第91話:むにむにぺたぺた
「魔力放出のできないタイプ……とは?」
ルナ王女は師匠に尋ねた。
「そのまんまさね。自分の身体から魔力を外に出せないのさ」
師匠は王女の手を離すと、指を一振り。指先から虹色に光る泡が生まれた。
「しゃぼんだま!」
マメーが歓声をあげた。
泡は師匠の指先を離れ、ルナ王女の身体の周囲を回ると、卓上でふわふわくるくると物理的には不可能な動きで上下左右へと揺れる。
「ピキー!」
「ピー!」
「ピュー!」
ゴラピーたちがしゃぼんだまを追いかけ、てちてち机の上を走り回る。さいごは青いのがぴょんと飛んでしゃぼんだまを捕まえた。
「ピュー?」
青いのは不思議そうに自分の手を見るが、もちろんそこにしゃぼんだまは無い。はじけて消えてしまっているのだ。師匠はルナ王女に向けて言う。
「今、あたしは自分の魔力を使って泡をつくりだしたね?」
「はい」
「そしてそれを自在に動かした。もちろん、あたしの手も足も泡に触れちゃあいない。じゃあどうやって動かしていると思うさね」
「それはもちろん魔法で……ああ、魔力を身体から外に放出して、それによりしゃぼんだまを動かしているのですね?」
「そういうこったね。術式の名称としては念動というが、それでまちがっちゃいない」
マメーは消えちゃったねーと無邪気にゴラピーたちと話しているし、ウニーも自然体で話を聞いている。ルイスとランセイルは表情を消して立っているが、内心では今の技前に畏れるばかりだ。ルイスは以前のお茶を淹れてもらった時のようにその魔術が全く感知できないことについて。ランセイルはその魔術の繊細さについて。しゃぼんだまをを割らずに動かすような芸当、宮廷魔術師の誰もできやしないだろう。
「わたくしが魔力放出ができないとは、それができないという意味なのですね?」
ルナ王女は少しがっかりしたような声で言い、師匠は頷いた。
ランセイルが小さく挙手して尋ねる。
「グラニッピナ師よ、どうして殿下が魔力放出できないと分かったのでしょうか」
「魔力感知さね。魔女や魔術師は魔力を自然と多く放っているがそれがない。姫さんの身体から魔力を感じないだろう」
結局のところルナ王女が生まれてから、誰も彼女が魔力を有していると気づかなかったのはこの体質にある。つまり、一般人と変わらないのだ。
「触ってみな。マメーたちも」
「……お手を失礼いたします」
ランセイルが恭しく王女の手を取り、逆の手をマメーとが遠慮なくとった。ゴラピーたちもそれに群がる。
「ちょっと、マメーちゃん、ゴラピー?」
ウニーが注意しながらルナ王女の手をとる。むにむに、ぺたぺたと王女の手が揉まれていく。くすぐったいのかルナ王女はくすくすと笑った。
ふむ、とランセイルは立ち上がるとルイスの手や顔もぺたぺたと触る。
「おい、やめろよ」
「なるほど、不覚でした。この魔術の素養が欠片もない、ルイスよりもなお姫の身体から魔力を感じないというのはそういう可能性があるのですね」
師匠は言う。
「普通は気付きようもないのさ。あたしだって気づかなかった。ただ、姫さんには自分で角を生やす魔力があるという結果から逆算すればってことさ」
「なるほど、他の可能性がないと。それとて不才には気付けませんでしたが……」
「ま、極めて稀な症例なのは間違いないからね。魔力放出できない魔術師で歴史に名を残してるのは、150年ほど前に偉大な決闘士が一人いたってくらいさ」
師匠はふうむ、と唸った。
「どうなさいました?」
姫が尋ねる。
「ちいと困ったなと思ってね」
「何に困るのでしょう」
「魔力の放出ができないってことは、基本的には自分の身体にしか魔力が使えないってことさね。魔力がなかなか減らないのさ」
しばしその言葉の意味を考え、ランセイルが問う。
「つまり、師は殿下の身体から魔力を日常的に使わせることによって、意に沿わぬ獣化現象を防ごうとお考えでしょうか」
「そういうことだった、さね」
「あの……」
ハンナが手を挙げる。
「例えば殿下の魔力を封じることはできないのでしょうか」
魔道具などを身につけて魔力を封じるというのはしばしば使われる手段ではある。
「あれは短期的には有効だが、長期的にやると体内に魔力が溜まるとか、身体にあまり良くはないのさね。それにね、あたしは魔女だから、魔女の卵を封じるような真似は好まないのさ」
「なるほど、失礼いたしました」
例えば社交の場など、決して魔力が暴発してはならない時だけは魔力封じの指輪などを身につけるというのはとても有効的な手段であり、その用意もすべきだろう、と師匠は付け加えた。
「つまり問題は、日常的に生じるわたくしの魔力をどう使うか、なのですね? 例えば何か基礎的な魔術を教えていただくわけにはいかないのでしょうか」
師匠はそれには答えず、マメーに尋ねた。
「マメーよ」
「あい」
「ルナ殿下の魔術の素質、何だと思う?」
「えっとねー。にくたいそーさけい」
「ま、そうだね」
自分の身体に角を生やすとなれば、動物系統か肉体や生命に関わる素質であるのだろうと想像がつく。マメーがその中で肉体操作と言ったのも、師匠には理解できるので特に追求はしなかった。
「肉体操作で一番単純なのは筋肉なんかを強化する魔術なのさ。その強化した筋肉を動かせば、魔力も効率良く消費できるよ」
おや、とルイスが笑う。
「ルナ殿下、私と一緒に筋トレしますか?」
王女は卓に突っ伏した。
「わたくし、運動神経は壊滅的でっ……!」