第64話:ルナでんかおはよー
マメーの言葉に、師匠はばつが悪そうに頭を掻いて言った。
「おっと、そいつは失礼したね。つい先走ってしまったようだ」
「うむ、そうだな」
国王も肯定した。師匠はコンコンと杖で床を叩きながらしばし考えて言う。
「……どちらにせよ姫さんの状態は見てもらおうかね」
そう言って寝室に入っていった。マメーも皆もぞろぞろと後に続く。
「むう……」
国王は唸る。
彼らの視線の先、ベッドの上には眠りの魔法をかけられた、一頭の鹿がすやすやと寝息を立てている。魔女グラニッピナはこれがルナ王女であるというのだ。
王はまるでたちの悪い冗談を聞かされているような気分だった。
「立派な鹿だ」
「そうさね」
「狩猟大会のトロフィーにもなりそうな……これが娘だと?」
間違いない、と師匠は頷いた。マメーは尋ねる。
「とろふぃー?」
「狩猟大会が行われた際に、その日に最も大きかった獲物を剥製としたり、あるいはその頭部の骨を壁に飾る習慣があります。それをハンティング・トロフィーと言うのです。このお城にもありますよ」
ルイスは説明した。彼も騎士であり、そういった大会に参加したことがある。
「で、どうするね?」
「どうする、とは?」
師匠の言葉に王は尋ねる。
「姫さんを起こしてから人に戻すか、人に戻してから起こすか、だね」
ふー……、と王は長いため息をついて考えてから言った。
「娘に自らが鹿となっていたことは、伝えねばならん」
「そりゃそうだね」
隠していることもできなくはないだろうが、自分の体のことである。呪いの状態を知らせないというのもまた不誠実であろう。
「だが、自分がこういった姿になっているのをいきなり見せるのはやはり刺激が強かろうな。可能であるなら先に人の姿に治してから、眠りを覚ますことは可能か?」
「ああ、もちろんさね」
師匠は力強く頷いた。
「もちろん、何が起きてるのかはあたしにもわからんからね。また鹿の姿になったり角が生えてしまうのかもしれん。だが少なくとも、一度人に治すことはできるさ」
「うむ、頼む」
しばし、部屋に沈黙が落ちた。ランセイルが問う。
「万象の魔女殿をして、何が起きているかはわかりませんか」
「あたしゃ万象に通じるとかいう大層な二つ名をいただいちゃあいるが、別に万能でも全知でもないんだ。まあいいさね……ほれ、男どもは出ていきな」
「む?」
「裸だって言われただろうが」
国王たちがその言葉に従い、部屋から出ていく。ランセイルは師匠の術が気になるのか振り返り振り返りしていたが、ルイスに腕を引かれていった。マメーの腕の中で青いゴラピーが鳴く。
「ピュ?」
「ぼくは? っていってるよ」
師匠は顔をしかめる。
「あんたそもそもオスなのかい、メスなのかい?」
ゴラピーたちは顔を見合わせてピキピーピューと相談した後で赤いのと黄色いのが鳴いた。
「ピキ」
「オスだし?」
「ピー」
「メスでもあるって」
ふーむ、と師匠は唸った。
「よく考えりゃ、そりゃ、当たり前のことだね」
人型であるからつい勘違いしてしまうが、そもそもこのゴラピーは人ではないし動物ですらなく、マンドラゴラ、魔法植物が素体である。
頭上に花が咲くということはそこにおしべとめしべがあるという意味であり、彼らがオスでもメスでもあるというのは当然のことであった。
「ま、ゴラピーらに見られたからって姫さんは何も言わんだろ、別にそこにいりゃいいさ。そこの侍女の……」
「はい」
とハンナは何も指示されなくとも前に出て、ベッドを整えて鹿の身体に布団をかけて身体を隠した。鹿の身体の下から、ぼろぼろに破れた寝巻きや下着を引っ張り出すと、新たな寝巻きを用意する。
そして師匠に向けて礼をとると壁際に下がった。
師匠は魔術の詠唱を口の中でぶつぶつ呟きながら、おもむろに杖を伸ばしてルナ王女の鹿の角に触れる。
「〈解呪〉!」
昨日と同様に、角が黄色く輝き、それは全身に広がっていった。きらきらと魔力の光を放ちながら、鹿の身体がぼやけていき、人間の少女の身体へと転じていった。
ゴラピーたちがまたちっちゃい手を伸ばして放たれた魔力を受け取ると、頭上に黄色い花がぽんと咲いた。
「まほーきれーね」
マメーとゴラピーたちは呑気なものである。
ハンナはさっと前に出て、ルナ王女の白い裸身に寝巻きを着せていった。そして再び布団をかける。
「いいかね? 〈覚醒〉」
師匠が眠りの呪文と対になる、目を覚まさせる魔法を唱えれば、ルナ王女はすぐにパチリと目を開いた。
くりっとした瞳が周囲を見渡すと驚きをあらわし、そしてすぐに喜びに変わる。
「まあまあまあ、皆様。おはようございます」
「ルナでんかおはよー」
「ピキー」
「ピー」
「ピュー」
マメーとゴラピーたちは挨拶を返す。
ルナ王女は横になったまま、満足そうに言った。
「こうして朝の目覚めからマメーちゃんやゴラピーちゃんたち、それに魔女のお婆さまのお顔を見られるとは嬉しい限りですわ。でも、皆様がわたくしの寝室にいらっしゃるだなんて。何かございましたか?」
ふむ、と師匠は思う。
どうやら鹿になっていた記憶はないようだねと。