第171話:ルナ王女、枢機卿と話す。2
「そんなまさか……」
イングレッシオ枢機卿は唖然とし、そう言葉を漏らした。
それに対し、護衛として控えていたルイスが咳払いを一つ。その言い方は王族たる姫が嘘をついているのではないかという不敬となる故だ。イングレッシオはそれに気付き、慌てて謝罪した。
「申し訳ない、あまりにも突然の、そして衝撃的なお話でしたので」
「いえ、この件に猊下が関わっていらっしゃらないのなら、驚きも当然かと」
「無論、無論ですとも。その使われた秘術とは……」
「グラニッピナ師はそれを〈血縁転移〉と仰っていたと」
神殿の秘術とて幾種類もあるし、秘されているものでもある。さらにはその使用は制限されていて、上の地位の者の許可がいるのであるから『秘術により攫われた』といきなり言われても信じ難いのだ。
だが、王女は確かに秘された術の名を口にした。確かにそれであれば攫うのは容易いだろう。だがそれ故に使用には厳しい制限がある。少なくともこの王国内で使用するのであれば。枢機卿たるイングレッシオによる裁可が必要であるのだ。しかし当然ながら彼はそれに許可を出した覚えなどない。イングレッシオは思わず天を仰いだ。
ルナ王女は背後を振り返る。ランセイルが前へと歩み出た。
「不才の名はランセイルと申します、猊下。魔女見習いのマメー殿が攫われた際に、その場に居合わせた者です。マメー殿に血縁上の父である男が接触した際、ミウリーを名乗る司祭が魔術を発動し、彼らと共に転移したと秘儀の神々に誓って申しあげます」
「そうですか……」
イングレッシオの紅い瞳が伏せられ、雪のような睫毛がそれを覆い隠した。彼は僅かな間、黙考して語り出す。
「ミウリー司祭は愚僧よりも少し歳上ということもあり、直接の面識は少ないのですが、愚僧と同様に聖術の腕に長けた聖職者です。確かに彼であれば〈血縁転移〉の術も使えましょう」
「では彼が犯人なのでしょうか?」
「そう断定するには情報が不足していますが……」
イングレッシオがその場にいたわけでもなければ、ランセイルが元々ミウリーを知っていたわけでもない。ミウリーを名乗る別人が攫っていったということだって可能性としてはあり得る。
ただ、イングレッシオの紅の瞳には真贋を見極める奇跡が宿っているのだ。ルナ王女もランセイルなる魔術師も、嘘をついていないということが彼には分かる。故にこう続けた。
「そう判断して話を進めましょう」
「まぁ」
これにはこの場にいる誰もが驚きを覚えた。明らかな神殿の失態である。そうすぐに認めるとは思わなかったのだ。
「マメーという少女の無事がかかっていますからね。ともあれ、ミウリーはシカリィ領の神殿にて司祭の位に着いています」
イングレッシオの言葉に対し、王国の地理がまだきちんと身についていないルナ王女のため、ルイスが口を挟む。
「魔女殿の住む森があるエベッツィーとは王都を挟んで逆側ですな」
「ええ、どちらもここからは遠い。……ですが転移の奇跡を濫用しているのなら、その距離や方角は無意味なのかもしれません」
「なるほど」
「しかし、問題はそこではありません」
イングレッシオは口を強く引き結び、椅子の肘掛けを強く握りしめた。怒りが、その身の内で暴れているかのように。
「愚僧はこの聖堂より出ていないのです。愚僧が不用意にマメーなる少女が聖女たり得ると言ったとして、ミウリー司祭がそれを聞けるはずはないのです」
「では彼にそれを伝えた人間がいると」
「ええ」
「心当たりが?」
「あります」
「どなたです?」
「ハn……」
イングレッシオがその名を出そうとした刹那である。
「最早これまで!」
叫び声と共に金属の擦れる音が部屋に響く。剣が抜かれたのだ。
声を発し、剣を抜き放ったのは神殿騎士たちである。彼らが駆け寄り、剣を振るったのだ。
ルナ王女は思わず恐怖に目を閉じた。
「ピキー!」
小麦色のゴラピーは警戒の鳴き声をあげながら、王女を護らんと頭上の蔦を彼女に向けて伸ばした。
だが、二振りの銀の円弧は、王女ではなく枢機卿を狙っていた。彼もまた突然のことで反応ができていない。
「しっ!」
床を蹴り、卓を踏んでルイスが跳んだ。そして跳躍しながら剣を抜き撃った。
彼は枢機卿と神殿騎士らの間に身を置くと、一振りの剣は剣で、もう一振りの剣は逆の手の肘で叩き落とした。
剣と剣が、剣と鎧が打ち合わさって甲高い音を立てる。
「なんという狼藉を!」
ルイスは吠えた。その声に神殿騎士たちは一瞬怯むも、ルイスごとイングレッシオを貫かんという気迫で突きかかる。
三本の剣が目まぐるしく踊った。
ルイスは銀翼獅子騎士団、グリフィンライダーである。グリフィンがいくら魔獣であるとはいえ、有翼の獣であるのだ。飛翔には荷重が軽い方が良い。それ故、ルイスは鍛えてあるとはいえ、他の騎士に比べればずっと細身であった。
しかし体格と人数に勝る神殿騎士の猛攻を、ルイスは華麗に捌き続ける。
剣で、そして驚くべきことに拳や肘で、鎧の厚みを利用して攻撃を払うのである。ルイスがいかに速く、そして目と勘が良いかを示していた。
「……っ! どうした護ってばかりか!」
焦れたのか、神殿騎士が挑発の言葉を叫ぶ。
ルイスは笑みを浮かべてそれに答えた。
「〈束縛〉」
背後には、頼れる魔術師がいるのだから。








