第175話:きょーもげんきでがんばろー。
翌朝のことである。ぱちり、とマメーは目を開いた。カーテンの向こうから陽射しが漏れ出していて、部屋の中には爽やかな香りが漂っていた。
「……あさ」
マメーはむくりと起き上がって、くしくしと片手で顔をこする。
「んー?」
特に何か変わった様子はない。爽やかな香りは昨日、ミントの鉢植えが置かれているからだ。ペパーミントの香りである。
ベッドから降りてぺたぺたと窓の方に歩き、しゃっとカーテンを開ける。
格子によって縦に区切られた陽射しが部屋を明るく照らした。
「……むに?」
マメーは何か違和感を覚えて部屋をぐるりと見渡すが、ナンディアが部屋に入ってきた様子もない。
昨日までと変わったものとして、マメーの目の前には鉢に植えられたミントがあり、元気にもさもさしている。そして、その陰にはゴラピーの葉っぱが2匹並んで植っているのも見える。昨日、〈繁茂〉の魔術でミントを一気に育てたのは、ゴラピーたちを隠すためだった。
だがこれらだって、寝る前と変わらない様子である。……いや、本当に?
「ミントさん、なんかすごくげんきだねー?」
ミントの株は昨日よりも大きく、朝の陽に葉っぱをつやつやと輝かせているようにマメーには思えた。
ミントはそんなことないよー、と葉っぱを横にわさわささせた。
「そっかー、そんなことないかー」
ミントはうんうんと、葉っぱを縦にわさわささせた。
ぽこん、と土が盛り上がる。
「ピー」
「ピュー」
「ゴラピーもおはよー」
ゴラピーも起きてきたのだ。黄色いのと青いのはうーんと伸びをした。
マメーも一緒にうーんと伸びをしてから片手をあげた。
「じゃー、きょーもげんきでがんばろー」
「ピー」
「ピュー」
ゴラピーたちはぶんぶんと手を振った。
ミントはおーと、にょきっと伸びた。
マメーはゴラピーをおろしてベッドの下に行かせると、寝巻きを脱いで着替え始める。すぐにコンコンと扉が叩かれ、ナンディアがやってきた。
「おはようございます、マメーさん」
「おはよー」
ナンディアは部屋をきょろきょろと見渡した。
「今どなたかと喋っていらっしゃいませんでしたか?」
「ミントさんとおはなししてたよ」
「……左様ですか」
ペットである動物や、ぬいぐるみなどに話しかけることはよくあることである。幼子であれば特に。したがってマメーがそうすることにナンディアは不自然さを感じなかった。昨日、あれだけの魔術を見せたマメーであれば植物と話すくらいするのかもしれない。
ナンディアは朝の支度を始めながらマメーに尋ねる。
「ミントとはどのようなお話をされるのですか?」
「んー、きょーもがんばろーね、って」
やはり、ひとりごとを話しかけているようなものだろうか。ナンディアはそう思った。
「なるほど、今日もお勉強頑張りましょうね」
「うへー」
礼儀作法とか神殿の神様の話である。マメーにとってはあまり興味がある内容とは言えなかった。
「きょーは、まほーつかうことないのー?」
「どうでしょう、後でミウリー司祭様に伺ってみますね」
昨日のどんどんぴーの魔法は楽しかったなあ、などと思いながら、マメーは一日を過ごすのである。
マメーはミントが返事をしているという異変に気づかない。それはゴラピーという植物の使い魔を有しているからというだけではないのだ。だって彼女にとって植物とは、いつだって自分のことや自分が見聞きしたものを教えてくれる、おしゃべりな生き物なのだから。
最初に異変に気づいたのは孤児院の少女であった。
「ねーねー、にーちゃ」
まだ五歳くらいの少女だが、孤児院では仕事を与えられる。彼女は昨日、魔女のマメーちゃんという女の子が立派に育てたお芋畑に水やりをしていたのだ。
すごかったなー、どんどんぴーのまほーとか面白かったなー、またきてくれないかなーと思いながら、彼女が帰っていった神殿の修道士さんたちが住んでいる建物の方を見上げていていた。
すると、ふと気づいたことがあり、孤児の中で一番歳上の兄に声をかけたのである。
「どうした?」
「にーちゃ、あれなーにー?」
うん? と少年は草むしりしていた手を止めて、顔を上げる。
少年は昨日マメーに最初に声をかけた子である。大体、孤児たちは何かわからないことがあると彼に話をふるのだった。
少年は太陽の眩しさに手でひさしをつくり、少女が指差す先を見上げた。
「なんだありゃ」
「なんだろー?」
指差す先は聖堂の屋根、その尖塔であった。優美でありながらも神の偉大さを示すように高くそびえるその先端には、神殿の聖なる印である二重に重ねられた十字が掲げられて、黄金に輝いているのだ。
「……緑色だな」
「みどりだね」
少年が首を傾げれば、少女も同じように首を傾げる。
「聖印が見えないが……あれは葉っぱか?」
「もさもさしてるー」
よく見れば修道士の住まう建物から蔦がにょろにょろと聖堂のてっぺんまで伸びて、聖印を緑の葉っぱで覆っているのだった。








