第168話:ルナ王女は神殿に向かう。
ある日のことである。ルナ王女が呟いた。
「何か騒々しいですね?」
今は礼儀作法の授業のさなかであった。女家庭教師のハンナがそうですかと答え、耳を澄ます。ルナ王女に角が生えていた時は侍女役を買って出ていたが、彼女の本来の職務は礼法の教師である。
「ピャー?」
部屋の片隅、窓際でくつろいでいた様子の小麦色のゴラピーが鳴いて立ち上がる。どうやら彼も異変に気づいた様子だ。
なるほど、確かに兵士をはじめ、城の者たちがサポロニアンの城内で慌ただしく動いている気配がする。
なんでしょうと二人と一匹が顔を見合わせているうちに、すぐに答えはやってきた。部屋に伝令の兵士がやってきて、父である国王陛下から緊急の呼び出しがあると告げたのである。
「お召しにより、まかりこしましたわ、お父様」
「うむ」
ルナ王女がハンナを供として呼び出された国王の私室へと向かい、挨拶を交わすとすぐに魔女のローブを纏った美しい女性が目に入った。
「魔女のブリギット様! それとランセイルも!」
「こんにちは。ちっちゃい王女様」
そこにいたのは両親である国王と王妃、同じく呼び出された様子のルイス。人払いがされているのか、他の兄や姉、そして使用人らはいなかった。
そして以前の件でトゥ・ガルーに飛んでくれた魔女のブリギットが国王の向かいのソファーに座り、ルナ王女に向かってひらひらと手を振っている。
ランセイルはその横に立って控えているが、どうにも疲労困憊の様子で顔色が蒼白だった。
次に魔女が来るとしてもマメーとその師であるグラニッピナであろうと思っていたルナ王女は少々面食らったが、それを表情に浮かべることはなく、ただ左右に視線を走らせて淑女の礼をとった。
「魔女様、ごきげんよう。本日はどうなさったのですか? それにお弟子のウニーさんはいらっしゃらないのでしょうか?」
「ウニーはね、おばあちゃん……魔女グラニッピナのとこにいるわ。今日はそこの色男を運んできたのよ」
そう言って指でランセイルを示す。
ランセイルはマメーのところに派遣していた。それが魔女の力を借りてまで火急で城に戻らねばならなかったこと。そして先に話を聞いていたのであろう父の顔が固いこと。これから考えられる答えは一つだ。
「殿下、申し訳ございません!」
ランセイルが崩れ落ちるように床に膝をついて低頭した。そしてルナ王女の想像したように、マメーが神殿の司祭に連れて行かれた、拉致されたということを伝えたのだった。
きゅっと拳を握りしめながら黙って聞いていたルナ王女は、ランセイルが語り終えると、震える声で言った。
「なんということを……」
ルナ王女の声に強い怒りがこもる。
それはランセイルへの不甲斐なさへの怒りであり、結果的には対応が不十分であった自分や父である国王への怒りであり、そして何より暴挙に出た神殿に対する激怒であった。
頭に血がのぼる。
そしてめきめきと、割れるような音が頭から響き、王女は後頭部にずしりと重さを感じた。
「ピャッ!」
ハンナが持つ瀟洒な籠の中で、ゴラピーが警戒の鳴き声を発した。
「ひっ」
思わずハンナが小さく悲鳴を上げた。ルナ王女の頭から鹿の角が生え始めていたのだ。
彼女の強い感情、ストレスが彼女の身体を鹿に転じさせているのである。限定特化、変身に関する三つ星の才能。魔女たりえる力が、荒ぶる感情により暴走して発現していた。
誰よりも早く反応したのはルイスであった。彼はルナ王女に駆け寄る。
「王女殿下! 御身に触れる無礼をお許しください!」
そう言って彼女の肩を掴んで後ろに回り、動きを封じるとランセイルに向かって叫んだ。
「ランセイル! 惚けているな! 薬を!」
以前、獣化を止める薬をグラニッピナから貰っている。その一部はランセイルが預かっているのだ。ランセイルは慌てて〈虚空庫〉から薬を取り出すと、王女の口にあてがった。
彼女の喉がこくりと上下する。角がうっすらと消えていった。
ふう、と皆がため息をついた。
「……申し訳ありません」
少しして、ルナ王女がぽつりと呟いた。王妃が彼女を抱きしめる。
「謝るようなことはないわ、感情と魔力のコントロールなんて、魔女にとって永遠の課題だもの」
「ですが、あまりにもマメーに申し訳なく……」
彼女にとってマメーもまたグラニッピナと同じように恩人である。それに迷惑をかけていることを心より申し訳なく思っているのだ。だが、ブリギットは首を横に振った。
「魔女ってのはね、その行動の責任を全て自分が負わなきゃならないのよ。自由の代償としてね。だから、王女様もランセイルも、国王陛下だって申し訳ないと思わなくていいのさ」
王が口を挟んだ。
「ですが、マメーはまだ幼き子どもですぞ」
「そ、あの子はまだ見習いだからね。責任があるのはおばあちゃんなの。だから今、魔女グラニッピナは神殿に落とし前つけさせに向かってるわ」
「しかし彼女たちは娘の恩人である。何か手助けは……」
ブリギットは肩をすくめる。
「別にいらないのよ。おばあちゃんはね」
「ブリギット様」
ルナ王女がブリギットの言葉を遮った。淑女として無礼な振る舞いである。だが、ブリギットは気分を害した様子もなく言う。
「なにかしら?」
「手伝いは不要でも、わたくしたちが勝手に手助けをする分には構いませんね?」
ブリギットは笑みを浮かべることでその答えとした。ルナ王女は決意をもって宣言する。
「神殿に向かいます。よろしいですか、お父様、お母様」








