第173話:ルイスは飛び立つ。
「ハンケ司教……」
「王妃殿下は面識がおありでしょう。愚僧の身体が弱いため、このサポロニアン王国における実質的な長を務めている者です」
イングレッシオはその身体的特徴ゆえに身体が虚弱であるため、日々の宗教行事や聖務を執り行うことはあまりない。ただ、それは聖術に長けた司祭たち全体がその傾向にある。
その力はいざ必要な時に振るえるようにするためだ。イングレッシオはまさしく神殿という組織の切り札であるといえた。
「彼がマメーちゃんを捕まえたと?」
「そのようですな」
イングレッシオは神殿騎士に視線をやる。
「ぐっ……」
俯いていた神殿騎士の一人が口の端から鮮血を垂らした。ふん、とイングレッシオは鼻を鳴らした。
「〈治癒〉、〈解毒〉。舌を噛んだのか毒を仕込んでいたのか知らないが、死んで楽になろうなんておこがましい真似をするんじゃない。顔を上げよ」
紅い瞳が神殿騎士の瞳を覗き込んだ。騎士は苦悶の叫びを上げる。
イングレッシオは言う。
「ハンケ司教は自分の手駒としての聖女を欲しがったようですね。そして大司教、枢機卿、更には……と上の地位を目指している。特に愚僧のような者が彼の上に立っていることに我慢がならないのでしょう」
伝統的に神殿の枢機卿以上は男性である。そして自身が聖術に長けているか、優秀な聖女の後援者であることがその地位には求められるのだ。
そうイングレッシオはルナ王女らに説明した。ルナ王女は憤慨をあらわにする。
「マメーちゃんは魔女になるのです。聖女になんて、ましてやそんな男の手駒になんてなりはしませんわ」
「そうですね。ですが、彼女は平民であり、かつ王女殿下より幼いのでしょう。どうにでも言うことは聞かせられると思ったようですな。唾棄すべきことですが」
イングレッシオは姫の前では言葉にしなかったが、ハンケ司教はマメーが従わないのであれば、ミウリー司祭に〈隷属〉の術の類いを使わせてまで彼女を操ろうとすらしている。そう神殿騎士の心を読み取った。
「そのハンケ司教は?」
「司教は数日前に視察のためと言って王都を離れました。例年、初秋に行くので今年は少し予定を早めたのかと思っていましたが……どうやら違ったようです」
「ではどこにいるのでしょう」
「申し訳ありませんが分かりません。それはこの騎士らも知らされてはいなかったようです」
行き先を伝えないことで身を隠しているのである。むー、とルナ王女は唸った。
「ルナ殿下」
ルイスが膝をつく。
「私にマメーを探しに行く許可をいただけないでしょうか」
「彼女を探しに、ですか」
ルイスは騎士である。その本分は王に仕えることであり、これをこの場で自ら申し出ることは、越権とすら言えることでもあった。ランセイルであればわかる。魔術を学ばんとする者にとって魔女というものは別格であるのだから。
だが、ルイスにとって、マメーは仕える主人の恩人であるという存在でしかないはずなのだ。しかし彼は自然とそう口にし、頭を下げていた。彼にとってマメーという不思議な少女は、何かそれ以上に特別な存在であるのだった。
「ナイアント卿……」
王妃が苦言を呈そうとし、今度はルナ殿下が王妃の手を握って首をゆっくり横に振った。
もちろんその申し出は、王女の願いでもあるのだから。
「ルイス・ナイアント卿。お願いできますか?」
「ええ、私とオースチンであればこの国では誰より速く飛べますので。それに……」
ルイスはイングレッシオ枢機卿に視線をやった。
「私が各地の神殿に赴いたのではその門は閉ざされていましょうが、猊下に一筆書いていただければその門も開かれることでしょう」
サポロニアン王国の騎士では神殿に押し入る権利を有していないが、この国における神殿の最高権力者はイングレッシオなのである。それの許可状があれば出入りくらいできるはずだ。逆にそれでも立ち入りを禁ずるようなところがあれば、それこそハンケ司教がいる可能性が高いのである。力で押し入ってしまえば良い。
イングレッシオは頷き、急ぎ立ち上がった。
「ではすぐに用意するといたしましょう。愚僧は王都聖堂においてハンケ司教の犯行の証拠などを得ておくべきでしょうな」
「手紙ですが、二通、お願いできますか?」
ルナ王女は言った。
「む? 構いませんが……」
「王城にはもう一人、最速の魔女がいらっしゃいますので」
つまり、ブリギットにも捜索を依頼しようということである。とはいえブリギットにとっては姉弟子の弟子、家族で喩えれば大事な姪っ子のようなものである。依頼されなくとも探しに行く気ではあったのだが。
ともあれ、こうして枢機卿との面会は終わり、ルナ王女たちは城へと戻った。
そして翌朝の早朝、地平線が白み始めたくらいの時間。一頭の魔獣に乗った騎士と箒に腰掛けた魔女が、王城の庭からまだ星の残る空へと浮上し、城の真上で東西に分かれて飛び立ったのである。
それから数刻。
オースチンと共に王国の空を駆け巡り、いくつかの街の神殿を捜索したルイスは、日が暮れる前にある街の神殿の上、今日初めて笑い声を上げた。
「ははははっ」
「ピグルゥー?」
オースチンが何を笑っているのかと喉を鳴らして振り返る。
「マメー殿は流石だと思ったのだよ。さあ、彼女を迎えに行こう!」
ルイスがオースチンの首をとんとんと叩き、彼らは地上へと向かうのであった。
ξ˚⊿˚)ξはい、というわけで次はマメー視点に戻りますわー。








