須であるし、暗殺者や暴漢に襲われたような時、近衛が駆けつける一瞬だけでも身を護れるようにするためと王族が自衛を学ぶ国もある。それにそもそも健康は大切なことだ。
王女以外の皆がうんうんと頷いた。
「ぐぬぬ……」
「ルナ殿下」
ウニーが声をかける。王女はのろのろと顔を上げた。
「トゥ・ガルーの王子、私は存じ上げないのですが……ムカつきません?」
「えっ」
「いつか機会あれば一発引っ叩いてやろう、そう思いませんか?」
「えっ、そ、そうよね。うん。そうよ!」
ルナ王女は自分に降りかかってきた呪いに振り回され、あまりこれについて考える暇がなかったが、一国の王子ともあろうものが、隣国との王女との婚約が進んでいる状態で他の女性にうつつを抜かしている。
非常に失礼極まりないことであった。
「そうよね、そんな機会あっては困るかもしれないけど、いつか。もし機会あればびしっとやって差し上げなきゃ!」
「その意気です殿下! そのために訓練しましょう!」
「そうね!」
「ルナでんかがんばれー」
「ピキー!」
「ピー!」
「ピュー!」
と皆におだてられてルナ王女も身体を動かすようになり、そして魔術の勉強も始めたのである。
肉体操作系の魔術には自己や他者の肉体を強化する術と、逆に弱める術がある。それらの最も基本となる術はそれぞれ〈筋力増加〉と〈痒み〉であるが、ルナ王女は他人に魔術を使えないのだ。〈痒み〉を覚えさせても、自分の身体を痒くさせるだけである。〈筋力増加〉に絞って指導が行われ、ほんの数日で魔術が発動できるようになったのである。
「〈筋力増加〉!」
ルナ王女が魔法を使い、師匠はそれを確認する。
「ふうむ、魔法はきちんと発動してるよ」
王女は卓の上に積み上げられていた本を一度にゆっくりと持ち上げた。魔力なしで彼女一人では持ち上げられない重さのものである。
「おー」
マメーが歓声を上げた。
ふんす、とルナ王女は笑みを浮かべ、ウニーやルイス、侍女たちはぱちぱちと手を叩いた。
「だがねえ……困ったな」
しかし師匠の表情は冴えない。王女は本を下ろして尋ねる。
「わたくし、何か失敗してますかしら?」
「いや、魔法は完璧さ。問題は目的が達せていないのさ」
「目的……?」
師匠はルイスの方を指差す。
「そこにいるルイスなんざ、太腿が姫さんの胴回りくらいあるだろ?」
ルイスは腿を上げて手でぱちんと叩いて見せた。
彼はグリフィンライダーであり、空を飛ぶという関係から、騎士にしては細身な方である。だが筋肉質であり、特にグリフィンの胴を挟んで身体を固定する脚は非常に鍛えられていた。
「だいたい、ルイスの体重は姫さんの2倍ちょいあるはずさ。筋肉の量でいや4倍じゃすまない。〈筋力増加〉の魔術は当然筋肉にかけるんだから、それだけで使う魔力が5倍違うのさ。それに、丈夫な筋肉にゃ魔力をたくさん込めても大丈夫だが、姫さんの弱っちい身体にそんな魔力込めたら身体が壊れちまう。つまり、姫さんはルイスに魔法かけるのの1割も魔力が消費できてないのさね」
「はあ」
ルナ王女は生返事を返した。師匠は苦笑する。
「あたしゃあんたに何のために魔法教えてるんだっけね、姫さん」
姫に魔法を教えている一番の目的は、運動させるためでも王子に一発喰らわせるためでもない。体内の魔力を消費させるためである。
ランセイルは纏めた。
「つまり、これでは殿下の魔力消費量が、保有する魔力量に対して少なすぎると」
師匠は頷く。
もちろん、単純に運動時間や魔術を使う時間を今よりももっとたくさん取ることができれば、問題は解決する。だが、当然のこととして戦士でもなければ魔術師でもない一国の姫が、日がな一日トレーニングして過ごすわけにはいかないのは明白である。
「もっと効率よく魔力を使わせないといけない。それか、恒常的に魔力を使わせるかだね」
この手の魔力過多となる症状は、魔力を蓄積できる魔道具に魔力を吸わせるのが一般的である。だが、ルナ王女は魔力放出ができないためにその手段もとれないのだ。
師匠はそのようなことを説明し、うーん、と皆が頭を悩ませた。その時であった。
「ピキー」
赤いゴラピーが鳴いて、マメーのローブの裾をちょんちょんと引いた。
「んー、どーしたの?」
マメーがかがみ込んで話を聞く体勢になれば、ゴラピーたちはピキピーピューとマメーに何やら訴える。マメーはふんふんとそれを聞いて、立ち上がるとこう言った。
「ゴラピーがなんとかできるって」
「なんだって?」