第65話:おひめさまはしかさんからひとにもどりました。
「ルナでんか、しかになっちゃってたのよー」
「あら、また角が生えてしまっていたのですか?」
マメーが言えば、ルナ王女はそう尋ねた。マメーはぷるぷると首を横に振る。
「しかのつのじゃなくて、しかさん」
ハンナが言葉を添える。
「殿下は全身が丸ごと、一頭の鹿に転じていたのでございます」
ルナ王女が視線を左右に向ければマメーや師匠がその言葉に頷いていた。
「まあ!」
ルナ王女は目を丸くして驚く。ただ、恐怖のようなものは感じられない。実際に、自分の姿がそうなっていたのを目で見ているわけではないからだろうか。
師匠は自身の肩を杖の端でとんとんと叩きながら言った。
「昨日の夜中、あるいはもう夜明け近くのことさね。姫さんのとこの侍女があたしのとこにそれを伝えにきたのさ。んで、あんたの父親の国王陛下と、昨日の儀式にいたルイスとランセイルには伝えてある。レディの寝室に無断で入らせたのは申し訳ないが、鹿の姿は見てもらっているよ」
ルナ王女はそれについて考えてから言葉を放つ。
「……でもそれは仕方ないことですわ。それで、魔女のお婆様がわたくしを今、人に戻してくださったということですか?」
「そういうことになるさね」
「それは、お手数をおかけしました」
ルナ王女は頭を下げる。師匠は手をひらひらと振った。
「そりゃあ、あたしが呪いを除去しきれなかったんだから当然のことさね。むしろ、謝るのはあたしのほうさ」
「これは……治るのでしょうか?」
「呪いなんてのはかける側と解除する側の根比べだったり騙し合いの勝負なのさ。あたしゃ昨日の一発で勝ったと思ってたんだが、どうも敵さんもなかなかの腕前らしいねぇ」
ハンナが一歩前へ出る。
「それでは殿下は……!」
「なに、気にしないで良いさ。相手がぶっ倒れるまで付き合ってやるとも」
「魔女のお婆さま」
ルナ王女は真剣な表情で尋ねる。
「なにさね」
「わたくしを完全に治すまで付き合ってくださるのですか?」
師匠は呆れたように言う。
「そりゃそうさ。あたしゃ、こっちの都合で患者を途中で投げ出したりなんざしないよ」
「ありがとう、ぞんじますわ」
ルナ王女は再び頭を下げた。
「ルナでんか、うれしそう?」
マメーは問う。ルナ王女の口元は僅かに笑みの弧を描いていたのだ。
「え、ええ。安心したのですわ」
「そうですわ、良かったですわね、殿下」
「ええ」
ハンナとルナ王女は手を取り合った。
「さてと、マメー、ゴラピー、いくよ」
「あい!」
マメーの腕の中でゴラピーたちがピキピーピューと肯定に鳴いた。
「あら、行かれてしまうのですか?」
「隣の部屋にね。姫さん、とっとと着替えなよ。あんたの回復を王様たちが待ってるんだから。それともそのまま行くのかい?」
王女は自分の身体を見た。もちろん寝巻き姿のままであり、彼女は赤面した。
「終わったよ」
寝室を出ると師匠は国王たちに声をかけた。
椅子に座って待っていた王は立ち上がって尋ねる。
「おお、どうであったか」
「とりあえず人には戻ったさね。今は着替えているからそれ待ちだ」
「ふう、まずは良かった……」
王はどさりと再び腰を下ろした。師匠は言う。
「寝てたせいもあるだろうが、鹿であった記憶はないね。鹿だったと言っても、『まあ』とそれだけさ」
そのおおらかさはルナ王女らしい。部屋にいた一堂に安堵の笑みが漏れる。
「ピュー」
マメーの腕の中で青いゴラピーが鳴いた。
「む、確かゴラピーであったか」
「うん、ゴラピーだよ」
マメーが頷く。
「何を鳴いておる?」
皆の視線が集まる中で、青いゴラピーはぺちぺちとマメーの腕を叩いた。師匠も尋ねる。
「なに言ってるのさね」
「おみずのみたいって」
ふっと、ルイスが笑みを浮かべた。国王は言う。
「子供とはいえ、女の着替えには時間がかかるものだ。茶でも淹れてもらおうか。そこのゴラピーには水を」
「はいっ!」
こちらの部屋に控えていた、もう一人の侍女であったクーヤが用意してあった茶器を並べていく。
姫の部屋で簡易の茶会が始まった。卓についているのは国王と師匠とマメーで、壁際にはルイスとランセイル、クーヤ。そして卓上のフィンガーボウルには3匹のゴラピーが泳ぐようにくつろいでいる。
王は茶を喫しながら興味深げに卓上のゴラピーたちを眺めて言う。
「昨日、謁見の間で見た時とは姿が違うな?」
「あれ? あってたっけ?」
「マメー、お主のフードの中にいただろう。汝らが立ち去る時に、顔だけこっちを向いて並んでいるものだから、笑いを堪えるのに必死だったわい」
「えへへ、そっか」
赤いゴラピーが国王の方を見て、ピキー? と首を傾げた。
頭の上の黄色い花がゆらりと揺れる。王はそれを指差した。
「その花よ。昨日の謁見の間では葉っぱであったろう」
ランセイルが口を挟む。
「恐れながら陛下。今朝、この部屋に入った時もその頭上は葉でした。今、姫君の寝室で花になったのかと」
「む、そうであったか」
朝は姫への心配で頭がいっぱいだったのだ。今は心に余裕があるからそういうことに気づいたのだろう。
「まりょくもらうと、はながさくんだよー」
「ピー」
黄色いゴラピーが頷いた。
「ほほう、そうなのか」
国王はそういうものかと頷くが、ランセイルはぎょっとしてゴラピーを見つめた。
どうにも彼が知るような、尋常な魔法生物ではないようだ。