第55話:ねこさんのみみはかわいいのです!
師匠はぐいっとカップを傾けて紅茶を飲み干す。
「ま、いいさね。とりあえずごちそうさまだ」
「ごちそーさま! おいしかった!」
マメーもにっこり笑って言った。
「じゃあちょっとあたしらは一旦、用意してくれた部屋に引っ込むとするよ」
「あら、行かれてしまうのですか?」
ルナ王女が緩く首を傾げて言った。師匠はさっさと立ち上がり、壁に立てかけてあった杖を手にすると、その杖でランセイルの方を指し示した。
「この男が姫さんの角についての診察やら調査をしていたんだろう? それについて聞かなきゃね」
患者であるルナ王女の前では言えないこともあるかもしれない。それ故に場所を移そうというのだ。
「マメーちゃんもですか?」
師匠はあたしら、と言った。マメーもそれを聞くのだろうか。ルナ王女は尋ね、ランセイルも続けて言う。
「幼き者よ。汝はここで姫と遊んでいても良いのでは?」
だがマメーは胸を張って、ぴょんと椅子から立ち上がった。
「マメーはししょーのでしだからね!」
こうして師匠とランセイルがベランダを後にし、ルイスもそれに続いた。マメーはルナ王女と握手してから、王女と侍女たちに手を振って出ていく。
「ピキ」
「ピ」
「ピュ」
マメーの背中のフードの中で、ゴラピーたちが赤黄青と三匹並んで、頭上の花をふりふりしてルナ王女に挨拶した。
王女はきゃーと歓喜の悲鳴を上げかけたため、先を行くランセイルは振り返って、怪訝な表情を見せたのだった。
師匠とマメーのために用意された部屋はすぐそばの客間で、応接室や寝室が続き部屋となっている立派なものだ。
この区画がルナ王女など女性の王族がいるためだろう。この客間も内装は女性的で華やかである。
マメーはかわいいと目を輝かせたが、師匠はあまり華やかな雰囲気を好まぬたちでもある。
どこか居心地悪げにさっさとソファーに座り、ランセイルには向かいに座るよう促した。
マメーは師匠の隣にぴょんと座って、そのふかふかなことに、けらけらと笑った。
「ルイス、あんたも座りな。姫の前じゃあないんだ」
「は、では失礼して」
壁際に立って待機しようとしていたルイスはランセイルの横に腰掛けた。
師匠は早速本題を切り出す。
「さて、ルナ王女の症状と研究、それとあんたの見解を聞かせて貰おうかね」
ランセイルは頷き、虚空から書類の束を取り出して卓上に積み上げた。ルナ王女の体調や研究資料などであろう。
「こくーこだ。ししょーもよくつかうよね!」
マメーが感心したようにその魔術の名前を言った。
「ああ、そうさね」
師匠はにやりと笑みを浮かべる。なるほど、この小僧は〈虚空庫〉の術式をわざわざ使えるところを見せたという訳だ。さりげなく、だが露骨に自らの能力を示す。
〈虚空庫〉は師匠もよく使っている魔術である。アイスクリームも魔法の薬もここに入っている。だが決して平易な術式ではない。そもそも空間に干渉できる系統の素質が星2以上なければ使用できないのだ。
なるほど、立場が上だが能力や才で劣る者には煙たかろうねぇ。師匠はそう感じたのだった。
「魔女殿に語るには当然過ぎるでしょうが……」
そう言ってちらりとマメーに視線を送り、言葉を続ける。
「ルナ第三王女殿下にはご覧の通り、鹿の角が生えておいでです。人間に鹿や牛の角、犬や猫の耳、羽や尻尾が生える。あるいは皮膚が毛皮に、手指が鉤爪や蹄に変化し、獣相を有するようになること。これを獣化現象といい、大別して四通り存在します」
ランセイルの講義が如き言葉をマメーはふんふんと頷きながら聞いていた。ここで息をついた彼と目が合ったので、マメーは言葉を発する。
「ねこさんのみみはかわいいとおもいます!」
ルイスが笑みを浮かべてそうですねと肯定し、ランセイルはそれに答えず、憮然とした表情で四本の指を立てた。
「一つは古き神や強力な霊の力によるもの」
そう言って指を一本折る。
古く、偉大なる神にはその身を動物に変えたり、あるいは罪を犯したものを罰するために動物に変えたりするなどという話は多い。
「一つは先祖返り、獣人の血を引く場合」
世界には獣相を持って生まれる人型の種族がいる。それを獣人と言った。彼らは獣人の相を有するもので集まって国を興しているが、彼らが人と交わった場合、その子孫に獣相が現れることがある。そしてごく稀なことではあるが、人として生まれながら、後天的に獣人の特徴を得る場合があった。
「一つは病、獣化の発症」
これは獣人とは異なり、人間が獣へと変わっていき、正気を失っていくというものだ。有名なのは狼男で、夜、特に満月の夜に狼へと変身し、近隣の住民を襲うというものだ。
そしてランセイルは最後の指を折る。
「最後の一つは呪い、獣化の魔術」
例えば今朝、師匠はドロテアの前で〈動物変身〉の魔術で狼へと変化した。
ちなみに祝福も呪いも魔術の一形態に過ぎないが、直接的な攻撃魔術ではなく、魔術の対象である相手の意図に反して害を与えるものを呪いというのである。
師匠は頷いた。そして問う。
「間違っちゃあいないよ。で? あんたはなんだと思うのさね?」