第87話:師匠、宰相と面会する。
サポロニアンの王城にはいくつもの塔があり、その大半は物見や城の防衛のためのそれである。しかし北側にある塔の一本は、貴人の罪人などを幽閉するための場所として使われているのだ。
薄暗く狭い石の螺旋階段をのぼっていった先にある部屋は、瀟洒で居心地の良さそうな部屋に見える。だがその窓には鉄格子が嵌められ、部屋の入り口には兵士が詰め、決して中の人間が逃れられない造りになっているのだ。
兵士の一人が中にいる壮年の男に声をかけた。
「ネイヴィス閣下」
「閣下はやめたまえ。今の私は罪人だぞ」
中にいる男はネイヴィス、この国の宰相である。
男は机に向かい、紙にペンを走らせていた。そこから顔を上げることもなく答える。
「は……。ではネイヴィス殿、客人が面会にいらしております」
「……ふむ、誰かね」
ネイヴィスには心当たりがなかった。王とは先ほど話をしていたばかりであるし、そもそも王がここに来ることはあり得ない。呼び出せば良いのだから。
自分が捕まって直ぐに面会に来るくらいの気概があり、なおかつそれが認められるような政治力があるような派閥の人間も心当たりがなかった。
兵士は言う。
「魔女、グラニッピナ殿です」
「なんだと!」
宰相は驚きに顔を上げた。階下から石の階段を杖で突く、カツカツという硬質な音が近づいてくる。
「あー、どっこいせー、やれやれ。ったく高いとこにわざわざ篭りよってからに」
階段を昇りきった師匠はやれやれと腰を叩く。
宰相は皮肉げな笑みを浮かべた。
「おやおや、こんなところまでご足労ですな。それこそ、この城に来た時のように飛んでくればよかったでしょうに」
「馬鹿たれ、この塔にゃ魔術封じの結界がしてあるだろう。そんなこともわからんのかい?」
宰相は肩を竦めた。実際のところ、魔術封じの結界とてそれを上回る実力の術者であればその中で魔術を行使することは可能であり、万象の魔女たるグラニッピナがここで魔術を使えぬはずはない。
あくまでも王国のルールを尊重しているということを示して見せているのだろう。
「ま、細かいこたいいんだよ。宰相のネイヴィスといったかね?」
「いかにも」
「下手打ったもんだね」
師匠はくっくと笑って言った。
「それを貴女が言いますか。貴女がサポロニアンに来なければ計画は上手くいっていたのですがね」
実際、ルナ王女にかけられた呪いは解かれず、宰相が犯人であるとは露見していなかったのだ。
「王女に呪いをかけるとは、随分と乱暴な手段をとったものだ」
「承知の上です」
「重大な事件だから魔女のあたしが呼ばれた。失敗なんじゃないかね?」
師匠は煽るように言うが、宰相は動じた様子もみせない。
「目的は達しました。成功ですな」
婚約への時間稼ぎ自体はできているため、彼の目的は達している。そして自分の命については最初から慮外としているのだ。だからこそこうして落ち着いているのだろう。
「それにしてもリスクの高い手段じゃあないか」
「宮廷魔術師が解けぬ呪いを私の手の者が解呪させれば、王家は私に頭が上がらない。リスクもあるが得られるものも大きい。そういう狙いもあったのですがね」
「ふん、どうだか」
師匠はそれが本心なのか嘘なのかはわからない。そしてそれに興味もなければ、王国の政治や司法に介入する気もないのだ。
宰相はその反応に不思議そうな表情を浮かべた。
「それを尋問する気もないのなら、なぜわざわざここに来たのです?」
「ふむ、それじゃあ本題に入るとするかね。あんたの子飼いの間諜がトゥ・ガルーに行き、現地で調査してるんだろう?」
「まあ……そうですな」
「そしてそいつらはまだ帰ってきていない」
宰相は頷いた。
「それがどうかなさいましたか?」
「そいつらとの連絡の取り方を教えな」
はいそうですかと頷けるような話ではない。間諜は秘されてこそ意味があるのだ。当然そんなことは彼女だってわかっているはず。ではなぜ突然そのようなことを言い出したのか、そう宰相が考えだすが、師匠はすぐにその理由を口にする。
「ついさっき、あたしの知り合いの魔女がここに来てね。そしてトゥ・ガルーに向かった」
「は?」
ブリギットのことである。宰相の口がぽかんと開く。
「いっとう飛ぶのが速い魔女だ。今夜中には向こうに着く」
「は?」
「普通なら精神感応も届かない距離だが、そいつはあたしの妹弟子でね。ちょっと特殊な魔術で国を跨いでも連絡が取れるのさ」
「んな馬鹿な」
「あんたの手駒と妹弟子が接触できりゃ、明日の午前中にゃあんたの手駒が既に調べた情報がここに手に入るって寸法さね」
宰相はこれみよがしな大きなため息をつき、天を仰いだ。
「魔女殿と話していると、我々の努力が馬鹿らしくなりますな」
「だから魔女は国と関わらないようにしてるんじゃないか。今回は半端に関わっちまったから例外だよ。さ、とっとと連絡手段を教えな」








