第70話:べしべし。
ルイスたちの反応が遅れたのは、『まだ危険ではない』からである。もう少し遅く反応した方が、確実に専守防衛であったと言い返せるという考えである。とにかく貴族相手の対応は面倒なのだ。
だが、マメーやゴラピーにそんな考えはない。攻撃をしかけられそうになったとあれば、即座に防御と反撃をするというのは当然の思考であった。
ルイスにとってはマメーが反撃することを見抜けなかったのが反省点である。
男はどう、と倒れた。城の廊下である。絨毯が敷かれているから身体を痛めたりはしていないだろう。
「ゴラピー!」
マメーが声をかけると、ゴラピーたちの手はするりと縮み、蔦から元のちっちゃい手に戻った。
ルイスたちが唖然とする前で、ゴラピーたちは倒れた男に向かって飛びかかる。
ピキピーピューという鳴き声と同時にゴラピーの頭上の花が葉っぱになった。
「ピキー!」
べしべしべし。
赤いゴラピーは頭上の葉っぱをぶんぶんと振り、倒れた男の顔をべしべし叩く。
「なんだこいつ!」
「ピー!」
べしべしべし。
男が払い除けようとした手をするりと避けて、黄色いゴラピーが男の顔をべしべし叩く。
「いたっ……いや、痛くはないがっ……」
「ピュー!」
べしべしべし。
青いゴラピーも顔をべしべしと叩いた。
「ええい、うっとうしい!」
男が身を起こすと、ゴラピーたちはわあっと離脱して、マメーのローブの後ろに隠れた。
「ええい、貴様ら!」
男は立ち上がり、ゴラピーたちを追いかけようとして足を止めた。いや、止めざるを得なかった。
いつの間にか、マメーを庇うようにルイスが立っていたからである。金属の鎧で身を包んでいながら、恐ろしく速く、そして静かな動きであった。
彼の手は腰にさげた剣の柄にかかっている。いつでも抜くぞという圧を男たちは感じた。
宰相が言う。
「ルイス・ナイアント。今そこの小動物らは貴族に向かって暴力を振るった」
「ええ、それが何か?」
「どう落とし前をつける?」
宰相もまた貴族の長である。その言葉には威があった。
だがルイスは飄々と返す。
「どう見ても正当防衛です。何も」
「なんだと! 騎士如きが生意気な!」
倒された男が叫ぶ。宰相の表情には僅かに侮蔑が浮かんだのを、正面にいるルイスは見て取った。だが、派閥の者なのだろう。彼としてもそれを切り捨てるわけにはいかないようだ。
「裁判となさりたいならいかようにも。ただ、私は今の主張を変えませんが」
舌打ちが響く。
実のところ裁判において、地位の高い貴族よりも騎士の言は重い。
誠実さ、公正さを神や王に誓っているためだ。
「逆らうか」
「私が忠誠を誓うのは国であり王である。卿らではない」
ルイスは笑みを浮かべた。
「それに、小動物に足下を掬われ転倒し、顔を葉っぱで叩かれたことを裁きに訴えた男として歴史に名を残したいのですか?」
宰相は頷く。
転ばされた男はルイスとマメーを睨みつけ、踵を返した。
「まあ、今のは奴にも責はある。だが、あまり礼儀知らずを城内でうろちょろさせるなよ」
確かに平民の子がうろついて良い場所ではない、それは一理あろう。だが魔女にそれは通らないのである。
「ひひひ」
師匠が笑った。
「何か」
「なんでもないさね。あたしたちはあんたら小僧どもがなんと言おうと好きにやる。ただそれだけさ」
宰相は四十過ぎの男である。だが、師匠からすれば、自分の半分にも満たない年齢なのだ。
宰相はふん、と鼻息をついてその場を去って行った。
「マメーよ」
「なーにー?」
廊下の角の先に彼らの姿が消え、ランセイルはマメーに尋ねた。
「先ほどゴラピーらの手から蔦が伸びたな」
「あい」
「あれは彼らの能力か?」
「ううんー、マメーのまほー」
師匠はぴしゃりと自らの額を打った。どうにもマメーは自らの魔法について隠す気がないためである。
ランセイルは驚きに仰け反った。確かに今のは大した魔法ではないだろう。だが、マメーのその言葉が真であるなら、彼女は完全な無詠唱で即時に魔法を使ったことになる。
なぜならマメーは『だめ!』としか言ってなかったのだ。
「……不才は植物系には詳しくないのだ。後学のため、今のが何の魔法か聞いても良いかね?」
ランセイルは万能系二つ星の才を有する。それはあらゆる魔術を使える可能性があるが、植物系魔術に精通することを意味しないのだ。
農業に使うには最高の魔術でも、宮廷魔術師や戦闘には向かない。歴史上でも植物系魔術で戦略級の魔術を扱った人物というと百年ほど前にいたと言われる程度だ。
「なんだろー?」
だが、マメーはこてんと首を倒した。
はあ、と師匠はため息をつく。
「〈茨の鞭〉か〈草罠〉の亜種だね」
〈茨の鞭〉は棘の生えたバラの茎を武器として生み出す魔法、〈草罠〉は足下で草が結ばれて足を引っかける魔法だ。
「使った魔法を本人が分からない……?」
ランセイルは困惑した。
「これは魔女の秘された知識だ、言うんじゃないよ」
師匠は前置きして言葉を続ける。
「魔女のなかでも才能が四つ星以上までいくと、使いたい魔法をその場で生み出せるようになるのさ」
ランセイルが唖然として顎を落とした。








