第181話:グラニッピナ師匠、王都に行く。
その数日前のことである。ツヴェークの街の神殿を電撃的に強襲したグラニッピナとウニーは、追手がかかる前に逃走し、再び空の住人となっていた。そうそう空に逃げた者を追う手段はないのだ。
箒にまたがって片手で箒を掴みながら、師匠はもう片方の手の中で魔力を練り上げ、何か魔術を使おうとしてそれをとりやめ、魔力を霧散させる。そして舌打ちを一つ。
師匠の背中でウニーが尋ねた。
「グラニッピナ師匠、どうしましたか?」
「……いや、まだダメだったってだけさね」
師匠は手をひらひらとさせた。
「ダメっていうとその、マメーちゃんの戸籍を破壊するのがですか?」
師匠は頷く。
師匠はこれまでにマメーの出身地であるエベッツィー村とその一帯を統治するツヴェークの戸籍を破壊したのだが……。
「神殿の戸籍魔術……聖術か。まあどっちでもいいんだけどね。魔術のよりしろがあるから強いのさ。わかるかい?」
「魔術の発動に杖を使ったり、儀式の際に魔法陣を描いたりするのもそうですよね」
「そうさね。神殿の聖術はそれに加えて使えるものを限定してるから、その分強力なのさ。前も言ったかもしれないが、あたしみたいに魔術ならなんでも使えるってのも厄介でね」
「……専門家には敵わないというお話ですか?」
グラニッピナ師匠は昔からよくそういうことを言う。
ウニーが百時間魔術の勉強をするとすれば、基本的な魔術の知識や訓練に四十時間、闇と水の属性の魔術をそれぞれ三十時間ずつかけることができる。彼女は二属性特化だからだ。
だが、師匠は地水火風に光闇、植物に動物、時空に……とあらゆる属性に適性がある。それらをどれも使うとなると各属性を学ぶのに十時間もかけることができないということになる。
理論上はその通りだ。だが、グラニッピナの魔術を見ていると、ウニーにはとうていそうは思えないのだが。
師匠は言葉を続ける。
「実際ね、転移関連がそうなんだよ」
「でも、グラニッピナ師匠の使う〈門〉は転移術の奥義なのでは?」
「使いやすい魔術は研鑽してるさ。だが、あんま使わんのは練度が低いのよ。今回の件だって、あたしが〈転移先感知〉とか〈転移防御〉の術に熟達してりゃこんなことせずにすんだのさ」
転移術の奥義は使えても、転移の魔術罠にでもかかるか、転移術の達人相手と戦うような時にしか役に立たない魔術には手が届かないと言っているのだ。
それ故にミウリー司祭に遅れを取った。そして師匠はその魔術の根幹である戸籍を破壊しているのだ。
「まだ戸籍が残っているんですね?」
「そうさね。戸籍の情報をさらに分散して管理している。さすがは神殿の秘術、厳重なことだよ」
つまり、戸籍のバックアップがまだあるということだ。
師匠とマメーの間には師弟としての契約という魔術的な繋がりがある。今ツヴェークの戸籍を破壊したにも関わらず、それはまだ沈黙している。先ほど師匠が魔力を込めて確認したのはそれだ。
理由は二つある。マメーが神殿の結界の中にいること、戸籍の力で師弟契約を上書きされていることだ。
「ど、どうするんですか?」
師匠はにやりと笑みを浮かべた。
「簡単さね。さすがに戸籍を国外に持ち出すのはどの国も認めんからね。国内の神殿を潰して行くだけさ」
そう言うわけで、師匠とウニーはサポロニアンの王都聖堂へ向かいながら、道中の神殿を、そこの戸籍を破壊しつつやってきたのだ。
頭を抱えたのはイングレッシオ枢機卿である。
神殿の建物が破壊された、火事になった、襲撃を受けた。そのような報告が上がってきたのだから。
そして遠距離への連絡手段というのは限られている。報告だって即座のものではなく、全てでもない。それらに対処しようとし、結局その暇が与えられることはなかった。
ある日の夕方に、王都大聖堂の正門が爆炎と閃光に包まれ、轟音が鳴り響いたのである。
万象の魔女がやってきたのだ。
「枢機卿猊下!」
神殿騎士が、修道士たちがノックすら忘れてイングレッシオの部屋へと駆け込んでくる。
イングレッシオはため息を一つ溢して言った。
「落ち着きなさい。愚僧が対処いたします」
彼は聖銀の十字が交叉した長杖を手に、聖堂へと向かう。そこで彼が見たものは、シャンデリア越しの夕陽と燃え盛る炎に照らされた二つの小柄な影であった。
一人は虹色の輝石がはめられたねじくれた長杖をつく老婆で、その後ろには短杖を構えた少女である。
イングレッシオはどちらも面識はないが、老婆が万象の魔女グラニッピナであることは間違いなかった。
「おや、こいつは大物が出てきたねぇ。ウニー、ごらん。あれが枢機卿ってやつだよ」
グラニッピナは装束の文化にも詳しい様子である。イングレッシオの法衣が枢機卿のものであると即座に看破したのだから。イングレッシオは頷きを返した。
「いかにも愚僧はその地位をいただくイングレッシオと申します。万象の魔女殿とお見受けいたしますが」
イングレッシオは杖を構えてはいたが、まずは交渉をするつもりであった。だが魔女はそうではなかった。
「〈滅び〉よ」
なんの予告もなく、歪んだ杖から死の魔術が放たれた。
ξ˚⊿˚)ξいつもお読みいただきありがとうございますー。
明日の午後、活動報告UP予定なので、よろしければご覧いただけると幸いですー。








