第191話:あひゅい!
「おっやしょく、おっやしょっく」
部屋の外に向かうマメーはご機嫌である。師匠はそれをたしなめた。
「これ、しずかにおし」
今は大半の者が寝静まる、夜中なのだから。
「ぉゃしょー、ぉゃしょー」
マメーの声は小さくなったが、機嫌の良さは変わらない。
時折りすれ違う夜番の兵や使用人には軽く〈幻惑〉の術をかけて、誰にも見咎められることなく厨房へ。師匠は〈光〉の魔術でその一角だけをぼんやり明るく照らす。
「へくちっ」
厨房へ入ったところでマメーがくしゃみを一つ。
今の季節は夏であるが、この時間は一番冷える。特に城なんてのは石造りであるから廊下などは肌寒いくらいなのだ。
「そういや、ローブはどうしたね」
「んー、つかまってたへやにおきっぱなし」
「そりゃしょうがないね。ほれ、これでも着てな」
師匠は〈虚空庫〉から自身の替えのローブを引っ張り出すとマメーに投げた。マメーはもぞもぞとそれを着込むと、うへへと笑みを浮かべた。
「まっくろ、つよそう」
師匠の黒のローブである。小柄な老婆である師匠のものであるが、それだってまだマメーにはぶかぶかだ。裾を引き摺りながら、マメーはくるくると回った。
師匠がたん、と足で地面を叩けばかまどに火が灯り、フライパンが、包丁が宙に踊る。〈騒霊〉がどこかから椅子を持ってきてマメーを座らせた。その前に小ぶりな卓と食器が置かれていく。
「なにつくるのー?」
マメーの言葉に、師匠はそうさねえと呟くと、彼女の手には玉ねぎとバターが載っていた。
「わ、わ」
師匠の魔術の本当にすごいのは、自然な動作の中で魔術が使われていることである。マメーがうんうん唸ったり、どんどんぴーとかするような必要がないのだ。しばしば詠唱や呪文すら省略される。ルイスも師匠の魔術の発動の速さに舌を巻いていたが、マメーもその通りだと思っているのだった。
「食事の時、パンは取っといたからね。こいつを使って温まるのにでもしようかねぇ」
そう言っている間にも玉ねぎはつるんと剥かれ、誰も持たない包丁がまな板の上でたかたかと軽快な音とともにそれを刻んでいる。
師匠がフライパンの上でバターを熱していれば、そこに刻まれた玉ねぎが流し込まれて炒められていくのだ。
「わはー」
マメーはそれを見ているだけで楽しくなるのだ。
いつの間にやら隣のかまどには鍋がかけられて、良い匂いが漂い始めている。それは慣れ親しんだ匂いでもあった。
「ぽとふー?」
「スープだけ使うからブイヨンさね」
森の家でいつも使っているスープである。鶏がらと野菜を丸一日かけて煮込んだものを、師匠はいつでも持ってるのだ。
飴色になった玉ねぎの上に金色のスープが注ぎ込まれる。本来なら煮込むところを師匠はちょいちょいっと魔術で省略して、器に盛った。
「できあがり?」
「もうちょっと待ちな」
師匠はそこにスライスしたパンを無造作に落としてスープを吸わせると、チーズを取り出してどっさりふりかけ、彩りに香草を散らす。そしてオーブンに放り込んで扉を閉めた。
「三つかぞえな」
「いーちー、にーいー、さんっ」
「ほれ、オニオンスープの出来上がりだ」
マメーの前にぐっつぐつの茶金のスープの上に、こんがり狐色のチーズがとろけるオニオンスープが供された。世の料理人が見ても魔術師が見ても絶叫するであろう手際だった。煮込みと焼きという時間がかかるところを魔術で吹き飛ばしているのだから。それも、弟子がお腹を空かせているからというだけの理由のためにである。
だが、マメーはその魔術が凄いかどうかなど知らないのであり、無邪気に手を合わせた。
「わーい。あるかなのかみさま、ありがとうございます。いただきまーす!」
「はいおあがりよ」
マメーがスプーンを差し込めば、たっぷりスープを吸ったパンがふわりとほぐれ、その上のチーズはにょーんと伸びた。
マメーはふうふうとそれを冷まして口に運ぶ。
「あひゅい! おいひー! おいしいよ、ししょー」
「そいつはよかった」
師匠はそう言う間にもベリーを魔術で搾って、蜂蜜やレモンで味を整えてジュースまで用意してやるのだった。
はふはふとオニオンスープを食べながら、マメーは尋ねる。
「へーかはなんかいってた?」
「いや、特にはなにもないさね。ただまあ、あんまり表沙汰にするような話でもないからね。今回さらわれたことはあんまり言うんじゃないよ」
「あーい、これもひみつ」
「とりあえずは神殿がちゃんと動いてハンケとミウリーを捕まえるか待つだけさね。それまではこの城に滞在するが、あたしとブリギットはちょこちょこ仕事で出かけるかもしれん」
魔女としての仕事もあるだろうし、王国との、あるいは神殿との仕事や話し合いもあるだろう。例えば師匠が神殿を焼きうちにしてそれは不問とされたが、さすがになんらかの補填をするのかもしれない。
「ん、わかった。マメーは?」
「捕まっていた間になにがあったか聞き取りはするよ。いいかい?」
「だいじょぶ」
「それ以外はウニーや姫さん、ゴラピーたちと仲良くしてな」
「はーい」
こうして秘密の夜食を食べてからマメーと師匠は床につき一眠りした。
そして翌朝ルナ王女に呼び出されることになったのである。








