第172話:ルナ王女、枢機卿と話す。3
神殿騎士が憎々しげに呟く。
「ぐっ、魔術とは卑怯な……」
「自らの護衛対象に斬りかかるような男どもに言われたくはないぞ」
思わずランセイルがそう返し、ルイスもまた真顔でそれに頷いた。
「まったくだ」
神殿騎士たちは唸り声を上げて剣を振りかぶる。
先日、ランセイルが〈束縛〉の魔術をかけた神殿の従者たちは全く身動きがとれなくなったが、彼らはこの状態でも動けるくらい魔法への抵抗力が高いようだ。十秒もあれば、完全に術を破ることもできたであろう。
ギン、と剣が打ち合わされた。
鍔迫り合いのような形になるが、ルイスの身体が先に沈む。
体格は神殿騎士の方が大きい。力比べに負けたのかとルナ王女は悲鳴を上げかけた。
「大丈夫」
ランセイルが短く言う。
ルイスの身体が沈み込んだのは下ではない。前方である。剣の打ち合わされた部分を支点に、身体を前方へ滑らせているのだ。
互いの間合いがほとんどなくなる。だがこれでは剣を振ることはできない距離だ。
「しぃっ!」
ルイスの気迫の声が漏れ、神殿騎士の身体がぐらりと揺れた。そして白目を剥いてその場で崩れ落ちた。
剣の柄は滑り止めに布が巻かれているが、その握り手の先端の柄頭は布が巻かれず膨らんでいる。それはここに重量を置くことで重心のバランスを取ったり、柄頭を握って剣を跳ね上げるように振る動きに使ったりするためのものであるが、もう一つ別の働きがあるのだ。
柄頭で殴るのである。
ルイスは剣身を手で持ち、剥き出しの金属である柄頭で相手の顔面を強打したのだ。組み打ち、ソードレスリングの技法であった。
〈束縛〉で動きが鈍っている神殿騎士である。力任せに剣を振り下ろすところまではできても、それに対応することはできなかったのだ。
「ひっ」
もう一人の神殿騎士は小さく悲鳴を上げた。ルイスは相手の正面に構えた剣を上から斬り落とすように叩き、剣を取り落とさせると、左手で相手の腕を掴み、足をかけて転ばせたのだった。
「くそっ」
悪態をつく男の顔面に、ルイスは剣を突きつける。勝負あった。
はっとしたような表情を浮かべてイングレッシオ枢機卿は頭を下げた。
「殿下方の護衛に命を救われました」
王妃が言う。
「いえ、猊下でしたら御身、ご自身で護られたことでしょう。出過ぎた真似をお許しください」
枢機卿はゆっくりと頭を振った。
「確かに愚僧は聖術には長じております。ですが咄嗟に動けるか、それを使えるとなればまた別の話ですから」
強い魔術を使えることが戦闘における魔術師の強さを決めるのではないのである。イングレッシオは魔術師としてランセイルよりも格上であろう。だが、この場で動けたのはルイスであり、ランセイルであり、そしてゴラピーであるのだ。
イングレッシオが僅かに口元に笑みを浮かべた。
「ルナ王女には立派な護衛がついていらっしゃる」
ルナ王女の身体の周囲には蔦と葉っぱが巻き付くように浮いていた。それはランセイルのローブの袖口から伸びていて、その根本にはゴラピーの身体があった。
「ピャー?」
蔦はするすると縮み、ゴラピーの身体へと戻っていく。そうして蔦が完全に消えると、ゴラピーはちっちゃな手をちょっと振って、ランセイルの袖の中に潜って消えた。王女は言う。
「最高に可愛くて素敵な使い魔ですもの。ですからわたくし、ゴラピーをくれたマメーちゃんを取り込もうだなんて許しませんのよ」
「ええ、そうでしょうとも。攫ったものに責任を取らせ、その後に愚僧も咎を負わねばなりますまい」
ルナ殿下は、イングレッシオが攫うことを指示しているのでなければ別にそれを責める気はなかった。だが、王妃は娘の膝にそっと手を置き、その言葉を言わせはしなかった。それも政治なのだ。
「さて」
イングレッシオが一言発した。その言葉から温度が失われたかのように感じられた。
彼は二人の護衛であった神殿騎士を見下ろして言う。
「聞くまでもないかもしれんが、卿らは赤眼の白子に仕える気はないということだな?」
色素を持たずして生まれたイングレッシオの容姿は、一種の超然とした非現実的な美しさを有していて、賛美される一方で気味が悪いと罵られることもあるものでもあった。マメーの緑の髪も同じである。人間は、見慣れぬ色を忌避するのだ。
赤眼の白子とは、彼の容姿を蔑む者の言い回しであった。
神殿騎士らは黙して語らない。
イングレッシオは首を傾げた。
「卿らは愚僧の前で沈黙することに何の意味があると思っているのだ?」
騎士の顔が青ざめる。イングレッシオがルイスの方を見た。
「騎士殿。名を伺っても?」
「は、ルイス・ナイアントと申します」
「ナイアント卿。さすがはサポロニアンの誇る銀翼獅子騎士団の方だ。二名の神殿騎士を殺すこともなく無力化させるのですから」
互いに武器を抜いているのだから殺す方が簡単なのである。それをたいした怪我もさせることなく倒したのは、その実力ゆえであろう。
「おかげで、思考を暴くことができます」
イングレッシオはこともなげにそう言ってのけた。
慌てたのは倒れている神殿騎士たちである。
「それは、非人道的ですぞ……!」
精神を操作したり暴くような魔術は禁呪である。
「そうだな。だが騎士の風上にもおけず、神に仕えるにも相応しくない卿らになら問題ないだろう」
そう言って赤い瞳で騎士たちの瞳を覗き込み、少しの間の後、つまらなそうに言葉を溢した。
「ハンケ司教か」
明日は更新休みますわー。
だいたいコミカライズ関連で週のこの辺が手一杯になりがち。








