第185話:ししょーはわるくないもん。
「ころしちゃうの?」
マメーは師匠の袖をきゅっと握って引いた。
「ん?」
「ししょーはハンケしきょーとミウリーしさいを、ころしちゃうの?」
マメーは首をこてんと傾げた。
「む……」
師匠は唸る。師匠として、これは殺すに値する罪だと思っている。
だがまあ、一般論としてどこの国の法律で考えても、誘拐に対する罪は懲役にして五から十年というところだろう。それが牢の中か鉱山などでの労役かは別として。
精神操作系〈隷属〉は禁呪であり、犯罪者相手などの特例を除いて、使用すれば死刑もあり得る。だが、今回の件において実際には使われていないのだ。使用を命じたハンケ司教には何らかの罪は課されようが、死刑とはなり得ないし、ミウリー司祭においてはそもそも罪になるまい。
「なあ、マメーよ」
「なあに、ししょー」
「あんた、攫われてる間、嫌な目にはあわされなかったかい?」
ここでマメーが酷い目にあっていたというなら、師匠は何があっても彼らを殺す気ではいる。
魔女は国家や法の支配と庇護の外にいる存在であり、なおかつその数が少ない。そうである以上、彼女たちにとって、やられたらきっちり見せしめにやり返すというのは重要なことなのである。
もちろん殺すというのは過剰ではあるだろう。だが、それに眉を顰められ、畏れられるくらいが『ちょうどいい』のだ。
「……んーっとね。あかいゴラピーがひとじちに……マンドラゴラじちになっちゃって、あんまりあえなかったの」
「ピキー!」
マメーの肩の上で赤いのがぷりぷりと怒りを露わにする。
身体が傷ついた様子もなく元気そうではある。単に別の場所にいることを強制されただけといえよう。
「それとー、まじゅちゅのべんきょーがあんまりできなくてこまったのとー……。あとはししょーがいないのがさびしかった。そんだけ」
マメーはぎゅっと師匠の細い身体に抱きついた。
「やれやれ、ひっつき虫かい」
師匠と離れていた分、甘えが出ているのだろう。
「なに見てるのさね」
師匠がブリギットとウニーを睨む。ウニーはぷいっと視線を逸らした。
「べっつにぃー」
ブリギットはにやにや笑みを浮かべてそう言った。グラニッピナ師匠の心からはやる気が失せていく。
マメーの体温を感じながら、人を殺そうと考えるのはひどく難しい。非道なる魔女ともあろう者が。師匠はそう自嘲した。
「イングレッシオよ」
「はっ」
イングレッシオが背筋を伸ばす。
「あんたに『任せる』っていったらどうする? ハンケとミウリーと、そしてあたしについてだ。どう裁く?」
イングレッシオの背筋に冷たい汗が流れた。これは試されていると。
「事件の全容を知っているわけではありません。その上での判断になりますが、地位の剥奪と財産の没収に加え、無期の拘束かそれに準ずる処罰はいたしましょう。それと魔女殿の罪とは?」
マメーが師匠を見上げる。
「ししょーもわるいことしたの?」
「この婆は悪い魔女だよ。もちろんしてるさ」
「ししょーわるくないもん」
マメーはぷうっと頬を膨れさせる。
「マメーが攫われた時、森にきた神殿騎士とかいたのは覚えてるかい?」
「もちろんだよ」
「あたしゃあいつらを殺したよ。マメーはどう思うさね?」
「ししょーがころすべきだとおもったなら、それでいいよ」
マメーの危うさをイングレッシオは感じた。この幼子にとっては師匠が絶対の存在なのだろう。その師匠も魔女としては正しい在り方なのかもしれないが、法と秩序、そして国家や神殿などの組織に護られる一般の人間とは価値観をだいぶ異にしている。
「それに、ミウリーの下男たちを〈束縛〉して放置したから、使い魔の狼に食われちゃったねえ。あとは神殿を焼いて戸籍を破壊したか」
厳密には〈束縛〉したのはランセイルだが、そこは師匠もまとめて言った。
ともあれ、通常の裁判であればどう考えても過剰防衛であるし、神殿を焼くのは大罪である。
「確認しますが、それら全てはマメーさんを救うためであったのですよね?」
「別に神殿騎士を殺したのは八つ当たりじゃないかね」
師匠は肩を竦めた。イングレッシオは眉根に皺を寄せて考え、そして口を開く。
「……神殿は戸籍を管理するということからも象徴するように家族の関係というものを神聖としています。それは血縁によるものだけではない。よって、魔女グラニッピナの行為を、子たるマメーを救うための行動として、あるいは子を奪われた母の怒りとして肯定しましょう」
「へえ」
「ただし!」
イングレッシオが杖で聖堂の床を打った。魔力の波紋が広がる。
「それは魔女グラニッピナが弟子マメーを子として、その肉体も精神も健やかに育むという前提あってのことです! それにおいてのみ、罪は不問といたします!」
イングレッシオの展開した聖術は〈誓約〉である。養子縁組と婚約結婚の時に使用されることのあるものだ。紅の眼が光っている。魔眼は精神探索の類で、嘘をつかないように見ているといったところか。
師匠はそこまでを刹那に看破し、そしてその魔力量では師匠には〈誓約〉が効かないところまで見てとった。
先に〈滅び〉に抵抗するのに魔力を消費しているためである。
「ししょー?」
マメーにはこの魔術の意味はわかっていないようだが、師匠には分かる。これはイングレッシオがグラニッピナに見せた最大限の誠意であり、そして譲れぬ点なのだと。師匠は笑みを浮かべて、杖で床を突いた。








