第182話:師匠、枢機卿に膝をつかせる。
「嘘でしょ!?」
ウニーは思わず口走った。もちろん、グラニッピナ師匠の突然の凶行にである。ウニーは〈滅び〉という魔術の詳細を聞いてはいないし、また〈滅び〉の魔術は不可視、目には見えないものだ。
だが、師匠の杖から放たれたその魔力が強大であり、かつ禍々しいものであることは、魔術を扱う者にとっては明らかであった。
「なっ……!」
イングレッシオは思わず驚愕の声を上げた。
彼はまず魔女グラニッピナに謝罪をし、それから説明と交渉に進むつもりだった。それがよもや挨拶を交わす前に攻撃魔術が飛んでくるとは思っていなかったのだ。そしてそれが明らかに致死性と感じられる魔術であるとも。
イングレッシオは枢機卿という立場になった時に授けられた、神殿の秘宝ともいえる杖を掲げる。
「〈聖結界〉!」
神殿の術師たちが得手とする守護・防御の結界を張る術をイングレッシオは唱えた。
無論、聖術の腕によって若くして枢機卿となったイングレッシオの得意魔術でもあり、獅子の爪だろうと竜の吐息だろうと止めることができる。張られたのはそれだけの強度を誇る結界であった。
「なっ!?」
だが、〈滅び〉に触れた結界は、一瞬拮抗したものの、接触した箇所が溶けるようにしてすぐに破壊されたのだ。
「〈聖結界〉!」
イングレッシオはただちにもう一度〈聖結界〉を使用。
「……〈聖結界〉!」
張り直した結界すらさらに破壊され、さらにもう一枚。結界と拮抗するごとに〈滅び〉の魔術はその勢いを減じてはいる。だがそれでも止まらない。
「ぐっ……〈聖結界〉! 〈聖結界〉!」
結界をさらに幾重にも貼り直す。イングレッシオはそこで違和感を覚えた。魔力の減少が激しすぎる。
神殿という組織においてイングレッシオは最高位の術者の一人だ。少なくとも近隣数か国の中では間違いなくトップである。そんな彼であれば〈聖結界〉を一晩中だろうと張り続けることができる。だがどうしたことか、イングレッシオはいま激しい疲労と魔力の枯渇を感じていた。
「えーっとー、グラニッピナ師匠」
「なにさね?」
必死であるイングレッシオに反して、少女と老婆の言葉は軽い。
「ひょっとして、この〈滅び〉って、複合魔術で時間操作系も入ってますか?」
「ひひひ、良くわかったじゃないか」
イングレッシオは得心する。魔術というのは維持する際にその時間に応じて魔力を消費するのだ。仮に〈時間加速〉という魔術がこの〈滅び〉に含まれているのなら、魔術が結界と接触した際に、結界の時間を進めさせられたということとなる。今、四枚の結界を張ったということは、四日四晩ぶんの魔力を消費させられたに等しいのである。冗談ではない……! イングレッシオは戦慄した。
「……うわー」
ウニーは思わず唸った。
ブリギットはかつてウニーに言ったことがある。大雑把に強力な破壊の魔法を使えるのは自分であるが、こと戦いとなれば姉弟子のグラニッピナの方がずっと上だと。それもあっての大達人だと。ウニーはそれを思い出したのだ。
そしてもう一つ。
『お婆ちゃんの魔術、複雑でねちっこいのよねー』
なるほど、確かにグラニッピナ師のいうように、全ての属性に精通しているということは、個々の属性の練度は専門家に劣るのかもしれない。だが、それなら魔術を複合すれば、その合計でどうとでもなるということだ。あの〈滅び〉はどうみても死属性であり、結界破壊の能力から考えても反術属性であり、時間操作まで入っているというのだから。ウニーに見極められないだけで、それ以外も組み合わせているだろう。
「〈聖結界〉! ……止めた……か?」
イングレッシオはさらに幾度か結界を張り直し、禍々しい魔力がかき消えたことを感じて、息も絶え絶えにそう呟いた。
「そうさね。よく止めた。大したもんだよ、若いの」
師匠の愉快げな声が聖堂に響く。だが彼女の掲げる杖の先には次の〈滅び〉の魔術が灯り、さらには小柄な彼女の身体を取り巻くように無数の光弾が浮遊していた。
グラニッピナの〈滅び〉一発を止めるために、イングレッシオが〈聖結界〉の魔術を最終的には九回唱えた。ということは、単純に言って彼女は八回魔術を唱える隙があったということである。
そして師匠はいつでも魔術を使えるように待機させている。つまりはこの間にイングレッシオを何度でも殺すことができたということを意味しているのだ。
「……参りました」
イングレッシオは震える手から杖を取り落とし、地面に両手と膝をつくように崩れ落ちた。それは完全なる降参の姿勢であった。魔術の腕で枢機卿まで上り詰めたものが、魔術一発で敗れたのだ。
師匠はふん、と鼻を鳴らして待機させていた魔法を消す。
「用件は分かってるね?」
「……はい。お弟子様の戸籍の件ですね」
「案内しな」
「はい」
イングレッシオはよろよろと立ち上がる。師匠はこつり、と聖堂の床を杖でついて言った。
「いいかい、ウニー。これが交渉ってやつだよ」
「……はい」
ウニーは頬を引き攣らせ、イングレッシオは肩を落としたのだった。
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