第42話:これはしらないおじさんなのです!
牧草地と田畑を抜けると村の家々が見えてくる。その先の丘というにも小さい、少し高いところに位置するのがドロテアの家であった。この村には貴族がおらず、ドロテアの父がエベッツィー村の村長であり代官ということになる。
マメーにとって見覚えのある道だ。緊張のせいかわずかに他の二人より歩みが遅れる。
「ピュー?」
青いゴラピーが大丈夫? とマメーを見上げた。
「ん、ありがと。……そうだ。かくれててもらったほうがいいよね」
マメーはかがみこんでゴラピーたちを拾い上げると、ローブのフードの中に入ってもらった。
「ピキピキ」
「ピー」
「ピュピュー」
三匹はなにやら話している。
道の少し先では、二人と一頭が振り返り、何も言わずに待ってくれている。
マメーは首筋がもしょもしょくすぐったくて笑いながら、とてとてと小走りで駆け寄った。
「いいのかい?」
「ん」
ゴラピーたちを抱え上げたのは隠すためであるが、近くにいるだけでマメーは心が暖かく、元気になったように感じた。
丘を上がれば家の扉の前に中年の男と、その腰に隠れるようにドロテアが見えた。
「おお、おかえりなさいませ、ナイアント卿。いらっしゃいませ、森の魔女様……」
男はそう言って深く頭を下げた。陽光が頭頂部できらりと輝く。
「戻りました。オースチンの世話をありがとうございます」
ルイスが答える。
「もったいないお言葉で……」
そう言いながら身を起こした彼は、一行を見渡してその表情に驚愕を浮かべた。
「おまえ……エミリアか?」
その視線はマメーに注がれている。
マメーはゆっくりと一呼吸すると、ぺこりと頭を下げた。緑の髪がふわりと揺れる。
「はじめまして、おじさん。ししょーのでしのマメーです」
そして琥珀の瞳でじっと男を見つめた。
男は困惑と怒りを覚えたが、彼が何か言葉を放つ前に、ずいっと師匠が前に出る。
「あんたが今のこの村の代官だね」
「ええ、ジョンと申します」
そうだ、今は子供の相手をしている場合ではないのであるとジョンは思う。自分の前にいるのは地位的に上位者なのである。
「あたしが前にこの村に来たのは先代の代官の時で、あんたはまだ小さな子供だった。大きくなったもんだね」
ジョンは驚いた。自分の父が代官だった頃の、話す相手でもなかった子供を覚えているのかと。
師匠はマメーの頭をぽんぽんと叩きながら言う。
「あたしゃ数年前に森の中で幼子を拾ってねぇ。どうにも痩せっぽちで言葉もほどんど話せない、まあ虐げられてきたような子だった。流石に見殺すのも寝覚が悪いんで、ちょいと寝食を与えてみれば素直だし魔法の才能もあったので、あたし、森の魔女の弟子にしたって訳さ。それがこのマメーさね」
「な、なるほど……」
男は返す。
師匠はにやりと口元を歪めて言った。
「で、それがあんたの家のエミリアって子であったと。騎士様の前でそう言えるのかい?」
う、と男は声に詰まった。
この娘が8年前にうちで生まれたエミリアであるというのは間違いない。こんな髪の子は他に誰も見たことがないのだから。
「なあ、ナイアント卿どうなんだい?」
世界は決して豊かではなく、人のためにあるわけではない。
凶作や疫病など、あらゆる困難に直面した時、まず倒れるのは、あるいは見捨てられるのは力なき幼子や老人である。
法としては幼子や老人を遺棄することは認められてはいない。だが、それを厳密に適用しては一家が共倒れということになりかねない。故に黙認されているのがこの社会における現実である。
「もしそうであればこの地を治める男爵殿のところか神殿に赴き、戸籍を調査し真実を明らかにす必要があろうが」
ルイスはそう言った。
黙認は貧しさや飢饉という理由があってのことである。ここ数年、この地でひどい不作は起きておらず、代官というこの村では決して貧しくはない人間が子を捨てたとなれば、間違いなく罪に問われるものであった。
「い、いえ。夭逝した娘に似ていただけにございますれば……、ご容赦ください」
ルイスと師匠は目配せを交わした。
別にこの代官を破滅させるつもりなどない。単に、マメーに何か言ってこないよう釘を刺せればよいだけであるから。
「ドロテア嬢、あなたの知るエミリア嬢と、ここにいるマメーとは別人であるようだよ」
ルイスはそう説明した。ふん、とドロテアはそっぽを向く。
師匠が口を開く。
「あたしとマメーはしばしここを留守にするのさね。ちょいとその日程が読めん」
「はあ」
「古き契約で、あたしが長期にこの森を離れている間、何かあった時のために薬を置いていくことになっているんだ」
ほらよ、と師匠は薬瓶を取り出した。瓶にはぎっしりと黒い丸薬が詰められている。
「はぁ……、ありがとうございます」
どうにもピンと来ていない様子だ。魔女と比べ短命な人間は、この手の契約が世代を経るごとにすぐに忘れていく。
代官のジョンは言った。
「なるほど、どちらに向かわれますので?」
「あたしとマメーはここにいるルイス・ナイアントの要請で王都に向かうことになったのさ」
そう言った時だった。
「ずるい、ずるいわ!」
ドロテアが父の後ろから飛び出して叫んだ。
「どうしてエミリアがナイアント様と一緒に王都になんて行けるのよ! ずるいわよ!」
ドロテアはマメーにくってかかった。
その時である。
「ピキー!」
「ピー!」
「ピュー!」
マメーのローブの背中でゴラピーたちがドロテアへの怒りか警戒のためか鋭く鳴いた。
「な、なに今の!?」
ドロテアの疑問に、マメーは困る。ゴラピーたちを隠しているのである。
「ぴ、ぴきー」
マメーは誤魔化すように鳴いてみせた。