第81話:言えるはずがありませんわ。
ルナ王女はゆっくりと口を開く。
「トゥ・ガルー王国、隣国の王族は妻を複数持つと学びました」
サポロニアンは王侯貴族、平民に関わらず一夫一婦制である。これはこの時代において珍しい風習とまではいえないが、決して一般的である訳でもなかった。
例えば獣人には一夫多妻や、逆に一妻多夫という制度の種族も多い。
人間でも特に王族に関しては、血を絶やさぬために側室をもうける国も多いのだ。実際、サポロニアンの隣国であるトゥ・ガルーは直系王族のみに限られるが妻を複数持つことが認められていた。
「そうなの?」
マメーは師匠を見上げる。
「そういう国は多いさね。ま、その辺の勉強は後だ。今は黙って聞いておいで」
「あい」
王妃は姫の言葉に少し狼狽した気配を出したが、扇を広げてそれを隠して言った。
「ええ、確かにその通りよ。でももちろん、貴女を正妻として重んじて貰うという約束あっての話なのよ」
当然のことである。国力に圧倒的な差があるなら姫が側室や寵姫として嫁ぐ可能性もあろうが、そういった話ではないのだ。
同盟のため、二国間の関係を深めるための婚姻である。ルナ王女をトゥ・ガルーの王妃とし、将来的にはその子が王位につく。そうして国同士が繋がりを強めるのが理想であった。
むろん、ルナ王女もそれを分かっている。しっかりと頷いた。
「それは構わないのです。そして結婚が王族の姫にとって大切な仕事だとも分かっていますわ」
「ええ、ルナは良い子だもの。わたくしたちに不満を言ったことはないわ。でも、内心でどう思おうと仕方のないことよ。それを嫌と思っていたということでしょう?」
しかしルナ王女は今度は緩く首を横に振った。
「いいえ、お母さま。違うのです。妻が複数いたとしても構わないのです。ただ……」
「ただ?」
ルナ王女は紅茶を手に取ろうとした。だがその手が震えたため、彼女は拳を握るとそれを卓の下に隠した。そして意を決したように一息で言い切った。
「ですが、そのわたくしを尊重すると言うことに関して気になっていました。王子には既に、真に愛する人がいるのだと」
「なんですって!?」
王妃の顔色が変わった。
王子が王妃となる正妻を迎え、その後に側室を持つというのであれば分かる。だが、それでは全く順序が逆だ。それでは正妻がお飾りではないか。
「待って、ルナ。私も陛下もそのようなことを耳にしたことがなかったの。もしそれが真実であれば貴女をそのようなところに嫁がせるつもりはないわ!」
王妃の言葉は悲鳴のようであった。ルナ王女は頷く。
「ええ、お母さまならそう言ってくださると思っていました」
「でも、どこからそのような話があったの」
ルナ王女は、しばし言葉を迷わせ、絶対に処罰しないと王妃に約束させてから言葉を続ける。
「……わたくしの侍女であるクーヤから、隣国の平民たちの噂として聞きました」
「平民たちの……なぜ言ってくれなかったの?」
「言えるはずがありませんわ」
ルナ王女はそう言った。
一方、ところ変わって謁見の間の隣、控えの間である。国王ドーネット9世が、宰相のネイヴィスに尋問していた。
ルナ王女がそう口にしたのと時を同じくして、宰相もまた国王に向けて同じ言葉を放ったのだ。
「言えるはずがない。言えるはずがありませんぞ、陛下。相手国の王族に関する不名誉な噂、それも平民の間でのみ流布しているというものを口にし、それが間違っていたとすればなんとします」
宰相は自分の首に手を当てた。
「別に私の首などはどうでもよろしい。ですが、隣国の宰相が婚約に横槍を入れたことが露見したとなれば……」
「……我が国の立場が弱くなるか」
王は唸った。宰相は頷く。
為政者にとって平民はもちろん重要である。だがその地位は、権力は、立場は圧倒的に異なるのだ。一国の宰相が平民の噂を鵜呑みにして踊らされたとなれば、それは国としての体面に関わる事態である。
「それでお主は、ルナに角を生やさせたというのか」
「ええ、当家の分家筋の魔術師に、高価な魔力結晶を使い捨ててまで強力な呪いをかけさせましたとも。宮廷魔術師には解除できないようにしましたが、魔女殿には全く通用しなかったようですな」
宰相は自嘲するように鼻を鳴らす。
「角を生やした目的は時間稼ぎか?」
「ええ、間諜を送っています。もちろん陛下も隣国に使者など送って調べさせてはいるでしょうが、王侯貴族の間に限られるでしょう。今回の噂、隣国では箝口令がしかれているのか、上位貴族の間にはそもそも広まっていないという可能性も考えました。なにせ、王子が愛しているのは平民上がりの男爵令嬢だというのですから」
むう、と王は唸る。
魔女の使う遠距離思考転送など一部の例外をのぞき、即時の通信手段というものは存在しない。間諜を送り、情報を集め、それを秘密裏に持ち帰るとなれば確かに時間はかかるのだ。
「男爵令嬢との恋か……それは確かに公にはなるまい」
王族が貴族の令嬢と結婚することももちろんありえる。だがそれも公爵か侯爵家まで、よほどの特例でも伯爵家までだ。それ以下は貴賤結婚といい、基本的には有り得ぬこととされる。
「このこと、ルナには?」
「彼女の侍女にこちらのメイドから噂を流させていますよ。おそらくはご存じでしょう」
宰相はにやりと笑みを浮かべた。それは皮肉げではあったがどこか晴々としていた。
「抱えていた秘密を吐き出せて肩の荷がおりましたな」
一方の国王はため息をつき、眉間に皺を寄せた。
「その荷はわしの肩に移ってきただけなのだがな」








