第170話:ルナ王女、枢機卿と話す。
ルナ王女と母である王妃が王都の聖堂を訪れたのはその翌日のことであった。
王城と聖堂は同じ王都内、それも中心部にあるのだから当然近い距離にある。馬車をゆっくり走らせても数分といったところだ。とはいえ王族の訪問とあらば、訪う側も迎える側も準備などあるし、そのために互いに幾度も使者を立てたりするものである。翌日に、というのは極めて異例の早さであるといえた。
「ごきげんよう、イングレッシオ枢機卿猊下」
「王妃殿下、王女殿下。本日は我らが聖堂へとご足労賜り、感謝いたします」
ステンドグラス越しの煌びやかな光の中、ルナ王女は白皙の男、イングレッシオの前で淑女の礼をとった。男もまた神殿の作法で、手で聖印を象り頭を垂れる。
人払いのされた聖堂の中央で、枢機卿猊下自ら王妃と王女を出迎えたのである。
「先日は、娘の鑑定の儀を執り行っていただき、ありがとう存じますわ」
「いえ、それも至尊なる神に仕える者の務めでございますから」
王妃もまた枢機卿と挨拶を交わす。
「本日はその感謝を示すべく、些少ですが寄進を……」
「これはかたじけなく……」
ルナ王女が気が急くのを感じながら、そのやりとりをすまし顔で聞いていた。
これが本日の来訪の建前なのである。感謝のための寄進はどのみち行う予定があったのだが、それを早めることで今回の会談にあてたのである。
その挨拶も比較的手短に終わり、王女たちが神殿の祭壇で祈りを捧げると、枢機卿は彼女たちを応接室へと招いた。
そして修道女によって茶と菓子が供されたところで、イングレッシオ枢機卿は彼女を下がらせて言った。
「本日は火急の用がおありになるとか」
本来なら歓談をしてから本題に入るのが作法ではあるが、王国側の急な会談要請ということもあり、枢機卿はそう水を向けた。
ルナ王女はええ、と頷いて言葉を返す。
イングレッシオはぱちりと赤い瞳をまたたかせた。最初に挨拶を彼女が行ったのは、鑑定の儀の礼という建前だからである。だがいま返事をしたのが彼女であるということは、用件自体もルナ王女の方にあるということを示していた。
なんだろうか、〈鑑定〉の魔術に不備や不満があったかとイングレッシオは考える。ちなみに、鑑定結果に不満があるというのは王侯貴族を相手にすると、しばしば見られることでもあった。
「人払いをお願いできますか?」
王女の言葉にイングレッシオは背後を見やる。壁際には銀の鎧に身を包んだ二名の神殿騎士が直立していた。彼の護衛である。イングレッシオは彼らを下がらせようとしたが、騎士は言った。
「殿下方が騎士と魔術師を帯同されている以上、こちらも引くことはできません。ご了承いただきたい」
逆の壁際にはルイスとランセイルが直立している。護衛として連れてきた以上に、ランセイルはこの件の当事者でもある。引かせるわけにはいかなかった。ちなみに小麦色のゴラピーは、ランセイルのローブの袖の中にいる。袖口からちょこんと目だけ出してときおり周囲をきょろきょろと観察していた。
「わかりました。それでは単刀直入に申します。魔女グラニッピナの弟子である魔女見習いのマメー。彼女を聖女認定なさいましたでしょうか?」
枢機卿は明らかに驚いた表情を見せた。そのようなことを言われるとは想像もしていなかったという顔である。そして、その驚きの中に罪悪感は感じさせなかった。
「聖女認定は行っていません」
「聖女候補にも挙げてはいませんか?」
「ええ、神殿の公的な動きとしては彼女に対して何も」
王女は言い方に違和感を覚えた。いや、これは枢機卿がわざとそういった言い方をしたのであろう。つまり私的な発言としては行ったということである。
「彼女は……聖女なのですか?」
その問いかけにイングレッシオははっきりと頷いた。
赤い瞳がランセイルに向けられる。
「愚僧はそのマメーという少女と面識はございません。ですがいまは彼が連れているゴラピーなる使い魔。あれを創造できるというだけで豊穣の聖女たり得る力は有しております。またルナ殿下が彼女に対して良い印象を抱いていらっしゃる以上、その性質が悪ということもないでしょう」
「ピャー?」
呼ばれたと思ったのか、マメーの名が呼ばれたからか、ゴラピーが鳴き声を上げた。
なるほど、たしかにゴラピーちゃんは素晴らしいと、ルナ王女は心がほっこりするのを感じながらも、気を引き締めなおしてイングレッシオを見つめる。
「マメーちゃ……魔女見習いのマメーを神殿に招聘されましたか?」
「まさか。万象の魔女グラニッピナの庵といえば王国の端、深き森の中でしょう。もちろん王都にいらっしゃる機会でもあれば、ぜひお会いしたいと思っていますが」
イングレッシオは意外そうに言う。ルナ王女たちにはこの反応が嘘であるようには思えなかった。
「招聘したいと言ったこともないと?」
「……魔女グラニッピナの弟子である幼子は聖女であると見出したと、愚僧がこの聖堂の司祭らの前で言ったことはありますが、誓ってそれだけです。何か問題がありましたか?」
ルナ王女は小さく、だがはっきりと頷いて告げたのだった。
「ミウリーを名乗る司祭が、神殿の秘術を用いてマメーを拉致しました」








