第179話:あーあ
ドロテアはミウリー司祭の言にのせられ、神殿についてきたことを少し後悔していた。
聖堂は美しいし、村では学べない礼儀作法なども教えてくれる。だが、部屋から出ることもできない監禁同然で、服も新品だが神殿の修道女の服装でおしゃれなどもできない。
もちろん、それは彼女自身が望んだことでもあるし、生まれ育ったエベッツィー村に、ひいてはあの家にいたくはなかった。だから今すこしの後悔があろうとも、ついてこないという選択肢はなかったのだが。
ドロテアは、物心ついてすぐの時から、妹であり生まれたばかりのエミリアが特別な存在だと知っていた。
まずは彼女の緑の髪色がそうだ。エミリアの頭上で新緑のように柔らかくそよぐそれはきれいだった。ドロテアも、家族の他の誰もが、色の濃淡はあれども茶色の髪をしている中で、エミリアは明らかに目立っていた。
そう、ドロテアは最初はそれをきれいと思っていたはずなのだ。
父であるジョンが、妻サリーの不貞を疑い出し、家庭に争いが絶えなくなるまでは。
結局、エベッツィー村の住人にも村に立ち寄った旅人にも緑色の髪の男などいないということで疑いは晴れたが、両親の喧嘩が続き家族関係にヒビが入ったことは、ドロテアや兄たちにとってマメーへの心象を悪くさせるには充分であった。
『うー、あうー』
『ちょっと、やめて!』
そしてエミリアの子守りは親が半分放棄し、ドロテアに任されることが多くなった。
次に彼女がエミリアを特別と思ったのは、マメーと接していてのことである。エミリアは緑に好かれている。そう思わされることが多かった。
『どうしたんだい、その立派な芋は』
ある日、ドロテアは母に芋を差し出した。
『きょーね、エミリアがねていたところからはえてきてたのよ!』
『あうー』
母はそれを褒めることも怒ることもなく、ただため息をついてそれを受け取り、夕食には料理が一品増えた。
しかしそれが続くにつれ、それを家族は気味が悪く思うようになっていたようだった。
エミリアの食事は少ない。赤子であるから他の家族より食べられる量も種類も少ないのはわかっているが、それでもドロテアが首を傾げるほどには少なかった。だってエミリアは同時期に生まれた村の赤子よりもやせっぽちなのだ。
『エミリアのごはんすくなくない?』
だがそう言った時、食卓の空気が凍るのをドロテアは感じた。ジョンはゆっくりと言った。
『まだ赤子だからな。このくらいが普通だ』
『……はい』
その後もエミリアのために何かを言うと、家族から、特に父から否定的な反応が返ってくるようになった。そしてある日、兄の一人から言われたのだ。
『お前さ、エミリアを庇うのやめろって』
『かばうきなんてないけど、でもふつうじゃなくない?』
『かもしれないけどさ。親父が不機嫌になるんだ。わかるだろ?』
結局、ドロテアもエミリアに対して強く当たるようになった。そうしていれば家族の団欒は守られたのだ。エミリアを抜きにすれば。そのうちに、ドロテアもエミリアを特別だと思っていたことなど忘れてしまった。
そしてついに、今ならわかるが、エミリアが家族みんなの前で魔力を暴発させた時。ジョンはエミリアに折檻をし、森に捨ててきたのだ。
ドロテアも彼女のことはもう忘れることにした。だが、三年後にそれは名を変えて彼女たちの前に現れたのだった。幸せそうな姿で。さらに最果ての村から王都へと飛んでいき、戻ってきたのだ。
そして今。誇り高き魔獣に背を許され、天から暴風を纏って降り立つは輝ける鎧姿の騎士様。
「マメー!」
「ルイス!」
彼はマメーと、エミリアの新しい名を呼ぶ。騎士様に駆け寄り、抱き上げられて安堵の笑みを浮かべるエミリア。まるで騎士物語の一場面のようだった。ドロテアの兄たちの読んでいた本に書かれており、彼女自身も強く憧れたものだ。
『やっぱり、特別なのは彼女なのね……』
ドロテアの心に浮かんだその想いは、ある種の予感であり諦観であるとも言えた。
彼女たちの目の前でゴラピーなる妙な使い魔も回収し、彼らは空に舞い上がる。
「あーあ」
言葉はそこで途切れたが、それに続くべきは、こんなはずじゃなかったのに、か。うらやましいな、か。あるいは、やっぱり、か。それらの全てであっただろうか。
ドロテアはため息をつき、そして再び空を見上げればもうエミリアの姿はおろか、グリフィンの姿すらほとんど見えなくなっていた。
振り返ればハンケ司教なる老人とミウリー司祭がまだ唾を飛ばし話を続けている。
「そこの娘がいるのだ。〈血縁転移〉の秘術でマメーなるを召喚すれば良いであろう」
「遠方からの〈引き寄せ〉、それも生物を対象とするのは極めて高難度の術ですぞ!」
「そのための聖術司祭であろう!」
「仮に成功したとして、あの騎士が引き返してくるだけでしょう!」
不毛な会話である。
エミリアの手を取ったのは美貌の騎士ナイアント卿で、自分の手を掴むのがこの中高年の聖職者というのだから後悔をしたくもなる。
だが、他に選択肢もないのだ。
「ミウリー司祭、ハンケ猊下。私はお役御免ですか?」
男たちが口をつぐみ、否定する。
そう、まだエミリアの肉親が手元にいるというのは彼らにとって価値があることなのだろう。なんならここで放り出してくれた方が楽な気もするのだが。
「そうですか。それならわたしを上手く活用する方法を、落ち着いて。落ち着いて考えてくださいね」
ドロテアは覚えたての淑女の礼をし、聖堂へと戻っていった。








